池に行け。
2021年1月〜12月に撮った189枚の池の写真。
運動不足解消と、なるべく自然の中に身を置きたいと思い、
2021年1月から、可能な限り毎日、近所の池の周りを散歩するようになりました。
養老先生も自然の中で遊べと言ってたし。
自然の中では、自分が能動的でいられるような気がします。
一見、なんの変哲もない池ですが、
目と耳と鼻と肌をフルに意識してみると、
一瞬たりとも同じ景色ではないことに気づきます。
水面の波紋のかたち、
その水面に映る雲、
風に揺れる枝のしなりぐあい、
太陽の光の強さ、色の温度、雲のかかり方、コントラストの強さ、
鳥の飛ぶ軌跡、
水の流れる音、
カエルや白鳥や、無数の虫たちの鳴き声、
風が通り過ぎる音、
雪を踏みしめる足の裏、
むせ返るほどの夏の湿気や、肌に刺さる冬の寒さ、
ーーー、
これ以外にも、挙げればきりがないほど、
刻一刻とその状況は多様に変化していく。
その情報量は凄まじく、
一瞬たりとも同じ表情がない。
それぞれの要素が、それぞれに影響を与えていて、
それでいて多くは干渉しない。
複雑な関係性が、複雑なまま、秩序とも言えないような秩序が保たれ、
皆ただそこにある。
アート的だなって。
常に変化する作品。
これ以上、見ていて飽きないものはないんじゃないかってくらい、
ずーっと見ていられる。
ただの池だって、
見る(意識する)側次第で、いくらでもその姿を変える。
逆に、見る側の能動性を問うてくる。
自分自身も、この自然の一部でいられたらいい。
一瞬たりとも同じ自分はいない、
今日の自分は昨日の自分とはまるで違うけれど、
一貫性はないけれど、
それでも他者との複雑な関係性の中で、
秩序と言えない秩序を保ちながら、
自然を構成する要素の一部となって、
自分の生を全うできれば、
それが一番いい状態なのかもしれない。
そんなことを、1年間、池を見続けて思いました。
明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。