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”I”を取り戻す処方箋:旅

旅にはいろいろな効能・効用があると思う。

諸説あるし、
旅人によってそれぞれ”効能”的なものは違うと思うので、
一概に”旅とはこうだ!”とか”旅の効能は・・・・”と、
言い切れるものもないと思うし、
あくまで超個人的な意見だが、
一人旅(二人でもいいが・・)の効能と言えるものに、
”自分を見つめる時間”を過ごせることがあると思う。

常に社会の目、隣人の目、取引先の目とかいろいろな人がそれぞれの中(脳内)で形成する自分の器におさまったり、
人の目にうつる自分をみて、それを完璧に演じきってしまうひとも
この現代社会では多い病のようにも思う。
(病というかもはやそれは人のサガ・・・かも)

一旦その”他社の演じるゲーム”を離れて
”自分とは何か”を見つめるには、
”自分を知る人が全くいない土地に行ってみる”
というのはすごく良いリハビリになると思うのだ。

だれも知っている人がいない場所、
誰も自分を〇〇さんと認識しない場所、
そんなところに行き、
初めてのものを食べて、
見たことない景色を見る・・・。

自分がなにものでもないということは自分は何者にもなれる、何
者でもなれるという意味でもある。

横にいる誰かに気兼ねすることなく、
きれいとか、
おいしいとか、
ときには”しょうもない”とか言ったり、
意味もなくはしゃいでみたりもできる。

そういう自由さを得られ、
自分が何を心地いいと思うか、感じるかを観測できる。
自分らしさの軸が何か、
自分のコアを取り戻すことができる、
それが旅の本当の魅力なのではないか。

自分というものがどこかに埋没してしまったと思う時ほど、
家とか過去とか家族に聞いたりとか、身近で探すのではなくて、
真逆のアクションをとる、
つまり、遠くに行くといいと思う。

どれだけ有名な人でも、
どれだけ力がある総理や大統領でも、
言葉の通じない、なんなら風習・風俗も全く違うところに行くと
ボディランゲージや表情のみで意思を伝えるしかなくなる。

そこには”今までは〜”とか”私は〜〜です”ということは
全く意味をなさない。

ただの原住民(地元の人という意味で)と
旅人という間柄以外なにものでもないのだ。
それこそが裸の付き合いというものではないか、とも思う。

そして現代という情報が行き交い、
セルフブランディング(知ってもらおうとする行為)が
横行する社会だからこそ
”本当の自分で過ごせる場所・本当の自分に戻れるところ、
自分を見つけられる場所・行為”がさらに重要になると思う。

そしてその行為とは”旅”だと、
こうしてまた旅に出て、
改めて思うのだ。

”I"を見失い、情報の海の中にいるだけで”何者かになってしまえる”時代からこそ、そんな幻想を振り払い、靄の中から脱出し、
本当の自分を見つめる・取り戻す・・・それが旅のパワー。
自分探しをしている人ほど、情報の海の中にいる人ほど、
旅に出てみるといいと思う。

ここではない何処かに行く。

そうすると、素敵な風景に出会い、
なんならご縁を感じる人にも出会うかもしれない。

そして、
”自分も知らなかった自分に出会う”ことも
あるかもしれない。

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