ミリアニに於ける”バトン”という言葉の意味。

第9話もうひとつのバトン より


「新しいチームがデビューする度に、他のデビュー組も改めて注目されて」

「あっ、なんかみんなでリレーやってるみたいだね。劇場(シアター)のオープン目指して」

「ああ、みんなでバトンを繋いでいこう」


ミリアニ(アイドルマスターミリオンライブのアニメの略称、以降ミリアニと書く)で「バトン」という言葉が出てきたのはここが最初のはず。この項ではこの「バトン」という言葉がミリアニに於いて、あるいはミリオンライブというコンテンツおよび作品に於いて、どういう意味を持っているか、持ったのかを語る。


第11話とびらの向こう 繋がる想い より


「私達のバトン39人みんなで最後まで繋いでいこうね。いくよ」


第12話新しい未来へ より


「私達だけじゃないんだ。皆が一緒に繋いでいてくれてるんだ…」


注、ここから先は怪文書です。


ミリアニ於ける「バトン」とは一体なんなのか?バトンと表現されてきたものの中身はなんなのか。それはおそらく一概には語られないので、ここでは総論ではなく、一義的な面を語っていく。ミリアニに於ける「バトン」及び、ミリオンライブにとっての「バトン」とは、それはつまりP(プロデューサー)のプロデュースである。と言い切ることが出来ると思う。いきなり結論から書いたので、なんぞやと思うだろうが、これに尽きるのだ。つまりこれまでミリオンライブにどの様な形であれ関わってきた人たちは、どの様な形であれ「バトン」をミリアニに渡しているのだ。そしてミリアニは応えた。

その関わり方はそれぞれなれど、その全てが「バトン」という言葉に集約されている様に自分は思う。つまりミリオンライブというコンテンツがこうしてアニメ化されミリアニに成るにはプロデューサーの応援が不可欠であったのであり、その応援がミリアニの作中で「バトン」という表現で現されているということである。もしかしたらかつて、

ミリオンライブのPであっても、このアニメ化を目にできなかった人もいるかもしれない。けれどその人が繋いだ「バトン」があって、ミリアニはこうして形を成している。そういう意思表明をミリアニを見ていて、いや見た時から感じた次第であった。少々内輪向け過ぎる話と言われればそうなのだが、どうしても、どうしても、これだけは書いておきたかった。何故なら書いている自分が報われるから。自分とミリオンライブについての話は何処か別のところで詳しくやるかもしれないので詳細には書かないが、自分もミリオンライブに多少なりとも関わってきた人間だ。無論ライブに行ったり、各種イベントに行ったり、バズる様な二次創作が出来たりといった、そんな大層なことはしていなかった一ユーザーでしかなかったが、そんな自分でも、そんな自分の小さな光でも、ミリオンライブがアニメ化する為の過程において一つの「バトン」だとミリアニが言ってくれた(様な気がする)のが堪らなく嬉しかったのだ。なのでその意図を勝手に受け取ったとき、俺もちゃんとPとしてミリオンライブがアニメ化されるまで「バトン」を繋いでいたんだなと勝手に思うと、俺にも生きていた意味があったと思える(思えた)のだ。無論これは一つの解釈だが、持論の一つとしてここに置いておく。

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