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久しぶりに激怒した話

自分で言うのも変だが、
私は基本的には怒らない。

怒っても損というか、
怒っている自分って”本来はいない”と思っている。
(喜怒哀楽の”ど”はドーナツで代用したい派)

また、怒っている自分を客観的に見ると
”おこっている演技をしているようにしか見えない”ので、
イライラ〜ってすることはあるが(しかも頻度高めにw)怒ることは、
基本、ない。


ただ、”え、ええぇ〜〜〜”みたいなことが先日あり、
久しぶりに血管が切れそうになった。

具体的な話はさておき、
ふと思ったのは、

「あぁ〜
ああやって怒らせてくれたことで、目の前にある”怒るべき?怒る対象?”
意外のものでイライラさせられていたけど出さずにたまっていたことや、
なんだかストレスで抱えていたことを全部いっぺんに出させてもらったんだなぁ〜」
ということ。

体って正直で且つ、うまくできていると常々思っていて、
無理しまくると風邪ひいいて寝込んだりして、”しっかり休めたり”もするし、嫌なことあったりすると”お腹痛くなったり”して、学校に行けなくなったりもするし、聞きたくないことばかり聴く環境にいると耳が聞こえづらkなることもあるだろうし・・・とか、
まぁそれらが”エビデンス的なもの基づいたものかどうか”はさておき、
全ては循環とか心の動きによって差配されていると感じている。

とすると、今回”激怒すること”が起きた原因がは
ある製品の呪い(不良品ということね)だったのだが、
それ自体がもし、私の体に溜まり溜まったイラネガボムズの全部を浄化・清掃する目的で起きたとするなら「あぁ〜そういう人・こと・ものの存在自体がありがたいなぁ〜」と思う。

きっと大きなことが起こる前にそうやって、”大事件が発生する前に”立ち止まらせてくれたんやなぁ〜と思うとありがたすぎて、もう感謝しかないではないか。

転ばぬ先の杖なんていうが、
もちろん杖があるに越したことはないが、
たぶんコロンって転んでもいいのだ。
車にひかれなければ。

こけてもグキッとなってもきっと大丈夫。
誰かにぶつかって他者を巻き込むよりはずっといいではないか。

あ、ちなみに久しぶりに激怒したけれど、
(あ、誰にもそれは直ではぶつけてません。
親しい人に愚痴らしく”ねぇねぇきいてくれる〜って愚痴ったけれどw。)
なんだかものすごくすっきりした。
ありえないほどにすっきり、シャッキリした。

今では私をあれだけ苦しめた(二年)
”某製品の呪い”(苦笑)にも感謝が出来る。

ヤヴァイ。
一歩大人の階段を上がったな。
できた、私。
やったった私。

ちょっと自画自賛、私。

苦笑

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