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公開された教育実践を冷静に捉える視点7

様々な教育実践を様々な手段で得られる時代になりました。
華々しい実践や憧れる実践もたくさんあります。

それらを自分の実践に活かそうという気持ちは大事ですが、
あまりの凄さに自分の自信をなくしてしまうこともあります。

そうならないためにも、公開された教育実践を冷静に見る視点を持ちたいなと思います。
逆に言えば、自分が発信する際、指導する際、次のことに気をつけたいです。


良い板書=良い授業?

板書例が公開されることがあります。
こんなすごい板書なら、すごい授業だったのだろうと思わされます。
しかし、板書がきれいなだけで、良い授業とは限りません。
子どもは黙って、黙々と書いていただけかもしれません。


一部の子供の作品

図工の作品や子どものノートが公開されることがあります。
圧倒する子どもの事実が示されることがあります。
でも、それが数人だったらどうでしょう。
たまたまうまくいった子の作品かもしれません。


何時間かけたのか?

全員素晴らしい作品、素晴らしい意見文だったとしましょう。
その指導に何時間かけたのでしょう。
たくさんかけてできたのと、一定の時間でできたのとでは価値が違う気がします。


どんな指導をしたのか?

算数のテストが平均95点でした!
と聞くとこれは本当にすごいです。
しかし、前述のように何時間かけたかということと、どんな指導したかは
大事な視点です。
テストに出るにた問題を、何回も練習させれば、点数はそれなりに上がります。


子どもがどう思っているか?

様々な華々しい教育実践の事実の裏で、
授業を受けた子どもはどう思っているか、これは大事です。
結果はすごいけど、子どもは嫌々やっていた、なんてこともあります。


1時間の授業は騙せる

じゃあ、実際に子供の姿を見ようという話になります。
素晴らしい1時間の公開授業は何度も見たことがあります。
私も逆に「先生の授業良かった」と言われたことがあります。

しかし、1時間は最大瞬間風速が出せます。
子どもも頑張るし、教師も頑張れます。
1時間の授業だけでは、本当のことはわかりません。


1日見たらだいたい分かる

1日、学級を参観したことがあります。
こうなると、子供の様子も教師の振る舞いも騙せない気がします。
いつもの日常が出ます。
空気感が分かります。

私も4時間公開したことありますが、何も騙せず
子どもも素の姿でした。


結局、長い時間、生で見なければ、本当のところはわからないというのが私の実感です。

もちろん、様々な教育実践の報告は役に立ちます。
しかし、それは一面的な状況の現れだということを忘れてはいけないと思います。

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