見出し画像

「運が良い」ということについて考えてみた

私、ものすごく運が良いんです。
正直、毎日「運が良いなぁ」って思う瞬間があるくらい。

疲れたなーと思ったら電車で目の前の席が空くとか、限定の美味しいものをしっかり買えるとか、そういう小さな幸せ系はもちろんのこと。
人との出会いとか、特に営業していないのに起業した会社が6年めに入っているとか、そういうことも。

あーもう、本当に運が良い。

もちろん、困ったことや残念なことだって日々起こります。むしろ、えらいこっちゃって慌てることは、人より多いくらいかもしれません。大抵、毎日焦っているし。

けれど、そういうことが起きても、「私って運が悪いな」って思うことがないんです。これってどうしてだろうって、ちょっと考えてみました。

例えば、運が良いなって感じるような出来事って、本当に確率論だけで起きているんでしょうかね?
冒頭に書いたような「疲れたなーと思ったら電車で目の前の席が空く」ことって、ここに至るまでに自分の意識とか行動とかがまったく何も働かないとは思えないんです。

ものすごく疲れていて座りたい、という思いがあったとしたら、大混雑の急行電車は見送って、座席が空く確率の高い各駅停車に乗りませんか? 時間の余裕は必要だけど、もしあれば私はそうしています。
さらに、なんか降りそうな人ってわかりません? 駅に着くたびチラチラ駅名確認している人とか、広げていたものを片付け始める人とか。

こんな風にまわりを観察したり、できる対策は打ってしまうと思うんですよね、自然と。だから座れるんじゃないかと思うんです。

同じように、限定の美味しいものをゲットできるのも、日頃から情報感度が高いとか、そういうことに詳しい人と親しくしているとか、何らかの理由があるんですよね。

運を良くすることは、できる。
運を良くするのは、自分次第。
私は、そう思っています。

同じことが起きても運が悪いと解釈することもできるし、こうすればよかったんだなと、自分ごととして次につなげることもできる。結果的には、受け止め方が「運の良し悪し」を決めている気がします。

運を良くする習慣で大切なのは、自分がどうしたいかを良く知っておくこと。それがわかれば、自分が心地良い状態に持っていくにはどうすればいいかがわかるから。

こうして考えていくと、ものごとを受け止めるときには言葉にしているし、自分がどうしたいかを知るためにはそれを言葉にするし、言葉の力が大切なんだなと気がつきます。

もしかしたら、使う言葉が「運」をも変えるのかもしれません。

今夜、食事をした帰り道。乗り換えの駅で、階段を降りたところで電車が行ってしまいました。なんと次は、15分後。明日も仕事だから、早く帰りたいなと思わないでもない。

けれど、おかげでホームで書きかけのnoteを仕上げて公開できそうです。そしたら、電車ではゆっくりできる。

私、本当に運が良いんです。

--------------------------------------------☆
Yuka Shibayama
会社を経営したり、オンラインサロンを運営したり、秘書をしたりしているワーママです。

読んでくださってありがとうございます!サポートいただけたら嬉しいけど、「いいね」だけで胸がいっぱいになります♡