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デザイン思考とアート思考

某筋肉インストラクター姉さんと話をしていて触発されたので、最近考えていることを、放置していたnoteに書いてみようと思う。

最近、アートやアーティストに触れる機会が増え、自分のアート創作欲のようなものがムクムクしてきたのですが、彼ら彼女らを近くで見ていると、作ることが呼吸することと同じように、「ただ生きてるだけですけど?」みたいな雰囲気で創作をしているような、そんな印象を受けます。そこには意図や何かを改善したいみたいな自意識はなく、「あ、こんなんできました」みたいな感じなのですが、それが見る人をすごく楽しませたり考えさせたり、聴く人を感動させたりしてます。(もちろん意図をもって創作をしている方もいらっしゃいますし、プロの「アーティスト」と呼ばれる方はそういうものだと思いますが)

前にアートは問でデザインは答えだ、みたいな言葉を見た気がしますが、そんな難しい感じではなく、「何かやってたら楽しくなっちゃった」とか「なぜかわからないけどどうしてもこれを作りたかった」とか、そんなものがアートと呼ばれるようになったのではないかなと。かたやデザインは、何か目的や課題があって、それを伝えたり解決したりする手段になるのだと。アートはそれ自体が目的、デザインは手段。

お店に限らず、ビジネスをやる上ではデザイン的思考が重要になってきますよね。でもなんだか、デザイン思考ばっかりでいると、全部おんなじようなものになっていくというか、効率や正確さが重要視されて均質化していき、しまいにはあら探しをするかのごとく無理矢理にでも課題を見つけ解決していく、みたいなことになっているように、最近感じることが多くなりました。


そもそも、課題ってそんなにあるんだっけ?なんか自作自演になってないかな。

それよりももっと楽しめることにフォーカスしたほうがいいのではないかな。


某素敵コーヒーショップが掲げていたキャッチコピーに「コーヒーとの思いがけない出逢いを」というのがあるのを思い出しました。なるほど、よいコピーだなぁと思いました。「コーヒーを飲みたいな〜」というお客さんの課題に対して、「こちらがあなたの望んだコーヒーです」、ではなく「こんなコーヒーもあります」「え、こんなコーヒーもあるんだ!思ってたのと違うけどなんかハッピー!」みたいなことですよね。手段が目的に変わる瞬間、デザインがアートになる瞬間。(本人に聞いたら若干ニュアンスが違ったようですw)

そんなコトを考え、生まれてきたことをもっと楽しみたいな〜なんて思う今日このごろです。

うーん見事まとまらない駄文になったw。でもとにかく書くことが大事だ!ということで天才の動画でも貼っておきます。

glassmondライブやります。(告知かよ!w)


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