時空と国境を越えて火中の栗を拾いに行くおはなし
さてさて
京都に住む母の姉のお世話をしていることはお話しました。
お世話と言っても、昨年2月から施設で暮らす伯母の身元引受人としてあれこれ手続きしたり面会に行ったり、ですが。
わりとこまめにご連絡くださる施設で、メガネや入れ歯を作る相談、携帯電話の解約、通帳の整理など、何かあるとすぐに電話がかかってきます。
昨年の6月、電話がかかってきました。
お風呂に行くエレベーター待ちの間に何故か手押しカートのまま階段を降りようとして階段から転げ落ち、救急車で搬送されたとのこと。
入院手続きなどで必要かもしれないと、多少の現金と印鑑を持って救急病院へ急ぎました。
実はその病院が、今私ががん治療で通院している病院です💦
幸い命に別状はなく、お岩さんのように顔を腫らした伯母に一言
「おてんばが過ぎるわ、おばちゃん!!」
そんな感じの伯母と姪。
7年前に伯父が亡くなったあと、九州に住む一人娘(私の従姉妹)が一人になった伯母としばらく一緒に暮らし、その間に名義変更手続きや伯父の愛車の廃車手続きなど相続関係や伯母の荷物の整理などをやっていました。
私はというと、引っ越しの多い生活で、いつの間にか伯母とは疎遠となっていました。
伯母は鬱病を患っており、そのせいか、従姉妹が京都に来ていることも伯父が亡くなったことすら知らせはありませんでした。
また、病の影響なのか買い物依存症のように買い物しまくっていたみたいです。
自分の部屋に収まらないものを7.5畳分のトランクルームに預けていました。
それだけでなく、うちの実家の隣りにある今は誰も住んでいない母方の祖父母の家やこの従姉妹の家にも大量の荷物を送ってました。
従姉妹が亡くなってからはかなり荒んだ生活だったようです。
私はそういう事は全く想像すらできず、電話しなくちゃな、と思いながらそのままになっていました。
伯母の住まいは本当にゴミ屋敷となっていて、地域包括支援センターの方曰く、これはセルフネグレクトだと。
そして大阪の伯父に連絡が行き、そこから東京の従兄弟と私が面接に伺うことになりました。
伯母のかかりつけの病院内にあるデイケアセンターの担当の方と、地域包括支援センターの方のお話で、私の知っている伯母はもう存在しないのだと理解しました。
頑なに人を寄せ付けなくなっているため、同じ市内に住む私の存在を知らせていなかったということです。
伯母の住まいの荷物は、人一人が通るのすら困難なくらい物で溢れていて、貴重品がどこにあるかすらわからない状態。
家財は全て廃棄処分となりました。
その手配は地域包括支援センターの方がやってくださいました。
一旦ショートステイにお世話になりながら、ほうぼうにあたって、たまたま市内の施設に空きが出たということで、今の施設に入居が決まりました。
そして、私に特別なミッションが。
トランクルームの荷物の整理&撤去を仰せつかりました。
毎月3万円払ってましたから💦
3月末までに全て撤去して欲しい、と。
このように床から天井まで荷物がぎっしり。
ちなみにこの奥にはトイレットペーパー12ロール入が15袋とヴィトンとシャネルのバッグがありました。
全てまとめて廃品処理業者におねがいできればよかったけれど、ここは居住地ではないので市の管理下ではなく、結局分別はこちらでしなくてはいけないということでした。
ここから1ヶ月半、毎日バスを乗り継いで荷物整理の日々。この話はまたいずれ。
とにかく量がすごかったんです。
で、ここに来て新たな問題。
殆どのものは業者さんに処分してもらい、あとは古書店や、リサイクルショップに引き取ってもらいました。
伯母の着られそうなものやリネン・タオル類、手紙や細々したものは一旦我が家の天井収納に置いていました。
そのうちの一つの段ボール箱を整理していたら伯父名義の通帳発掘!
相続関係の手続きは終わったのに。
記帳したら、公共料金引き落とし専用口座で、伯母の引っ越し前後まで引き落としがありました。
さて。
伯父の通帳、一体どの印鑑なのか皆目見当がつかず。
伯母は自分の口座ですら、どの印鑑かわからない状態でした。
伯母の持っていた印鑑、自分の旧姓はまだしも、私の母方の祖母の実家名義のものまでありました。
たくさんあるのに該当する印鑑がない!
伯父の印鑑も、おそらく自宅の荷物を処分した時に一緒に処分されたのでしょう。
伯父の印鑑行方不明につき、伯父の戸籍謄本と伯母の委任状、伯母の住民票を持って銀行に。
本人死亡を隠して話してもいつかはバレるし正直に話しました。
なにせ伯母が肝心のことになると、殊に伯父のことになると言うことが曖昧になってしまいます。
そして本人が銀行の窓口に来て手続きをするのは非常に困難です。
自分の名前を書くのが精一杯なので。
これが数百万とかなら頑張ってはんこを探したけれど。そこまでの額ではなかったし。
相続関係のブースに案内され、そこで
〈伯父の原戸籍を取り寄せて、伯父の両親、祖父母まで遡って生存確認するように〉
と。
相続人を確定させなくてはいけない。
伯父は大正生まれ。
もし伯父の両親が存命ならば、多分長寿世界一。銀行さんはわかっててもそれを求めてくる。
調べたら、今は原戸籍からもろもろセットで請求できるらしいです。簡単でよろしい合格(3000円程度とか)。
それはいいとして伯父はブラジル生まれ!
もしかしたら戸籍に空白の期間があるかもしれない、とは銀行の方。
そうすると、またややこしいことになるらしい。
さらに言えば、伯母夫婦は私の祖父の妹の養子になっています。
つまり、夫婦で自分の叔母の養子となったというわけです。
大叔母のことは私もかすかに覚えています。
満州で夫を、沖縄戦で息子を亡くし身寄りがなくなり一人暮らしをしていました。
伯母の夫婦は養子といっても同居することはありませんでした。
この辺の事情はそれこそ大人の事情で、子どもだった私には知るよしもありません。
ということは、そちらの系統も辿らなくては?
はっきり口にはしないものの、係の方の顔には
「その苦労と手間はこの額には見合わないと思いますよ」と顔に書いてある。
残高
56000円。
口座はもう止められているので、手続きしないと口座が残っているという状態が続く。
相続人のいない口座は国庫に収納される、といった法改正がなされない限り、永遠に伯父名義の口座が残る。
伯父の生きた証として残してもいいかな
と思いつつ
伯父の人生をたどってみたい気もする。
夫婦のことはその夫婦にしかわからないけれど、端で見ていても伯母が伯父を好きではないのは子供の頃から感じてました。いや、毛嫌いしていました。
一方の伯父は、伯母のことをとても大切にしてました。
私はこの伯父が大好きでした。
伯父は少しでも多くのものを伯母に残したかったんじゃないかと思います。
残された書類を見ると、85歳まで働いていました!
ちょっと頑張ってみようかな。
伯母の印鑑証明もいるらしいけど、かつてトランクルームの名義を伯父から伯母に変更した際、伯母が印鑑証明を提出したときのコピーが残ってるので、伯母の印鑑証明は取れます。
亡くなった従姉妹がやり残した手続き、やっぱり頑張ります。
うん。やってみよう。
これもがん治療に目処が立ったらやりたい事の1つ!
yukaちゃん、お願いね、と言う従姉妹の声が聞こえた気がしました。