昔話その4(終わり)

さて音楽仲間が欲しくなった僕は
どうしたかというと。。。

この頃やっとネットが一般化してきたあたりです。

パソコン通信という単語を聞かなくなり、「いんたーねっと」
という言葉を街中でもよく耳にするようになりました。

携帯も白黒からカラーになり、アイドルが
「携帯で振り込みとかできちゃんうんですよ~」
というCMが始まり、iモード幕開けです。

もう※2※2じゃなくなったんです。
時代は「Eメール」です。

この頃はまだ音楽雑誌をいくつか定期購読しておりました。
必ず見ていたのは「メンバー募集」と「売ります買います」。

メンバー募集は利用した事なかったけど、
「売ります買います」には結構お世話になってましたね。

自分の部屋の防音室(0.5畳)もこれで譲ってもらいましたからね。
(あまり性能が良くなくてその後粗大ゴミになるのですが、、)

ネット文化が一般化するとメンバー募集もネットで見かけるようになりました。
まだ普通に電話番号とか住所とか載せてましたねw
今考えると恐ろしい。。

サックス募集にいくつか応募し、実際にお会いして
良い出会いに恵まれました。

今でも交流は続いている人もいます。

ひとつ気を付けていたのは「初心者歓迎」とか
「みんなで一緒に上手くなりましょう」
みたいな募集には応募しませんでした。
上手い人と一緒にやらなければ意味ないですからね。
見切られないように頑張ればいいのです。


こうやって幾つかのバンドに所属させていただいたり、
お手伝いということで本番だけ演奏したりという活動を
アルバイトをしながら数年やりました。
長く続くものも一回で終わるものも含めてかなりの
経験を積ませていただいたと思います。

ただ歌のバンドが多かったので他の管楽器の人と
お友達になることはほとんどありませんでした。

ジャズもほとんど経験がなかったので、
社会人ビッグバンドもいくつか経験しました。

社会人ビッグバンドというのは結成年数が長いところが多くて、
割と考えが堅いというか、「こうでなければいけない」
みたいな雰囲気のところが多くて、しかも毎回同じ曲を
やるのですが毎回同じところで間違えているのに、
スルーしていたり。。

そういうところは苦手でしたけど、こちらもビッグバンド初心者なので
口は出せず。。
吸収するべきところだけ勉強させてもらって、早々に去りましたw

今いくつかの社会人ビッグバンドのコーチもやっていますが、
そうならないように心がけているつもりですw

僕は割とこうストイックというか、自分を追い込んでいくのが好きですw
練習も嫌いなので練習をしなければいけない環境を作るというか。。

スタートが遅かった分、良いことも嫌なことも経験をどんどん積まなければ
と思っていた時期です。

なんでもやりました。

小池さんの現場に付いて行き
プロ中のプロの仕事をたくさん見学させていただいたり、
セッションに行って知らない曲を吹いたり、
ダンスホールのトラをやったり、
全ては今に繋がります。

そしてサックスというものに少し慣れてきた頃、
サックス→ジャズ→ニューヨーク
という図式が頭の中に浮かび上がってくるのです。

ということでニューヨーク1回目です♪

一緒にバンドをやっていたドラマーと二人で、
アパートタイプのホテルを借りて二人で同じ屋根の下w

毎晩ジャズクラブに行き、小編成からビッグバンドくらいの大編成まで
ハシゴして観まくりました。参加できるところは少し参加して♪

20代前半の僕は向こうでは小学生くらいの扱いでしたね。。
もう遅いから帰れみたいなw

音楽以外にもカルチャーショックなこともたくさんあり、
この時のニューヨークでの経験がなければ今はないと思います。

現代のネット社会において
ニューヨークで勉強できることは日本でもできるから
行かなくてもいいよー
なんて人もいますが、
僕は行くべきだと思います!

空気だけ吸ってきてください。それだけでもプラスになるでしょう。

そしてとにかくお金がなかった。。

マクドナルドに行って巨大なポテトを何回かに分けて食べたり、
毎朝路上にくるコーヒー屋でベーグルとセットで1ドルのメニューで1日過ごしたり。。

昼間はやることないのでセントラルパークで昼寝して、楽器屋行って。。

あー書いててまた行きたくなっちゃいましたw


こうしてたくさんのインプットがあって、今のアウトプットに
繋がるのであります。

日本に帰ってからも音楽の仕事はありませんでしたが
少しずつ増やしていくことができました。

専門学校の講師、六本木の夜店、ギャラの発生するサポート。

どれも大切な仕事です。

この頃バイトを辞めて音楽だけでいくぞ!と決めたあたりですかね。

バイトは色々やりましたが、
ほとんど楽器屋です。
中古の楽器を安くゲットしたり、
知り合いが出来たり、楽器の情報にはかなり強くなりました。
でもこの頃は時給800円です。
同じ時間割くのであれば時給が良い方がいいと思って、
トラックの運転手もやってましたw
一時期は正社員になって大型免許とって長距離もやってました。

まあ一生トラックやるつもりは無く音楽に飢えてましたけどねw

カーナビもテレビもない時ですから、家を出る時は「ワシャッ!」と
CDを山のように助手席において旅気分♪

それはそれで楽しかったです♪


この時25歳。

そろそろ人生設計をしっかりとするべき時です。

友達たちは22歳で就職し、軌道に乗ってきたあたり。
会社を辞めた人もいるけど、やりたい仕事に向かって頑張っている。

僕もしっかりしなければ!という気持ちでした。

この仕事を始めたからには一生フリーターみたいなもんですw
覚悟を持って生きて行こう。

そうしてこうして今なんとか生きています。


このコロナの影響は個人的にも国際的にも
甚大な被害でしょう。

亡くなられた方も多く、ここまでウイルスのパワーがあったなんて、
数ヶ月前まで誰にも予想できませんでした。


今なんとか経済を戻そうと世界が努力してますが、
音楽業界の打撃が復活するのはそれよりももう少し後になるかと思います。

その時にあの時間がたくさんあった時に何をしていたんだろう?と
ならぬように出来ることをやるしかないのです。


今のことを将来「昔話」として書けるように。。。



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