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離婚して自分の人生を生きていく⑤


第五章 続く調停、子どもの様子

調停3回目(婚姻費用、夫婦関係調整)

婚姻費用には算定表というものがある。裁判所のホームページに掲載されているので誰でも確認が可能だ。

夫婦のお互いの収入差
給与所得か自営か
子どもの人数
子どもの年齢

主に上記の情報に応じておおよその算定額が載っている。
夫婦が同等の生活ができるように所得の多い方が所得の少ない方に金額が支払われるイメージである。

私のパートの収入の時には、婚姻費用の額はソウから私に一ヶ月10万〜12万の支払い。多いのか少ないのか、感じ方は人それぞれだが、これが法的な根拠に基づいた数字だ。
3回目の婚姻費用の調停で、お互い源泉徴収票を提出した結果、上記の額であることがお互いに調停委員から告げられた。

私にとってはこの額は高額だと思っている。正直いつ滞ってもおかしくない額だ。そうなったときに、婚姻費用を当てにして生活をすると、私も子どもも大変なことになってしまう。やはり、転職するしかないな。そんなことを考えていた。

ソウの方はというと、婚姻費用を支払う意思はあるものの、その額は高すぎて支払えないと話したようだ。生活が苦しいなら、私たちが戻ってくればいいという認識らしい。
「でも、ユイさんは戻る気は無いということで宜しいんですよね?何度もお聞きして申し訳ないんだけど、どうしても聞いて欲しいということなので、、、」女性の調停委員は申し訳なさそうに聞いてくる。

「家には戻りません。子どものためにも婚姻費用は支払っていただきたいです」

「そうですよね。なぜ支払いが難しいのかという根拠を次の調停で示してもらうために、1カ月の生活費を出してもらうことにしました。ユイさんの方も、お子さんと2人どのくらい生活費がかかっているか、ソウさんにわかってもらうために出していただいても良いですか。細かくなくて大まかなもので結構ですので。」

「それと、夫婦関係調整の調停のことなんですが、私たち調停委員はお二人の方向性が全く違っているので、その件で話し合いのお手伝いはできないと感じています。そのことをソウさんにお伝えして、この調停をどうしたいか聞いてみようと思っているんですが、それで良いですか」調停委員も、この不毛な話し合いに意味を感じていないようだった。

ここまでは、意外と時間もかからずスムーズに調停は進んだのだが、この後が長かった。上記について、調停委員がソウに伝えたからなのだろう。1時間近く待たされ、やはり調停終了の時間は過ぎている。

私が呼ばれ部屋に入ると、女性の調停委員が話してきた。「結論から言うと、自分のしたことを反省しているのに、あなたとお子さんが戻ってこないことに納得がいかないそうです。一時的に別居は受け入れることになったとしても、いつ戻ってくるのか、自分はいつまで待てばいいのか、と。そうおっしゃっています。ソウさんは、気持ちの整理をつけるのがまだ難しいようですね。今はまだ別居を始めたばかりで、今後のことは落ち着いて考えたいという、ユイさんの意向はお伝えしました。それでいいんですよね」

もう、時間も遅くなってきて急いで次回期日を決めて、この日の調停は終了した。結局、夫婦関係調整調停はどうなっていくのかと疑問を残したまま。

子どもの行動と私の決意

別居直後は色々あって、一時的にウィークリーマンションに住んでいた。

子どもが小さかったとはいえ、単身者用の18平米程の部屋は狭く、常に不満に感じていたようだ。居住スペースが狭かったので、必要最低限のもので暮らしていた。私にとってはスッキリした理想の暮らしでも、当時年中の娘のアイにとってはそうはいかない。

別居する前に購入していたおもちゃやお気に入りのグッズは、全てソウの住んでいる家に置いてあった。小さく持ち運べるおもちゃを少しだけ持ってきてはいたが、アイはよく「ママ、いつお家に帰るの?お家のおもちゃで遊びたい」と私に言ってきた。

持ってきている小さなものではなく、アイの遊びたかったおもちゃは、大きなドールハウスの中でする人形遊びや、ブロックを使って作品を作ったりとスペースを要するようなおもちゃが多かった。持ってくるにも、また別の場所へ移動することになると思うと、アイには申し訳なかったが、次の家に引っ越すまで我慢してもらうことを私は選んだ。

仕事をなんとか続けながら、初めての調停に転職活動。私は余裕がなく、子どもと十分関われていないという実感はあった。

そんな状態で1週間過ごし1ヶ月過ごし、アイの不満もどんどん大きくなっていったある日、些細なことでアイが機嫌を損ねてしまい。保育園からの帰り道に予想外の出来事が起こった。

いつもなら自転車での送迎なのだが、その日は雨がひどく、レインコートに傘をさして歩いて帰っていた。疲れもありとても機嫌が悪く、そんな中で周りの友達が持っているおもちゃを自分も今すぐ欲しいと怒り出した。今すぐは難しいが、新しい家に引っ越せたら必ず買おう、アイはたくさん頑張ってくれているからね、と私がなだめても、「今すぐじゃなきゃダメ!ママのケチ!」と、どんどんヒートアップしていく。

そして、保育園児とは思えないスピードでずんずん歩いていく。「ママなんか嫌い!付いてこないでよ!」と怒っている。危険のない範囲で見守りながら、何処に向かうんんだろうと思っていると、ソウの住む元のマンションだった。

1歳の頃から保育園に通っていたアイは、道なんか当たり前のように覚えていたのだろう。しかし、アイの成長に感心している場合ではない。流石に焦った私は、「ママはパパのところには行けないよ」と言っていた。アイが私の方に戻ってくれることを願いながら。

私の声かけも虚しく、アイは家のインターホンを押していた。最悪だ。どうしよう、どうしよう、、、。ものすごく緊張し、嫌な汗がダラダラ出てくる。
別居した後も、荷物を取りに部屋に入ったことはあったが、日中ソウが不在の時だった。パニック状態の時ってどうしたらいいか本当に思いつかない。凍りついた時間が過ぎた。

ソウは家に不在だった。「パパ家にいないみたいだね。ママとのお家に帰ろうか」やっとアイに声をかけた。それからアイは黙って下を向いてしまった。手を取ると握り返し、一緒に家に帰った。

家に着いてお風呂に入ろうと準備しようとすると、アイが泣き出した。黙っていたのは泣くのを我慢していたのだろうか。アイを抱きしめたら、私も泣けてきてしまった。子どもの前だけど堪えきれなかった。私は怖かったのだ。アイが何処かに行ってしまう気がして。強い母でいたかったけど、情けない。

落ち着いてから「泣くのは我慢しなくていいんだよ、ママも泣いちゃうことあるし。ママは今ちょっと泣いたらスッキリしてきた。アイはどうかな?」「うん、お腹すいた」そう話して二人で笑った。

別居してから、アイにはなるべく辛い気持ちになってほしくないと思って、休みの日は公園などに色々連れて行って楽しく過ごそうとしていた。今の状態についてゆっくり話をしたり聞いたりということは幼いので必要ないと思っていた。でもそれは、私がアイに説明する自信がなかったのと、アイの気持ちを聞く勇気がなかったという不安の現れであり、逃げだった。

どんなに幼くても、一人の人間として尊重した関わりをしていこうと思った。協力し合う家族として、できるだけ説明をしてアイの気持ちを受け止めていこう。自分と同じ気持ちではなくても、可能な範囲でアイの希望を尊重しよう。

今回の子どもの行動のおかげで、大事なことに気づくことができた。別居初期の時点でこのことに気がつけたのは、本当に幸いなことだった。

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