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『メメント・モリ』は今必要な考え方なのでは?

皆様、こんにちは☺️
フルート奏者の向(むこう)由佳でございます。
今日もお越しくださり、ありがとうございます。
感謝しております❤️

さて、本日は「『メメント・モリ』は今必要な考え方なのでは?」というお話をします。

「メメント・モリ」の意味は、検索していただくと出てくるので、ぜひ、各自検索していただけると良いかなと思います。

今までも、確かに「メメント・モリ」という言葉は聞いていましたし、その意味もご存知の方もいらっしゃったと思いますけど、今年に入ってからの、特に今の時期に私自身もかなり強くそのことを考えるようになりました。

結構、「自分が人生を終える」とういことを意識して生きるというのは、なかなか難しいことではあると思うのですが、昨今の世界情勢や日本の情勢を見ていると、この辺の腹を括るということは必要なことなのではないかと思うようになりました。

そして、いつかその時を迎えるというのは決して「人生の負け組ではない」ということ。人間はどのような終わり方であれ、寿命であればあの世へ行きますし、まだこの世でお役目があるのであれば生かされるということになります。老衰で終えることが寿命なのではなく、天災や事故、また残忍なことをされるということについても、何らかのことでその時を迎えた場合は寿命、ということなのだそうです。

「この世を去る時」というのは、「今の自分の肉体がこれからの時代に耐えることができなくなったから」とか、「次のお役目のために、今、現世を終えて次の新たな人生に備える必要がでてきた」ということでもあるのですよね。色々なことがあっても、人生を終えずに生かされるということであれば「新しい時代でのお役目がある」ということになります。

ですので、人生が終わったから負けるとか、生き残ったから勝ちだとか、そういうことではありません。
肉体は現世限りですが、魂は永遠ですので、現世での人生を終えても、また生まれ変わって地球に生まれることもあれば、違う星に生まれることもあるわけです。これは、その人の輪廻転生の回数や学びの修練度によって変わってくるわけですが、とにかく、地球から去ったからといって終わりではないのです。

ただ、今、こうして生きている、生かされているときにやらなくてはならないことがあります。それは「やり残しのないように生きる」「悔いのないように生きる」ということ。「いつかやろう」とやりたいことを先延ばしするのではなくて、少しでもできるようにやれるところから取り掛かること。これがとても大切なことなのです。

やり残しのないように生きたら長生きできるという保証はないですが、ただ、悔いのないように生きたほうが人生がどんどん好転していきますし、流れが変わっていきます。人生の終わりの時を考えて「どうせもう終わるから」と諦めるのではなくて、「あー楽しかった!」と心の底から言えるように生き抜くこと。やり切ること。これが重要かと思います。

人が人生を終える時に、神様は「楽しく生きてきたかい?人に優しくできたかい?」ということをお尋ねになるそうです。その時に「はい、楽しく生きられました!人に優しくすることもできましたが、人から優しくされたこともたくさんありました」と言えるような人生を送りたいと、私は「メメント・モリ」を意識してから、このようなことを強く思うようになりました。

来世は、(形を変えて)現世の続きから始まります。ですので、今世で学び残しがあると、その学びを来世でもやらなくてはいけない状況になるんですよね。また、プロになれないにしても、今から何かを学んでいると、来世、そのことで何らかのチャンスを頂けたりすることもあるわけです。ですから、小さなことでもいいので、何かしらの挑戦をなさっておられるとよろしいのではないかと思います。

メンタル疾患で調子の悪い方は、大きな挑戦をするのではなく、小さな挑戦を1日1個やってみましょう。できるところからで良いのです。「今日は昨日よりご飯を少し食べられるようになった」「自分の部屋から出られるようになった」「部屋の中で日の当たる場所に1分いることができた」とかそう言うことで良いのです。小さな挑戦をやっていくことで、少しずつ自信がつきますから、やってみてくださいね。もちろん、無理しない、焦らないことが大事です。

世の中の色々なことに右往左往するのではなく、このような時代だからこそ、もっと自分の人生について考えた方が良いのではないかと思いましたので、この話を共有いたしました。

必要な方に届きますように。

※画像は、「写真AC」からダウンロードしました

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#日本終了

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