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角屋 sumiya

揚屋建築の条件
・大座敷があること
・その座敷に面した庭があること
・その庭に茶席を配すること
・お寺の庫裏と同等の台所を備えること

で、揚屋とは?

揚屋というのは舞妓さん、芸妓さんがくる、いわゆる料亭兼大型宴会場。
この「角屋(すみや)」は現存する唯一の建築物という訳で重要文化財。
1641年竣工なので築380年。

京都において最大規模の宴会場だったこともあり、なんと幕末には志士や新選組がたちがあつまり会合や宴が催された場所。ここの松の間で宴会を新選組が催したあと、新選組の滞在していた八木家に戻り、さらに小宴を行ったのち泥酔した初代新選組局長芹沢鴨は新選組の手で暗殺されたというエピソードなどを持つ。ただ厳密にいうとこの松の間だけは大正末期のボヤで焼けたときに再建されたので対象外らしい。ただそれでも素晴らしい座敷。

当時の刀傷なども残ってるのもスゴい。

JR丹波口駅から少し下った辺りの角屋があるこの辺りは「島原」と呼ばれていて、道路がアスファルトではなく石畳。かつては京都六花街のひとつ。今ではこの島原が抜けたために京都五花街となっている。
元々別の場所にあった花街を1641年に当時、朱雀野と呼ばれたエリアに強制的に移転された時のバタバタした様子が島原の乱の時のゴタゴタした様子に似ていたためについたという説が有力。

今は正面玄関は閉ざされていて、台所だった場所から入って見学ができるようになっている。正面玄関場所から入って上がるところに向かう敷石が斜めになっているのはまっすぐ入ると奥の庭が見えないから。


入ると刀置きや、その裏に隠し扉の中にある二階への階段がある。


なかなか老朽化が進んでいるので二階の見学は予約がいるらしい。
台所は五十畳あり、いわゆる大黒柱と小黒柱(初めて聞いた)で支えられる。江戸時代からのかまど、箱階段、床に置く行灯は働く邪魔になるからと天井につるされた八方と呼ばれた明かり。

そして転ばないためになんと江戸時代からバリアフリー。


とどめは西郷さんが行水に使ったといわれるたらい。

戦時中、日本軍が大きな建物は空爆の標的になるから壊すよう命令にきたところ、このたらいがあるのを聞いて、上司に確認している間に終戦を迎えたらしい。

お座敷の天井に8mある北山の1本丸太を使ってあったり、釘隠しの装飾が細かかったり、当代の粋が結集された感がある。


神は細部に宿る。

聞く話すべてが圧倒的で、深い。
寺社仏閣でなくてもココロ震えるくらいの価値を感じる建築がここにも。

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