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今、ここにいながらに旅をする

「どこかへふらりと出かけてしまうのはどうだろう?」
そんなことを考えては飛行機のチケット予約サイトで、明日の日付を入力し、大好きな思い出の街へ出かける便を検索する。

実際はそんな思い切りもないので、「予約する」のボタンを押すそぶりをわざわざして、スマホの画面をさっと閉じる。

その後は決まって「ここにいながらの旅」をはじめる。

1、Instagramで思い出の地をめぐる

パリから電車で3時間。オーベルニュ地方のネリ・レ・バンという街に行ったことがある。
2014年と2016年の夏に2週間ずつ滞在したので、人生の中で1ヶ月過ごした街である。

何もないことで有名であるらしいオーベルニュ地方を、同じく何もないことが取り柄の自分の故郷と重ねて、ネリ・レ・バンは自分の第2の故郷だと思っている。

「ネリ・レ・バン」の「バン(bain)」は「風呂」という意味で、この街は湯治の街であるらしく、街の中心部には温泉施設が2ヶ所と、湯治客向けのカジノ、オーベルニュ地方出身の作曲家であるアンドレ・メサジェの名を冠した小さな劇場、そしてロマネスク様式の小さな教会がある。

遠く離れた東京の片隅の、小さな自分の部屋で、私はInstagramのハッシュタグ検索で"NERILESBAINS"と検索する。

・何度か行った温泉施設が出てくる。

受付で「日本人のお客さんは初めてよ〜」と言われ、ゲスト帳にサインを求められた。
(街に住んでいる日本人の方の行きつけなので、そんなはずはないのだが嬉しかった)

・4週間入り浸りだった劇場が出てくる。


・この人たちもなにか催し物をしたのかな〜?

・街の中心部から少し離れると畑が広がっている。

この風景にとても感動したのだけど、この写真を撮った人も「素敵だ」と思ったからカメラに納めたんだろうな。

・私の知らない季節の景色を眺める

夏でも早朝には霧が出ていたけど、秋のそれはますます神秘的だなぁ。

湯治の街の秋冬は飲食店も閉店し、ひっそりとするそうだ。雪のしん、とした音だけが聞こえるのだろうか。
秋と冬の景色は知らないので、不思議な気持ちになる。
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自分のフォトフォルダを眺めればいいじゃないか、そんな無粋なことを言うことなかれ。私の知らない誰かが、私の知っている土地をカメラに納めてアップしているのを見るのが好きなのだ。検索すれば映えに映えている綺麗な写真が、わんさか出てくるパリやベルリンとは違って、写真が素朴なのが良い。
基本的に湯治のおじいちゃん、おばあちゃんが出かけて行くような街で、この人は何をしにネリ・レ・バンに行ったんだろう?そんなことを想像しながら眺めるのが楽しいのだ。

2、「移動祝祭日」を読みながらパリの地図を眺める

田舎だけでなく、パリももちろん大好きだ。よく知られていることだが、パリはどんな小さな通りにも必ず名前がついているので、「移動祝祭日」を読みながらヘミングウェイのある日の足取りを探ることができる。

通りを下ってアンリ4世校と古いサン・テティエンヌ・ドゥ・モン教会の前をすぎ、風の吹き渡るパンテオン広場を通り抜けてから風雨を避けて右手に折れる。そこからようやくサン・ミシェル大通りの風の当たらない側に出たらそこをなおも下ってクリュニー博物館の前を通り、サン・ジェルマン大通りを渡っていくと、サン・ミッシェル広場の、通い慣れた、気持のいいカフェにたどり着く。

ヘミングウェイ『移動祝祭日』(新潮文庫)

参照するのはパリっ子も愛用するこの地図である。

細かい描写がないため不確かなところは細い黄色い線で、確かなところは太い黄色の線で示してみる。

↓引用部分のヘミングウェイの足跡

閉館時間をむかえて閉ざされたパンテオンと、サン・テティエンヌ・ドゥ・モン教会をぼーっと眺めてから、ソルボンヌの脇を散歩したことがあった。そうか、この辺をヘミングウェイも歩いたのだな、と自分の旅の思い出と重ねてみると楽しい。(読書ははかどらない)

3、風が吹いたとき、キンとする寒さに身を縮めるとき

旅は視覚にだけでなく、身体にも記憶を刻むものだ。普段の生活で感じる風や、大気や、寒さに、旅の記憶がふとよみがえることがある。

爽やかな風が吹くとき、ネリ・レ・バンの朝を思い出す。芝生の朝露が、サンダルばきの足の指先を濡らしたのが心地よかった。

紫陽花が咲いているのをみると、日本とは数ヶ月遅れて、8月に咲いていたネリ・レ・バンの教会前の通りの赤い紫陽花を思い出す。
単なる種類違いなのか、私の気のせいなのか、ネリ・レ・バンで見た花々は日本のそれより色鮮やかに見えた。

雪が吹き付けて、手袋を濡らしながら傘をさして歩いているとき、初めて一人でパリへ行った時のことを思い出す。
寒波が襲って、パリは大雪だった。悪天候で人気のないヴェルサイユ宮殿の広大な敷地の中で迷子になり、やけくそになって雪原に倒れ込んで人型を作り一人で笑っていた(ホテルへ戻ってから熱が出た)。

眠れない夜、ベッドの中で丸まっているとき、ベルリンのユースホステルで聴いた12月25日の午前0時の教会の鐘の音を思い出す。
はじめての海外旅行で欲張り、毎日毎日街から街へ移動し、移動の疲れとコミュニケーションの疲れの中で、二段ベッドの下段で、イギリスから来た知らない女の子が寝ているのがなんとなく落ち着かなかった。
そんな中聴こえてきた救世主の誕生を祝う鐘の音は、クリスチャンではないわたしにも、厳かに、優しく聴こえてとても穏やかな気持ちになり、それからスッと眠りにつくことができた。

旅先でのふとした記憶が、今東京で過ごしていることの糧になる瞬間がある。今こんなふうに東京で過ごしていることも、いつかまったく違う場所で思い出して、その瞬間の糧になる時がくるのだろうか。

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Photo by Andrew Neel on Unsplash



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