に:感性のありかた?

昨今のじぶんは、以前に比べてさらに人と対時することが多くなった。
自分だけが自分の感覚で理解していた、しているつもりだったことを、【第三者に伝える】ってほんとに難しい。
私という性格上なのか、感覚メインで扱うこと、理屈メインで扱うことを分けているようで(でも考え方の根本は結構理屈っぽいと思ってる:母親似)

この「感覚」として扱っていたことに理由づけをしなきゃいけない場面が増えてきていることが悩ましい日々。

悩ましいっつったって、うーんうーんってあたま抱えてるって意味じゃないけど。

幼少の頃から(なぜか面接口調)なんだかんだでいつも音と一緒にいたわたし。
人から言われて「良い音」を知るフリをしていた時期もあったりしたけど、今マジで「良い音」ってなんなの?って考えてる。

『コレが良くてコレはダメ』なんて言い切れる時代じゃない気がするんだよなー。
CDで音楽聴くことが全てではなくなってきてるし。サブスク使ってスマホで音楽聴けるって便利だよ。単純に。
楽曲完成までの全てをAIが作ってそれがバカ売れ!なんて時も来るかもしんないけど、いま私が思うのは、人がいて製作の過程があるってこと。
世の中に拡めるためのカタチはある程度決まっているから、同じカタチだけど中身はその「過程」によって違うんじゃないのかね?
見た目は同じバターロールだけど食べてみたら片方はチーズ入りだった!ラッキー!とか。

とはいえ、そもそも美味しいバターロールを作るためには自分が最高に美味しいと思えるバターロールを知らないと作れないか。
どんくらい美味しいものを知ってるかで自分が作るものの味も変わるか。ふむふむ。

目に見えるもので考えた方がわかりやすかったわ。

目に見えないものを考えるってやっぱ難しいよなー。音も音楽もセオリーはあるけど、最後は個人の感性が決め手な気がする。

そう、結局「気がする」としか言えない。

私の感性ってどうなんだろう?
良し悪しよりも、好き楽しいが真っ先にあって、そこを通過してから吟味する派かな。

あーだこーだ言ってないで勉強しろってことか。

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