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自分の好きと嫌いを知らずして、心に羅針盤を持つことはできない

数年前の私は、自分の心に羅針盤を持っていませんでした。

だからどこにいても、心からそこが自分の居場所ではないような気がして、どこかへ行ってしまいたくなる。けれど、行ってしまった先にも居場所なんてない気がしていました。

そんな風に感じてしまう理由すらわからなかったから、それはもういつだって不安。不安をかき消すために本を読んだり、闇雲に「何か」しようとしては、何も生み出せない自分を思い知る。
そりゃあもう、暗黒な時代がありました…。

今にして思えば、自分の人生の舵取りを自分でしていなかっただけなんです。舵取りをするための羅針盤も、自分の中に持っていなかった。
どちらへ行くか、何をするか。私はただ、人の目を気にしながら決めていただけだった。

冷静に考えれば、そんな状態は不安に決まっているんです。他者に評価を委ねているのだから。
何をするにも人を伺わないといけないし、何をしても人を伺わないといけない。自分のしたい気持ちや、満足感は置いてけぼり。
安定と真逆の状態です。

でも、その状態を「空気を読めている」と自分では思っていたんですよね。私は学校にいても会社にいても、基本、優等生でした。
それを特に苦しいと思ったこともなくて、それぞれの「場」にフィットさせられる自分を自分で評価していた気がします。

でも、実際はやっぱり我慢をしていたし、本当はこんなんじゃないってどこかで思っていたから不安だったんです。
自分の人生の舵を自分で持とうと決めて、私はその不安から抜け出すことができました。

舵を取るために、私は会社を辞めることにしました。やりたいことなんて一つも見つからなかったけれど、やれることが見つかったから。
それは一見、より困難な道を選んだように見えるのですが、まったくそんなことはありませんでした。

決めてからも全然、航海は順調じゃありませんでした。
あまりにも凪すぎて何も起こらないこともあったし、嵐に飲まれそうになることだってありました。
それでも、私はずっと楽しかった。

舵を取るには、地図と羅針盤が必要です。どちらへ行くかも決められずに船は出せませんから。
その二つともが、自分と向き合わずには持てないもの。
自分が何をしたいかなんていまだによくわかりませんが、自分が何をしていると幸せで、何をすると辛いのかを今の私はわかっています。
これは、徹底的に自分に向き合ったからわかったことでした。

好きなこと、嫌いなこと。
自分の心の声を無視して人の目を気にしていた頃には、どこかに押し込めていた感情でした。
好きになっていいし、嫌いになっていい。
そう思えてからは、小さな小さな自分の声を大切にするようになりました。

私を不機嫌にさせるのは、他人じゃない。
私をご機嫌にさせるのも、他人じゃない。
それは、自分。

どちらへ行くか指し示す羅針盤は、ある日突然、パッと生まれることは決してなく、そういったことに気がつく道のりでゆっくりと出来上がっていきました。
それは自分の心の中にあるから、人がどうであれ針が揺らぐことはもうありません。

不思議なもので、人の目を気にしなくなってからの方が人を愛せている気がするんです。
この人は私をジャッジしないと思えばこそ、私は私のままで人と接することができるから、当たり前かな。

自分の心の声は小さいから、今も、時々ちゃんと時間を取っては耳を傾けています。


以前もこんなことを書いていました。


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Yuka Shibayama
会社を経営したり、オンラインサロンを運営したり、秘書をしたりしているワーママです。

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