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岩間陽子『核の一九六八年体制と西ドイツ』(有斐閣、2021年)

オリンピックでの選手たちの華やかな活躍が、われわれにいっていの爽快感を与えてくれていますが、他方で以前から楽しみにしていた本が刊行されることもまた、この制約の多い生活の中でも大きな潤いや喜びを提供してくれます。


岩間陽子先生のこの一冊はまさにそのような著書だと、喜びとともにページを開いております。


岩間先生は、京都大学で高坂正堯先生に学ばれたドイツ外交史、ヨーロッパ安全保障などをご専門とする国際政治学者で、おそらく高坂先生が晩年に、まるで実の娘のように、最もかわいがられた門下生の一人であったような印象を持っております。高坂先生がご逝去される直前の1993年に、中公叢書から『ドイツ再軍備』を刊行されて、こちらが岩間先生のデビュー作です。
ちょうど、1993年といえば、私が大学4年生で、将来の進路を考えていたときでした。


どのような道に進み、どのような専門を持つべきか、色々と悩んでいたときに出会ったのが、こちらの岩間先生の『ドイツ再軍備』と、広瀬佳一防大教授の『ヨーロッパ分断1943 ー大国の思惑、小国の構想』(中公新書、1994年)の二冊でした。


一次史料に基づいて、安易なイデオロギー的な偏向に流されることなく、強靱な国際政治学的な論理のもとでヨーロッパ国際関係史を研究するというアプローチを知って、新しい光に照らされた感じがしました。そうだ、このような方法論があるのだ、ということで、私がイギリス外交史を大学院進学後に研究したいと思うきっかけとなるような著書でした。


その後、この両先生に、さらに大学院の先輩で、やはりフランス外交史を専門とするこの分野の第一人者の渡邊啓貴東京外国語大学教授が『フランス現代史』(中公新書、1998年)を刊行されて、これらの先生方と、渡邊啓貴編『ヨーロッパ国際関係史』(有斐閣宇、2002年)を共著で刊行できたことは、本当に嬉しく有意義なことでした。これが研究者としての今の私の原点です。まるで、子供の頃に憧れていたサッカープレーヤーと、日本代表で一緒にプレーをするような心境です。


さて、それらの三先生方と私と、四人とも、平和・安全保障研究所(RIPS)の安全保障奨学プログラムの修了生となっています。渡邊先生は1期生、私は9期生。そうなんです。単に、ヨーロッパ外交史をアーカイブを用いて詳細に叙述するというだけではなくて、より大きな国際政治学的な問題、すなわちいかにして平和を確立して、いかにして好ましい安全保障政策を構想するかという、根源的な問いがわれわれ四人に共通していると感じておりました。したがって、上に触れた『ヨーロッパ国際関係史』も現在に至るまで絶版にならずに多くの方にお読み頂いているのも、そのような国際政治学的な問題意識が根底にあるからだろうと思います。


さて、そのようなことを思い浮かべながら、岩間先生の新しいご著書を開いて衝撃を受けました。今の台湾をめぐる、アメリカの拡大抑止、すなわち米中対立の中での核兵器の使用をめぐる安全保障政策の議論と、そのまま繋がっている問題意識が描かれていたからです。このご著書の表紙を開くと、扉に次のように記されています。

これは、西ドイツの政治指導者が、なぜ西ドイツにとって核兵器、そして核抑止力が必要なのか、困難な中でその理由を考え説明しようとする中から出てきた真摯な言葉です。


「『本当にこの街を守るために、核戦争をするつもりだったのか』という問いに対する答えは、「するということにしておかねば、戦争を避けることができなかった」というものだった。戦争を避けるために、核戦争の準備をし続ける ーこの何とも弁証法的な命題の中に、西ベルリンと西ドイツは、冷戦期間中問い続けた。そうすると、だれがどのような核兵器を持っていて、いつ、だれが、どのように使用の決定をするのか、ということが、文字通り、生きるか死ぬかの問題になってくる。この問題は、ある意味いまも続いている。」


まるで、今の台湾防衛や、尖閣防衛のために、アメリカが核兵器を使用するかどうか、という拡大抑止の問題とも繋がる、とても重要で難しい問いを、冷戦期に西ドイツの指導者や国民は問い続けていた。
そして重要なのが、それが、左派政党の社会民主党のウィリー・ブラントによって述べられたことだと思います。日本の左派政党の指導者、たとえば村山富市氏、福島瑞穂氏、枝野幸男氏が同様の問いを、真摯に考え、適切な答えを導くことができるのか。そこに、西ドイツと日本との間の、左派政党における安全保障政策認識の巨大な落差が感じられます。リアリズムの欠如です。


結局はそこにつながってくる。安全保障研究の延長線上として、戦後の西ドイツの核政策を検討することによって、われわれが抱える巨大な問題に対するヒントが得られるかも知れない。これにこそ、岩間先生の本書の重要な価値の一つが含まれているのではないかと感じました。
これまで長い時間をかけて、岩間先生は本書の構想をあたため、執筆を進めてこられたのをときおり横で見ていて、だからこそぜひとも早く読みたいと感じておりました。それは、高坂正堯先生のご指導を受けて国際政治学を学び、冷戦終結期のドイツやベルリンに留学し、また幅広く安全保障研究を進めてこられた岩間先生でなければ書けないし、ほかの若手研究者がどれだけ一次史料を読んでも、その問題意識はなかなか浮かび上がってこないかも知れません。


若手の研究者の皆さんにはなかなか理解が難しいことかもしれませんが、年齢を重ねると研究者は、若手の研究者の皆さんがより好ましい環境で研究ができるようになるため、そして若手の研究者が学位を取得したり、査読誌に論文を掲載するために、巨大な時間を割かなければならなくなります。いわば、自分の研究時間を削って、若手の研究者の皆さんがよりよいかたちで研究ができるための環境整備をする必要があるのです。私自身、大学院生の頃に、そのようなことはあまり考えておりませんでした。どうしても、自らの研究時間を犠牲にしなければならない。


ですので、そのようなお立場にある岩間先生が、二人のお子さんの子育ても立派に行いながら、さらに重厚な研究書を単著として刊行されることは、まさに研究者の鑑だと思っています。なかなかできません。


三十年ほど前に『ドイツ再軍備』を手にして感じた喜びとは異なるかたちで、再び岩間先生のご著書から勇気や、今後の研究のための重要なヒントを得られるような気がします。


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(2021年8月1日)

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