なぜ働くのか?~仕事に充実感も幸福感もなくワークライフバランスが取れていない人へ~
「なぜ働くのですか?」と質問されたときにあなたならどのように答えますか?
中には「生き甲斐のため」と答える人がいるでしょう。
とても素晴らしい答えだと思います。
しかし、中には「仕事」に対してマイナスなイメージを持つ人も多くいるようです。
ミスをすれば責められるだけなので仕事の責任は持ちたくない、ノルマを達成させなければという重圧がきつい、休日出勤は当たり前なのに年末年始にすら休みがない、嬉しいはずのボーナスがカットされている、ケチばかりつける取引先にイライラする、会社の人間関係が悪くて付き合いだけで疲れてしまう。
このように、精神的にも体力的にも追いつめられる職場環境に毎日箱詰め状態だと、仕事に対してマイナスなイメージしか持てないですよね。
また、自分の思うような仕事ができないことがマイナスの要因になっているのではないでしょうか。
色んな仕事をまわされて、本来やるべきことができなくなってしまっている。
やらなければいけない仕事が多すぎて、そもそも自分が何をしたかったのかもわからない。
そうなると仕事が生き甲斐だなんて全く思えないでしょうし、仕事を生きがいにする意味すら分からなくても無理はないと思います。
働くことを辞めたい、逃げたいと思ってしまう人もいるかもしれませんね。
誰もが夢と希望をもって入社したはず・・・
私自身がそうでした。
子供が好きで、毎日子供と触れ合うことのできる保育士になることができて幸せだ、誰からも慕われる先生を目指して頑張ろう!と夢や希望をもって入社したはずなのです。
しかし、実際入社した保育園では仕事に対してマイナスなイメージしか持てませんでした。
社会人1年目、2歳児クラスに配属されてすぐのときです。
「2歳児クラスの子供はこんなに元気に騒ぐものなんだ」と見て勉強していたら先輩先生から「こんなに騒がしくさせてちゃダメでしょ?」と怒られてしまいました。
またある時、先輩先生から「トイレについてて」と言われ、トイレのそばでパンツやズボンを子供たちにはかせる手伝いをしていたら、トイレの中から子供の泣き声が聞こえました。振り返ると、男児がおでこにたんこぶを作っていました。水道で水遊びになってしまい、水浸しの床で滑ったようです。
すると先輩先生から「いやいや、こうならないためについててって言ったんでしょ?」と怒られてしまいました。
確かに周りを見ていない、配慮が足りないなど仕事ができていない私が悪いと理解しています。
しかし内心では、まだまだ勉強できていなくて知らないことがたくさんあるのにと悔しい思いをしたものです。
「怒られる前に、先輩が手本となって、それを見て学びたかった」「トイレは危険だから危なくないように見てて、と新人の私に指導してほしかった」と思っていましたが、言えるわけもなく頭を下げるばかりでした。
またあるときは、私が朝から体調を崩してしまい、有休をもらったことがあります。
珍しく吐き気があり、きっと疲れが出ているのだと思い、少し休めば楽になるだろうと横になって過ごしていました。
半日ゆっくり過ごすと、食事もとれるようになり次の日は元気に出勤できたのです。
違うクラスの大先輩とすれ違い、挨拶をするなり「昨日病院に行った?病院で診断書もらってこないとダメでしょ?園に迷惑かけてるんだから。」と冷たく一言。
「吐き気はあるが病院に行くほどではない」という私の判断が間違っているかのように「常識的なことができていない」と説教され、まるで仮病扱いをしてくる先輩の一言が恐ろしいものでした。
指導係である入社2年目の先輩先生は、廊下ですれ違うたびに「新人は~すべき。あれもこれもできるようにならねばいけない。」という厳しい話ししかしてこず、会うのが憂鬱になりました。
こんな話をすると「そんなのは当たり前だ、あんたの考えは甘ったるい」「私の一年目はもっと厳しい環境だった」などという声が飛んできそうですが、当時の私にとっては前向きに頑張ろうと思うどころか、恐怖心や苦痛としかとらえることができなかったのです。
また、先輩たちは誰かがミスをすると陰でヒソヒソ文句を言い、「指導しよう」「フォローしよう」という姿勢はなく、きっと私がクラスでミスをした時も、陰でヒソヒソと出来の悪い新人だと言われていたことでしょう。
私が最大のミスを犯してしまった時も、もちろん助けてくれる人はおらず、責められるばかりでした。
私にとって好きには慣れない職場環境の中、誰に相談したらいいかもわからず、ずっと一人で抱え込んでしまっていたのです。
精神的に苦しくなってしまい、クラスの子供の名前が分からなくなってしまったり、とっさに出る言葉をどもってしまったりと自分に異常を感じる日もありました。
仕事量も多く、家に持ち帰っての作業に追われ、朝早くから夜遅くまで心身ともに疲弊する毎日で、ストレスが溜まっていることにも気づかず、当時はそれが当たり前だと思っていたのです。
子供は可愛くても、夢だった保育士に幸せを感じることはできず、それどころか「もう無理だ」と毎日ビクビクしており、逃げることばかりを考え、2年目の終わりに退職願いを出しました。
このように、保育士として慕われるどころか、重圧をかけてくるように、また嫌みのように先輩からの説教を受け、私が思い描いていた保育士生活とは程遠いものを感じたのです。
私の初めての社会人経験はマイナスのイメージしか持てず、仕事での充実感や幸福感をあまり得ることができませんでした。
働くことが生き甲斐だとは思えなかったのです。
仕事を生きがいにする人も確かに実在する
働くことに苦労は多いものですが、世の中には仕事を生きがいにする人もいます。
例えば高齢者や子育て中の主婦の方です。
高齢者や子育て中の主婦の方は、社会の一員になることで幸せを感じ、働くことに生き甲斐を感じているのです。
高齢者は、何十年と働いてきたのに定年を迎えてもまだ働こうとする人が多いですよね。
平均寿命が延び、まだまだ元気であることが要因かもしれませんし、年金だけでは生活費が足りないという方もいるでしょうが、それ以外にも働く理由があるようです。
定年退職して、急に人と触れ合うことがなくなり、家でじっとしていたら人間は「無」になってしまいます。
私の周りでも、定年退職後には趣味もすることもないからシルバー人材センターに行って働こうかと言っている人を見たことがあります。
「無」にならないためにも、仕事を通して人と触れ合い、体を動かし、健康を維持することで、自分の幸せや充実を得る居場所を作っているのです。
こうして、高齢者の方は仕事を通して幸せや充実感を得る居場所を作ることで生きる意味を見出しています。
子育て中の主婦の場合はどうでしょうか。
子育て中の主婦は24時間子供と一緒で、昼間は子供と二人きりになることがあります。
気づけば、大人との会話がなく、夜に夫が帰ってきてから初めて大人と話ができたとなる日もあるのです。
日々家事と子育てに追われると、自分に構う暇もなく、社会と孤立した気分になります。
周りで生き生きと働く人たちを見ると、自分は社会から必要とされていないのではないかと不安を感じ、心にぽっかりと穴が開いたような気分になってしまうのです。
私も、全く同じ思いをしたことがあります。
生き生きと働く人を見かけて社会から孤立した気分になりました。
「私も社会の一員になりたい、子育ても大事だけど、人のために役立つ人になりたい」と、ふと思ったことがあり、夫と相談をしパートを探すことにしました。
パートに出ることで保育園との繋がりができ、仕事をすることで社会や人との繋がりが増え、任される仕事をすることで、家庭内だけでは味わうことのない充実感や幸福感を得られたと思います。
このように、家事や子育てから離れる時間を作ったり、妻や母ではない自分を確立したり、社会とのつながりを持ち、働くことで生きる喜びを見つけているのです。
高齢者や子育て中の主婦の方に共通して言えるのは、社会と繋がり自分の居場所があることで幸せや充実感を得ているということです。
社会に出て働いてるけど充実感も幸福感もない
実は、すでに社会の一員となって働いている人は充実感や幸福感を得られているはずなのです。
しかし、働くことを苦に感じている人もいますよね。
それはなぜでしょう?
私は、自分の理想とする働き方とは違うからではないかと考えます。
自分の理想と目の前の現実が悪い意味で大きく違いすぎると、精神的に苦しくなり、嫌々ながらに働くことで体力も奪われていくのではないでしょうか。
例えば、会社の為にと、あちらこちらから回された仕事をただやらされる毎日だったり、犯したミスをカバーしきれなくなり立往生してしまったり、理不尽な上司に従わなければいけなかったり、やる気はあっても長時間労働で体力が持たなかったり。
そんな毎日だったら、本来やる気をもって臨もうとした仕事があっても、違うことで手いっぱいになってしまい、こんなはずではなかったと自分を見失っている現状があるかもしれません。
自分のやりたかった仕事とは程遠く、理想と現実が悪い意味で違いすぎると充実感や幸福感は感じにくいですよね。
そもそも、仕事で充実感や幸福感を得られるのは、褒められたり認められたり、自分の努力が報われたときの達成感を感じた時ではないでしょうか。
自分が一生懸命考えた企画が通った時、「この企画いいね!」と褒められたら嬉しさや喜びを感じますし、もっといい企画にしてやろうと努力しているときは楽しいと思うでしょう。
その努力が認められ、周りの人がその企画に賛同し動いてくれたら益々嬉しくなり、さらにその企画が大成功を遂げたら、この上ない達成感と充実感を得られると思います。
これが理想の働き方だとしたら、現実は全然違うと落胆してしまいますよね。
充実感のある仕事をしたいなら万華鏡を思い出そう!
理想とは程遠い現実の働き方で、充実感や幸福感を得るためには、ほんの少しだけでも動いてみると良いと思います。
万華鏡と同じです。
万華鏡は、ほんの少し動かしただけで、模様が変わります。
これと同じように、ほんの少し自分の考え方や意識を変えてみる、実際にちょっとだけ行動に移してみる、それだけで心境や環境などがガラリと変わってくることもあると思っています。
私は現状を変えようと、実際にちょっとだけ行動に移した経験があります。
私が働いていた保育園で充実感を味わえなかったとき、退職願を出すという行動に出たことです。
それを機に保育園を退職して地元に戻り、新たな職を探すことで、精神的にも体力的にも辛かった環境がガラリと変えることができました。
次の仕事を始めてみようと探してみましたが、どうしても保育園の求人に目が留まった私はパート保育士という道を選んだのです。
23才の独身で保育士経験がある若者なら、給料や保障、ボーナスの面でも正規職員になった方がいいという周りからの意見もありました。
しかし、私は担任という重圧を抱えるより、担任を支えてサポートする方が自分には合っていると感じ、給料が安かったりボーナスがなかったとしても、充実感を得るための選択でした。
新しい保育園では人間関係にも恵まれ、パートという自分に合った立ち位置に変われたことから、心底仕事が楽しく思えたのです。
本当に子供たちが可愛いきて「先生!うちの子は先生が大好きでおうちでも先生の名前を呼んでいますよ」と保護者からの話しを聞いたときは、この上ない喜びでした。
まさにこの仕事をしてよかったとやりがいを感じ、働くことが生き甲斐となっていた時期でもあったのです。
このように、退職願を出すというちょっとした行動を起こしただけで、苦しい環境からガラリと変わることができ、やりがいや生き甲斐を感じることができました。
このような経験から、仕事に充実感や達成感を感じられず、嫌々ながら働いている人達には、意識や考え方をちょっとだけ変えてみたり、ちょっとでも行動に移して環境を変えてみてほしいのです。
逆に、現状に不満を抱きつつも何も動かなければ、心境や環境も何も変わらない現状が続くだけということにもなり得ます。
今の仕事に不平不満があり、もっと充実した働き方がしたいと思うなら、ちょっとだけ自分を動かして、心境や環境を変えることも必要です。
ただやらされている仕事があるなら、「やらされている」から「立ち向かう」という考えに変えてみるとよいでしょう。
すると、どうすれば効率よく仕事をこなせるかという疑問が生まれ、一生懸命考え始めるのではないでしょうか。
人に聞いたり、調べたり試行錯誤しながら努力し、いつかスムーズに仕事をこなせるときが来ると達成感に繋がるかもしれません。
また、今の仕事が自分に合っていないと感じているのなら部署異動を希望してみたり、そもそも自分は何がしたいのか分からないと感じている人は、自己分析から始めてみてはどうでしょうか。
自分は何が得意で何に向いているのかを知ってから、目標を立てるのもよいでしょう。
私が、保育士をやっているうちに、担任よりも担任を支えるパートの方が自分には向いていると気づいたように、自己分析をしてみることで自分の新たな発見ができるかもしれません。
また、何度考えてもこの職場ではやっていけないという結果になるのなら、転職を考えてみたっていいのです。
転職や退職などのように、大きく物事を変えるのが難しいなら自分にできることから少しずつ何かを始めてみるのもよいでしょう。
話しやすい同僚や家族に「今の仕事が嫌だから、部署変わりたいんだよね」「今とは違う新しい企画考えたいんだよね」など、思っていることを誰かに伝えるだけでも、アドバイスをもらえたり、背中を押してくれるような返答が聞けるなどの小さな変化があるかもしれませんよ。
ただし、少し動いたからといってすぐに結果が出るわけではありません。
時間がかかってしまう時だってあるでしょうし、何も変わらない現状のままだということもあるでしょう。
そんなときは、自分を動かそうとする思いを胸に、目の前の仕事に一生懸命打ち込んで、真剣に考えたり向き合ったりする努力は必要です。
自分を動かそう、変わってやろうという思いを持つだけでも心の変化があるのに変わりはありませんし、努力をすることによって、充実感や達成感が生まれてくることもあるでしょう。
働くことで、充実感や達成感を感じ、それが生きている喜びになれば生き甲斐になりますよね。
仕事を生き甲斐にした人生の方が気分的に得!
仕事は生き甲斐になるものであっても、生き甲斐にするものなのかどうかと問えば疑問ですね。
しかし、生き甲斐にするかしないかで言えば、生き甲斐にした方が人生で得ではないかと思います。
なぜなら、家より会社にいる方が時間が長いからです。
リモートワークで家にいることが増えたにしても、家でゆっくり過ごすことより働いている時間の方が長いですよね。
勤めに出ている場合、1日24時間のうち家にいない時間の方がほとんどです。
労働時間を8時間とし、残業を2時間したとしたら働くだけで10時間、往復の通勤時間に2時間かかる人がいるとしたら、全部で12時間になります。
1日の半分が家にいない時間です。
寝ている時間が7時間とし、家事や育児や買い物、その他食事や入浴などの生活時間を費やしたら、自由に使える時間はほとんどありません。
例えば、工場の早番勤務の場合、朝5時には家を出ます。
会社で仕事の準備や朝礼などを行った後、仕事開始です。
仕事終わりが15時でも、残業があれば家に帰るのが夕方5時半で約12時間は家に居ません。
帰宅後に食事、入浴、家事や育児をして、次の日早朝5時には家を出るため、21時には就寝をします。
ほとんど自由時間はありませんよね。
人生の大半を働くことに当てるのなら、嫌々ながら仕事をするより生き甲斐になるような働き方をした方が人生得した気分になりませんか。
もちろん、人それぞれの価値感や考え方があって当然ですから、仕事を生き甲斐にすることがすべてではないと思っています。
人生のほとんどを働く時間に当てているのなら、充実感や幸福感を感じながら、仕事もプライベートもどちらも楽しく過ごしたほうが幸せですね。
ワークライフバランスを上手にとるために、仕事に対する考え方を変えてみたり、自分を少し動かして環境を変えてみる勇気をもってみてはいかがでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?