おかあさんのうみ

 福音館書店の月刊誌「母の友」2024年5月号で「おかあさんとうみ」という短編を書いた。お母さんと一緒に海へ出かけたれいちゃんが経験する不思議なひとときのお話だ。
 物語のなかで、れいちゃんは自分と同じ年ほどの「しーこ」と名乗る、子どもの頃の母親と出会う。れいちゃんは「しーこちゃん」と一緒に、海辺で探し物をする。「しーこちゃん」は、自分は海の魔法使いなのだと言い、れいちゃんの探し物を見つけ出してくれる。その過程の中で「しーこちゃん」があるアクシデントに見舞われるのだが、今度はれいちゃんが「しーこちゃん」のピンチを救ってあげるのだ。

 自分が作るものは、恥ずかしいくらいに家族に執着しているなと思う。いつまでたっても、親の注目を得たくて、ほめられたくて、自分のすることで親によろこんでほしいと思う。
 自分のこういう性質は、どうも両親との関係を上手に築くことができなかったある時期に原因にあるということにはだいぶ前から気がついていた。自己憐憫には陥りたくはない。が、わたしの家は明らかに家庭が機能不全な時期があった。その時期本当にいろいろなことがあったし、その影響のせいにして本当にいろいろなことをやらかした。

 高校から20代半ばまでざっくり言えばわたしは超病んでいた。その頃は自分の性質が顕著に行動になって出始めて、本当に状態が悪かった。この状態を改善するためは修復しなければならない問題がいくつかあった。まず第一には母との関係だった。その頃の自分は、この世のどこにも自分がいていい場所などないのだと思い込んでた。状態が悪くなり入院した時、母が実家から来て一緒に病院へ泊ってくれた事があった。わたしが入院していたのは閉鎖病棟で2重扉のトイレもない狭い個室だった。その夜、消灯時間になって真っ暗になった病室の中で、わたしは初めて自分が感じていたことを母にさらけ出した。母は、わたしの意見を否定しなかった。それが、うれしかった。
 その経験は自分の中で母との間にあった壁を解かしてくれた。それからは、わたしは母になんでも話した。話すことができるようになった。

 数年前、母の母、わたしの祖母が亡くなった。わたしは祖母のことを母に尋ねた。
 「ばあちゃんは、どんなお母さんだった?」
 母は言った。「ばあちゃんは奉公に出されて若い年で結婚したでしょ。お母さんが20歳の時にじいちゃんが亡くなったから、それからひとりで3人育てて必死だったと思う。でもね、お母さんはばあちゃんから愛情を感じたことなんてなかった。優しくしてもらった思い出もないんだ。結たちを連れて大谷(祖母の家)によく行ったけど、あれも義務感だった。ばあちゃんとのわだかまりがなくなったと思えたのは、本当に最近だったな」
 それを聞いたとき、不思議なことに今までの合点がいった。母もまた、自分の母親との関係が機能不全だった時期があった。そしてその後遺症を、わたしよりも長い間ずっと抱えていたのだ。 
 幼少期に愛情を十分に与えられた経験を持たない者が、自身のわだかまりを抱えたまま、今度は自分が無条件に愛情を注ぐべき存在と出会う。母は戸惑っただろう、どうしていいのかわからないまま、それでも必死で愛情を向けようとしたのだろう。
 わたしたちは、おなじものを抱えていた。おそらく、祖母も同じだった。この連鎖に気が付き、母と話すことで、わたしたちはお互いが抱えたものを癒していくことができるんじゃないかと思った。

 幼少期の頃の母に会いたかった。当時若くして母となった祖母に、あなたの娘はとてもとてもいい子ですと、教えてあげたかった。それで、作ったのがこのお話「おかあさんのうみ」だった。このおはなしを作った経緯は、母とはまだ話していない。先日送った「母の友」が届くころに、ゆっくり話をしてみようかな。