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BLと腐女子について

プロフィールに書きました通り、私は筋金入りの腐女子です。

腐女子やBLについて知らない方のために簡単に説明させていただきますと、BLとは男同士の恋愛、腐女子はそれを愛する女子のことを言います。

最近は「おっさんずラブ」「きのう何食べた」「30歳まで童貞だと魔法使いになるらしい」「消えた初恋」等々。男同士の恋愛メインのお話が地上波ドラマでも放送されるようになり、BLや腐女子も昔よりはかなりメジャーな言葉になってきたように思います。

特に上記の作品はBLの中でもかなり読みやすく、これらの作品のおかげでBLがよりカジュアルになり、昔ほどBL好きに引け目を感じなくてもよくなった気がするので、大学時代からは腐女子であることをリア友に隠しまくって生きてきた私としては、とても有難い気持ちです。

しかも最近では、丸木戸マキ先生の「ポルノグラファー」「インディゴの気分」凪良ゆう先生の「美しい彼」等々
名作だけど結構性表現ディープな作品まで、素晴らしい俳優さん、監督さん達が実写ドラマ化映画化してくださるようになり、生きててよかった私!と本気で思っております。

私が腐女子になった1990年代は、BLや腐女子などという言葉はなく、男同士の恋愛はあくまでもアングラな趣味の世界でした。

だからなのか、今のBLは本当に多種多様で、男性同士が恋愛してごく普通に幸せになる💗というストーリーも沢山ありますが、私がBLにはまった頃は、男同士で恋愛するなら生きるか死ぬかの覚悟でやれ!みたいな作品が多かったように思います。

例をあげていきますと、尾崎南先生の「絶愛」
桑原水菜先生の「炎の蜃気楼」栗本薫先生の「終わりのないラブソング」 吉田理恵子先生の「間の楔」少し前の世代だと竹宮恵子先生の「風と木の詩」等々

勿論、ごとうしのぶ先生のタクミくんシリーズのような心温まるBLもありましたし、吉田理恵子先生の「幼馴染」高口里純先生の「幸運男子」(最後はちょっとえー😭です)等は、今のBLに近いのかなと思うものの

当時の私がBLにはまったきっかけが、名前からして激しい尾崎南先生の「絶愛」だったことから、私自身は、自然と生きるか死ぬか系のハードBLを手に取ることが多くなりました。

で、私がBLの何にハマったのか?考えてみますと、今だと一方的で差別的な考え方になってしまうのですが、当時としては中々目にすることのない男同士という唯一無ニ感とエロさにだったと思うのです。

男性と女性が恋愛して、セックスして、結婚して子ども産むのは、ごく当たり前な人間としての営みだという価値観は、どうしても人類の中に自然とあります。1990年代というのは、今よりずっと同性愛への偏見が強く、BLは禁断の愛という意識が強かったですしね。

だから、絶愛からあらゆる同性愛をテーマにした小説や漫画に興味を持ち、三島由紀夫先生の「仮面の告白」「禁色」も、高校生の時夢中になって読んだのですが、ここで私気づいてしまったんですよね。

ゲイの方達が男を好きになって恋人同士になるのは、確かに男女よりも偏見や差別が大きいとはいえ、ごく普通の当たり前なことじゃないですか。

でも私がBL作品に求めてるのは違うんです。男とか女とか関係なくその人自身に惹かれる。自然の摂理を超えて愛し合う、その人じゃなきゃ生きていけないくらい深く激しいものなのだと。

そう話すと時折、純愛や唯一無二な愛だったら男女でもよくね?みたいに言う方もいるのですが、もうね、腐女子になっちゃうと、男女の恋愛モノに全然ときめかなくなっちゃうんです(個人差はあると思います)
男同士だからこそ余計に腐女子は萌えるわけで、これはもう理屈ではないのですよね。

今の私は、ゲイの方を題材にしたBLも幸せほのぼのBLも沢山読んでいるし大好きですが、10代20代前半までは、唯一無二な男同士とエロを求める夢見がち全開腐女子として過ごしてきました。

そしてこの時まで、私が腐女子としてハマる対象はあくまでも小説や漫画の2次元だったのですが
あるバンドとの出会いがきっかけで、私は、非常にデリケートな問題が沢山あり、腐女子であるならさらにアングラな世界に潜らなくてはいけない3次元腐女子の世界にハマっていってしまったのです。

次回はその2次元、3次元腐女子の違いなどについて語っていきたいと思います。

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