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人生について考える機会

先日、祖父の葬儀に行きました。
個人的な、ただの日記です。(いつもか)

どうやらうちの祖父は変わってるらしいと気づいたのはいつだったか、結婚の挨拶の時に夫が『じーちゃん、ちょー怖い!でも、かっこいい!』と驚いていたからかもしれないし、
もっと前からかもしれない。


母方の祖父は戦後に自分の興した会社を守り、生涯現役で身を粉にして働いていました。
パイロットサングラスを愛用し、仕事では重機、車はベンツを乗り回し(一般カラーですよ)、結婚式にはヴェルサーチのスーツで現れ、
興業!?と時々間違われますが、普通の工業の会社です。色が黒いのは朝から晩まで現場にでてるから。

昔、祖父の愛車ベンツが、軽い接触事故にあったときに、相手が土下座の勢いで謝ってきたらしく
親族一同から『ぶつけた人が可哀想』と言われ、
『ワシは気にせんでええっていっとたんじゃが、、』と
そんな、面白エピソードに、事欠かない人で。

見た目と反対に性格は穏やかで、懐の深い人で
地域の貢献活動にも参加していたそうで、
近くの小学校のグラウンドが凸凹だと土を持ってきてローラーをかけたり、
ショベルカーを貸し出したり
そんなこともさらっと、色々とボランティアでやっていたそうです、

その人柄から、晩年は家の横にある事務所は近所のおじいさん達のサロンのようになり、毎日、自然と集まってはコーヒーを飲み、談笑し、誰かが野菜やお菓子をもってきて置いてったり、わけて持って帰ったり
若い人に運転してもらってゴルフにいったり、旅行に行ったり、、
孤独と無縁の理想の老後だと思います。

訪れる人が毎日絶えなかった日々を表すように、葬儀には大量の花輪と果物が溢れるように飾られており、親族席、一般席とも満席で沢山の人が来てくれてました。


祖母を早くに亡くして、代わりに孫を4人可愛がり、ひ孫も5人抱いてくれました。子供のころは海水浴に連れて行ってもらったり、一緒にパチンコ屋のラーメンを食べたり、思い出はつきませんね。

そういえば、私が小学生のころはクリスマスには大量のホールケーキを取り寄せ、従業員や取引先に配り、
孫たちは、ずいぶん甘やかされてたので、ホールケーキを1人1個とか貰い
『イチゴは腐るから、チョコをあとにしよう』とか協力してたべてましたね、
懐かしいな。
母に隠れて事務所のアイスやジュース、お歳暮や暑中見舞いのお菓子も食べ放題
夏休みはクーラーの効いた事務所で、おやつを食べながら宿題をするのが私のいつもの過ごし方でした。
そうやって、家族が働いてる姿をみてるというのは良い教育なのか、私は働くアレルギーが人よりすくなくて収入を確保できて助かってます。
在宅勤務も子供に働く姿を見せれますが、効果は半分かな、知らない大人が沢山来るのが良かったのかもしれません。

90過ぎてるのに、亡くなる前日まで、自転車にのって毎日行きつけの喫茶店にモーニングを食べに行っていて。
弱った所は見せたくないと言っていた通り
死に方までかっこいい。
葬儀にも喫茶店のいつもコーヒーが置いてありました。

棺の中でらとても穏やかな寝顔のような顔で、眠っていまして、よかったね、と声をかけました。

頬を撫でると、もう冷たくて、でも、柔らかい。
その触感とむせび泣く母を思い出すと、翌日の仕事中も何度か涙が、今でもまだ胸に来るものがありますね。

母は平日、時には休日も祖父の会社に行って事務仕事をしてお茶とコーヒーを淹れて、お昼ご飯を用意して、
祖父の友人メンバーや、親族、取引先の相手をして
すごく親孝行な生き方だと思うんですよ。

でも、私は若い頃はそれが嫌で地方の半径30キロくらいの中で完結する人生なんてつまらないと

反発して都会に出たものの、結局今は地元ではない地方の工場にいるわけで、子供を産んでから自由度も下がり思うようには働けていないし。

私はこんなに好き勝手にして、かといって満足しているわけでもなく、なにか常によくわからないものにモヤモヤし、仕事も成果を出せてなくて、仕事だって普段話すのは10人とかそんなもんだし。
親の傍にいなくて、親孝行すらできてなくて、いいのかなと今更ながら思うわけです、、

地元に帰りたいと言っても結婚した夫の地元も違うので、どちらかにしか、いけないのですか。

ただ、仕事をして、慣れた作業をして数字を追ったりしていると気が紛れ、こういう落ち込んでいるときは仕事があるって有り難いなとも思います。
自分の意見を考えろと言われたクリエイティブな仕事には全く手がつけれなくて、効率は落ちてます。

祖父は私の学歴や仕事のことやそんなことを気にしたことは全くなかったですね。
何かしろと言われたこともなかったかも
結婚したときに『仲良うせーよ。周りのもんもお前らが仲良うすることが幸せなんじゃ。』
と言われたくらいか。
私は優しいな思いましたが、
夫は裏切ったら俺の命はないなと思ったらしいです。

そんな、優しい祖父のことを書いておきたかっただけ。お付き合いありがとうございました。

さて、祖父のようにはなれない、何者にもなれそうにない私はなにをすべきなのか。ずっと考えてますが、
そんなことを、考えても答えはでないので

事務所の壁にあるやつ

目の前のことをやりますか。