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いまをいきるためのいま

タイトルが”バグった感じ”がするかもしれませんが、
文字通り、なんのひねりもないです、そのまんま、みたまんまです。

ただ、変換していないので分かりづらいと思いますが、正確に書くとするとこうなります。

”今を生きるための居間”

最近、思じること・感じることは、
「考えすぎ」たり「過去・未来」を生き過ぎると
人の感覚・特に体は衰えていくなぁということ。

それは”老化”が進む・・・といった意味ではなくて、
ただ、自分がゾーンにはいる時間、無我でいる時間がえづらくなり、
だんだん己の体と思考が分離していく・・・ように思うのですね。

どうしても現代人は情報過多の生活環境になりがちで、
情報摂取も食べ物の質(便利ではあるけれど、健康上どうだろうというものとか)もなんだか”本来の生物”のそれとは少々異なるものに傾きがち。

過剰な便利さ、
のめりこみ、沼化する面白さ、
エンタメ・携帯・等々の中毒性・・・
いろいろなものが人間生活に入り込み、生物としての”基盤”から
逸脱することが容易になってきている・・・そう感じています。

そのため、居間の存在を今、あらためて見直してみたいと思っていて。

ゴロンとする、ご飯をみんなで食べる、
ソファで本を読む、音楽をただ、聞く、
映画を見る、座禅を組む、

なんでもいいのですが、ベッドでもデスクでもダイニングでもない、

なにをやってもいい、ゴロン空間、居間。

五感を使って楽しみ、ただ、なにもしない、とかもありの場所。

そういう”無の用”みたいなものこそ、
これからの時代にはひつようになってくるのかも、と。

心地よき風が流れる、
そして、時に無になれる、
そんな、いい居間が作りたい。


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