きょうも、「不安定」と、いきていく。
「誰からも必要とされていない」
そう考えてしまうのは、とてもかなしいことだ。
拾われては捨てられる、逆ではない。
ちょっと、「ことばのマジック」についてお話しようと思う。
「〇〇だけど、○○」
前者と後者には、ポジティブワードかネガティブワードのどちらかが入る。
組み合わせはふた通り。
ポジティブ→ネガティブ
または、ネガティブ→ポジティブ
「ポジティブなことがあって、ネガティブなことがある」という、どちらもその意味としては同じことをいっている。
ただ、受け取る印象として好ましいのは、
ネガティブ→ポジティブのほうで、ポジティブワードで〆たほうが相手に好印象を与えることができる。
たとえば、「今日のテスト、がんばったけど、ダメだった…」よりも、
「今日のテスト、ダメだったけど、でもがんばったんだ!」のほうが、なんかいいでしょ。
だからわたしは、極力人と会話するときは、ポジティブワードで〆るようにしている。
しかしながら、今日ばかりはそんなマジックを使うことができない。
わたしは、拾われて、捨てられるのである。
わたしの今日のMPは、すでに0だ。
すてられたおんな
わたしは、またしても、「家から出ていけ」といわれた。
わたしは、必要のない人間なのである。
だれからも必要とされていない人間だ。
わたしは、日本では何不自由なく生きることができた。
実家に住んでいたわたしは、なにもしなくてもたべものをたべることができた。
きれいなお水を好きなだけ飲むことができたし、あたたかいお風呂に入ることができた。
夜はふかふかのおふとんで眠ることができたし、朝おきたら「おはよう」とほほえんでくれる、家族がいた。
わたしのことを、たいせつにしてくれて、たまにはケンカもするけれど、それでもわたしのことを必要としてくれる家族がいたのだ。
なんのとりえもないわたしを好きでいてくれるこいびともいるし、少ないけど気の置けないともだちもいた。
それが、いっぽ国の外に出ると、わたしはなにもない人間になる。
オーストラリアでのわたしは、
「カタコト英語しか話せない、よくわからない人間」
たったそれだけの、一文で紹介できてしまう、ちっぽけな人間となったのだ。
こころの空気が抜けたとき
ぷしゅ~~
朝、ホストマザーから「あなたには向いていない」といわれ、はやめに出ていくようにと話をされた。
そのときから、わたしの空気は抜けたままだ。
「気力がない」「やる気がない」「精神力がない」「魂が抜けたような」…
…ちがう。どれもちがう。
まさに、「こころの空気が抜けた」状態なのである。
日本にいたときからそうだったが、わたしはときどきこの状態になる。
「人をうらやましく思うとき」「なにか失敗をしたとき」「いやなことがあったとき」
わたしのこころの空気はすぐに抜ける
わたしは、おんぼろ自転車だ。
タイヤはパンク寸前。
空気は入れても入れてもすぐに抜けてしまう。
ただし、わたしの場合は寝ることで、まるで何事もなかったかのように回復するので、そういうときは寝てしまうのがいちばんなのだけれど。
透明人間「安定」
いま、この状況になってみて、「安定」って文字のすごさたるや。
たったのふたもじで、めちゃくちゃ強靭なつよさをもっていやがる。
生活に安定があるだけで、なんでもできる。
おちついて仕事に取り組めるし、きもちに余裕があるから、人にやさしくできる。
ただ、「安定」ってのはやっかいなやつでもあって、すこしずつ、でもたしかに、透明になっていくのだ。
「安定」は、透明人間である。
「安定」は、たしかにそこにいる。確実にそこにいるのだ。
しかし、時がたつにつれて、すこしずつ見えなくなる。
そこにあるのが当たり前になってしまい、しだいに、そのありがたみを感じることができなくなる。
「安定」ってやつは、いいやつだけどとってもやっかい。
毎日それを意識して、毎日それに感謝する必要がある。
そうでないと、透明人間「安定」は、すこしずつすこしず~つ透明になっていき…
気づいたら、パンッと、消えてなくなる。
なくなるときは、一瞬だ。
おんぼろだけど、まだ乗れる
朝からこころの空気は抜けたままだけど、それでもまだわたしは進むことができる。
いっぽペダルを漕ぐごとに、ギーコーギーコー、なるけれど。
それでも、まだ、わたしは乗れる自転車だ。
ペースは遅いけど、いまできることを、ひとつずつやっていこう。
いつかまた「安定」に出会うために。
そのときに、しっかり感謝できるように。
そのために、
きょうも、「不安定」と、いきていく。
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