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しかない

最近よく耳にする言葉、「~しかない」。感謝しかない。尊敬しかない。なんて、ポジティブに使うと最上級のように聴こえるということもあって、文化人というカテゴリーのメディア出演者の間でも大流行りだ。

日本語に詳しい方によると、本来の、というか、これまでの日本語では、「~」の部分には、限定された良くない意味の名詞句が入るというのが定説で、「しか」は限定の意味を副える副助詞とのこと。
( https://bibuntai.jp/2020/08/08/supplementary-particle-shika/  を参考にさせていただきました。)

言葉の使い方としては、ただただ感謝だ、や、感謝の言葉が無い、といった表現だったところが、ひっくり返った形だが、文末に打ち消し表現を使いながらも、その方がポジティブさがより強調されて聴こえる感じがする、というフィーリングは理解できなくもない。日本語がこのようにその時代の言葉の使い手によって変化していくことも当たり前だと思うし、その中のよいものは残り、そうでないと判断されたものは、自然淘汰されていくのも、そもそも言葉とは歴史的にそのようなものだ。

しかし!この言葉の専門家の方の感じた違和感には同感なのだが、それに加えて、私は怖い。「しかない」がまかり通り空気が。しかない、と言いながら、唯一それだけが正しい、と言いたい人が増えているのではないかという危機感だ。原理主義とまでは行かずとも、普遍的に皆こう考えるに決まっている、そうでないのはおかしい、というような。

その最悪な結末が、「こうなったら戦争しかない」に繋がっているような。他にもそれに相当する考えがあるかもしれない、という思考の停止。相手、ほかの人はどのように考えるだろうか、という想像力の欠如。他の考えを一刀両断に、それは違う、これしかない、と決めつける姿勢。そんなにおいがしてならない。

私は、折衷案が好きだ。それにはまず、自分はこう考える、が無いと始まらないが、その上で、他の案についても傾聴し、検討し、良い所取りできるような案にまとめ上げていく、そんなプロセスも好きだ。どうせみーんながいいと思うことなど無いに等しい。そこを、できるだけ、といって目指す姿勢でいなければと思うのだ。

そんなに「しかない」言わずとも、いろいろあるだろう、と呟いてしまう今日この頃。

※写真は、竹も桜も夏みかんもみんな一緒に美しいという気持ちを込めてー


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