読書感想文のこと

読書感想文がいちばん好きだった。なんでだろう、と思うけど、今でもそうだけど、感情を言語化していくのが好きなのだ、きっと。言語にして自分の気持ちを確かめたいのだ。だから書くことが好き、というのがまずある。

読書感想文はテストじゃないから、物語の中に、どこまでも好きに踏み込んでいっていい。踏み込んでいった先に、未知の感情との出会いがある。この人はこのとき、どうしてこんなことをしたんだろう。この人の気持ちがわからない。私ならどうするだろう。そうやって物語の中に入っていくと、自分の考え方や、他人の考え方に気づくのだ。私はこうする、けれどこの人はこうした、ということは、この人にとってのプライオリティがあるんじゃないか、って、因数分解されていくような感覚が楽しかった。そうやって、他人の行動や考えと自分の距離を測ることで自分の立ち位置を確かめていくみたいな行為が性に合っているのだと思う。自分が今立っている場所やスタンスを知っていくと安心する。友達にならなくても、しゃべらなくてもたくさんの人の行動を知ることができる読書は、だから私にとっては語ることがたくさんあった。

とにかくたくさんの人に出会えるのだ、読書って。会話が苦手でも、コミュニケーションが苦手でも、人を知ることができるし、自分を知ることができる。知らない感情に出会える。すごくうれしくて、うれしくてそれを書いていた。

どうしてかわからないけれど、他人とのコミュニケーションが苦手な子どもだった。今でもそうだけど、世間話が苦手だし、気の使い方もよくわからない。他人の顔色をうかがうのが本当に苦手で、相手を逆なでしているんじゃないか、と思うことの方が多い。相手がなにを考えているかまるでわからないし、自分の態度が正しいかもわからない。だからすごく疲れるし、言語によるコミュニケーションは、取らなくて済むなら取りたくないと思ったりする(余談だけど、吹奏楽は言語コミュニケーションがあまりいらなくて、音でコミュニケーションをとれるからすごくラクで、続けていられる)。

小さい頃から、人と話さずに、本ばかり読んでいた。本のなかに出てくる人に対しては、気をつかわなくていい。顔色をうかがわなくていいし、なにを考えているか、生身の人間よりもよっぽどこちらに語ってくれる。わかりやすいし、私がどんな表情でも、彼らは気にしない。すごくラクだ。だから生身の人間よりも本のなかの世界を選んで、他の人が人間とのコミュニケーションを通して学んだことを本で学んだ。大人になった今、自分が少し世界とずれているように感じるのは多分そのためだ。あれ?私の今の言動っておかしかったのかな、とか、なぜか怒らせちゃったな、ずれてるのかな、とか思う。きっと生身の人間と向き合わなかった分なのだろう。

そう考えるともしかしたら、本なんて読んだって別に感想はないよ、と思う人の方が、よほど社会的な生き物なのかもしれない。私が読書で得た感情は、彼らにとって特筆すべきようなことでなくて、人間とコミュニケーションを取っていたら自然と得られるものだったのかもしれないね。私は人間とコミュニケーションをとるのが苦手だったから、本の中から得られる感情はすべて特筆すべきことだった。そんな違いだったのかもしれない。

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