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政治的なことをSNSで話すのは難しい

以下の話はFacebookに投稿した内容を、ちょっとだけ改変したもの。記録として残す。

政治的なことをSNSで話すのは難しい。

安倍政権についてとか原発についてとか消費税についてとか同性婚についてとかなんかそういうの。

たぶんそういうことはSNSでは言わないで、黙っておくのが平和。わかる。本を読んだり新聞読んだりニュース見たりと勉強はしておいて、自分なりの考えはしっかり持った上で、それでもSNSではそういうことを言わない。
こんなの食べて美味しかったとか、どこそこ行ったら景色が綺麗だったとか、そういうことだけをみんなと共有する。
たぶんそれがいちばん平和。わかる。

でも僕はつい、そういうことをSNSで言ってしまいたくなる。本や新聞やニュース以外にも、思ったことを言葉にして、それを否定されたり肯定されたり補足されたりして知識を増したり考えを深めたりしたい。

そういうのは信頼できる人を何人か集めて、実際に会って話す方が建設的との意見をもらった。でもそういう人を集めるのはなかなか大変だ。手軽に話ができるツールとしてSNSは絶好のものだ。

焼き鳥は塩かタレかみたいな話だったら平和だ。
「どっちもいいよね!」でもいいし、「塩が好きだけど、タレもいいよね!」でもいい。
でも政治的な話となるとこうはいかない。

日本という焼き鳥の味は、塩かタレのどちらかしか選べない。
そしてそれは民主主義であるがゆえに、間接的とはいえ多数決で決まる。

さらにいえば、どうも塩派はタレ派を、タレ派は塩派を、それぞれ「真実が見えていない」と見なす傾向がある。
そうなると日本という焼き鳥につける味はどちら一方なわけだから、塩派はタレ派に、タレ派は塩派に「本当のこと」を伝えようとしたがる。
「タレは身体に悪い。塩は健康にいいんだ」
「塩こそ身体に悪い。タレ派のあの国は平均寿命長いよ」とやりあう。
相手の信じているものを否定し、自分の信じているものこそが正しいと伝えようとするのは、なんだか宗教戦争みたいだ。

そんなことはせず、ただ「なるほど。あなたはタレ派だね。僕は塩派だけど、あなたがタレ派ということはわかった」というように平和に受け止めればいいんだけど、とにかく日本全体の味として塩かタレのどちらかしか選べない。結局この戦いの決着は選挙だ。ということはつまり、塩派の前にいる相手がタレ派では具合が悪い。できれば塩派に宗旨替えしてもらいたい。
なぜなら民主主義だから。

と、ここまで考えて、これが民主主義じゃなくて、優秀な王様が塩かタレかを決める世界なら平和かもしれないと思った。
「おれは塩がいいな、キミはタレがいいか。まあどうなるかわからんよ。王様がお決めになることだ」ってな具合で。まあ優秀な王様は何代も続かないのでダメってのは歴史が証明してるんだけど。
「民主主義は最悪だけど、過去の今までのどの方法よりマシなものだ」というのはウィンストン・チャーチルの言葉だ。

まあなにしろ、平和でみんな楽しくすごすのがいちばんで、塩にしろタレにしろ、目的は美味しく焼き鳥を食べることという、大きな意味では同じではある。
ぜひとも激しい言葉を使わずに、建設的な話ができたらと思う。

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