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《第1回》 紛争地の歩き方─現場で考える和解への道(ちくま新書、2023年)

【シリーズ概要】本シリーズでは、拙著『紛争地の歩き方─現場で考える和解への道』(ちくま新書、2023年)から一部を抜粋して読者にお届けする。(写真:アフガニスタンにて、知らぬまに地雷原に入ってしまった。地雷除去要因が真っ青な顔で駆け寄り注意してくれた。)

はじめにー見て、感じ、考える旅

本書から何が得られるか

  1. 世界の紛争地を歩くことで見えてきた和解の本質を学ぶことができる

  2. コロナ禍が過ぎ去ったとしても、紛争地を気軽に訪問することはできない。それでも、紛争地について知りたい。そういう読者のために、本書では和解をめぐる旅の疑似体験を約束する。

  3. 「コロナ後は自分も紛争地を歩いてみたい」と思っている好奇心旺盛な猛者のために、本書では役立つ具体的な旅のヒントを惜しみなく提供していく。

内戦後の和解の旅

川下りの旅

 さまざまな紛争地で実際に私が取材してきたことをもとに、和解をめぐる物語を紡いでいく。私が訪れた紛争地ので和解をめぐる取材の旅を疑似体験することで、世界の紛争地が抱える諸問題を考えてみよう。そして、あなたの身の回りの問題、あるいは日常生活の中で見過ごされてきた課題について、一緒に考えていこう。

コラム1 蚊との戦い

 私が紛争地を歩くときに、よく悩まされたのが蚊。今どき蚊帳を見たことがない人もいるかもしれない。蚊帳は紛争地を歩くときには必需品だ。
最初にインドネシアのアチェを訪問したのは、二〇〇四年の年の瀬にスマトラ沖大地震とインド洋津波が発生した直後だった。そのときに滞在したホテルは、津波によって大破していた。私がチェックインしたときには、まだ復旧中。私の部屋には、なんと天井がなく、仰向けになると満天の星空が広がっていた。
 ただ、空天井から蚊が大量に部屋に侵入するため、おちおち寝ることもできない。蚊帳を持参したが、蚊帳を吊るす天井や梁がない。部屋を変えてもらおうと交渉を試みた。
「あいにく本日は満室で他に部屋が空いていません。代わりに殺虫剤をどうぞ。足りなければ、また差し上げます」
 しかたなく、殺虫剤を部屋中に撒き散らし、虫除けクリームを塗りたくり、レインコートを着て寝ることにした。しかし、夜通し顔や手足を刺され続ける始末。雌の蚊が出産に必要なエネルギーを得るために、決死の覚悟で血を吸いにくる。そんな特攻作戦を防ぐ対空砲火はなく、蚊はレインコートのなかにまで侵入してきた。全身が痒くて一睡もできない。翌朝になって蚊に刺された箇所を数えると、なんと百二十か所も刺されていた。マラリアやデング熱などの感染症に罹ったのではないか、と心配したが、何もなかったのが不幸中の幸い。
 カンボジアでも蚊には悩まされた。当時、田舎では「トイレ」という概念がなかった。人々は、草むらで用を足す。実は、アフガニスタン、東ティモール、ヤップ(太平洋の島)でも、地方に行くとトイレがない。
 内戦直後のカンボジアでは、多数の対人地雷が埋められたままで、草むらに踏み入ると危ないと注意された。では、どこで用を足せばいいのか。一番安全(?!)なのは、往来の激しい道路の真ん中。ということで、往来が途絶えた隙を見て、路上で野糞作戦を決行。しかし、ズボンを下ろすやいなや、白い尻めがけて無数の蚊が襲来。一度に、何本も筋肉注射をされたような、痛みと痒みが襲う。たちまち、尻は赤く腫れ上がる。日本の蚊とは針の太さが違うのか。日本の蚊は、忍者の吹き矢だ。気づいたら刺されている。カンボジアやアチェの蚊は、槍隊だ。集団でグサッと突き刺してくる(チクッ、ではない)。本当に痛い。
 アチェのホーンテッド(呪われた)ホテルでの一夜を明かした後、全身が腫れあがった体をホテルのオーナーに見せながら苦情を述べると別の部屋(天井がある!) に案内された。
 こんなホテルだったが、隣にコーヒーショップがあり、重宝した。津波によって家を失い、稼ぎ頭を失った未亡人が経営していた。女性のストッキングのような薄く長い布を使ってコーヒーを濾す。そのストッキングのような布を高く掲げ、踊っているような仕草で、コーヒーを淹れてくれた。

(つづく)

紛争地の歩き方──現場で考える和解への道 (ちくま新書)
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