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月の兎を捕まえに。

はじめに

 こういったネット上に文章を上げるという場合は、大概の場合誰かに読まれる事を期待しているわけなのだが、おそらくこのnoteというサイトにも実装されているであろう閲覧数を増やすための『機能』の類を私は今回積極的に使わないつもりである。

 なので、この記事に辿り着いた「私以外のあなた」というのはタグかランダムで飛ばされてきたのでなければ、未来に書かれたであろう私の他の文章を見てバックログを辿ってきたか、ブラウザ検索で上記のタイトルを打ち込んで訪れたか、のどちらかであるはずだ。そして私はどちらかと言えば後者の方々に向けて、この文を書いている。

『月の兎を捕まえに。』がいかにして消え去ったか

 試しに検索欄に『月の兎を捕まえに。』と打ち込んでみても、今では残滓のようなものが表示されるばかりで要領も得ないはずである。Twitterで検索を行えば多少は具体的な情報が残っているだろうか。それもそのはずで、『月の兎を捕まえに。』とは2018年7月にニコニコ動画に投稿されて、一年ほど閲覧されたのちに非公開になったMAD動画である。今も残っているのは過去に動画を見た人による感想くらいのもので、本編は非公開になっているものだから探しても見つからない。

 というか、この動画は私が作って私が消した。

 手前味噌になるが、よく出来た動画だった。私はあれから今日まで3年ほど創作活動を細々続けているが、あれが一番自分の心を動かした作品だったし他人の心をも動かしたと思う。動画の内容はバーチャルユーチューバーの『月ノ美兎』さんと『樋口楓』さんを題材にした二次創作で、いわゆる手描きMADと言われるジャンルのものだった。2018年当時、バーチャルユーチューバー文化が生まれてネットのあちらこちらで盛り上がり始めたタイミングには様々なVTuberの『神MAD』がニコニコ動画に産み落とされたものだが、私が作ったこの動画はそういったメインストリームとは異なる場所でひっそりと『バズった』。自分でバズった、なんて言葉を使うのは憚られるがランキング入りしたり、剣持刀也のニコニコ動画アカウントにある『好きな動画』の公開マイリストに入っていたり、商業で活躍されている百合小説作家さんに取り上げていただいたり、などといった反響があったのでナルシシズムなしに使わせてもらおうと思う。ただし補足した通り、あくまでメインストリームと異なる場所で、ひっそりと。

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 サブカルチャーであるニコニコ動画の二次創作MAD群の更にサブである、というのは上で述べた反響元から察した人も多いであろうが、動画で取り扱った題材が『楓と美兎』の、俗に言うならカップリングというか百合というか、とにかくそういった文脈であったからだ。断っておくと、私はカップリングというか百合を意図してあの動画を作ったつもりは一切ない。むしろ、そう思われないように相当な苦労をして4分強の動画を組み立てたつもりであるし、頂いた感想の中にはその意図を汲み取ったうえで「良かったよ」と評価してもらえたものもあった。今でこそVTuberのペアやコンビ、ユニットとしての活動は広く浸透し、視聴者たちも「てぇてぇ」と半ば条件反射的にコメントするばかりか運営側やVTuber本人達からすら『百合営業』『ホモ営業』のような単語が飛び出すこともある状況だが、特に漫画やアニメのキャラとは異なる『心をもった』VTuberに関する創作であるから、本来は二次創作ですら検索避けを使って秘される文化だったはずだ。

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 本人達の目に入らないように隠れ住んだ同好の士たちが検索避けのつもりで使っていた「kemt」という単語がTwitterトレンドに入ってしまい伏字の意味が無くなってしまう珍事があったりもしたが、それでも暗号のような言葉を混ぜることで「私たちは気を遣っていますよ」という不文律を敷くことに意味がある。決してメインストリームとなって本人達に迷惑が掛からないように(余談だが、現在この意識が薄れてきたのかVTuber本人の元に誰々との関係性がどうのといった意見が届いたりするのは問題であると思う。)私も『月の兎を捕まえに。』という動画を投稿した際には「かえみと」という単語だけをタグロックして、その言葉を知っている者だけが辿り着けるようにしていたわけである。

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 前述のとおり、私は百合やカップリングを意図して『月の兎を捕まえに。』という動画を作ったわけではなく(女性が二人登場すればそれは『百合』である、という論もあるらしいが)「かえみと」とタグ付けするのは少々迷った点ではあるが、これは決して本人達に私が作った創作物による二次被害が及ばないようにしたい、という私なりの矜持だった。今現在、この動画が非公開にされており、転載動画も出回っていない(私がニコニコ動画に投稿して二か月そこらが経った頃に転載が各種サイトに現れたが、サイト運営者に私から直接削除を依頼している。)のもこれが理由で、もう少し具体的に語るとしたら以下を見て欲しい。

【ヨルシカ】楽曲の無断転載動画についてhttps://yorushika.com/news/detail/10680

 動画に使用していた楽曲『靴の花火』について権利者であるヨルシカから規約の発表があった2019年の7月24日に私は動画の非公開処理を行った。『月の兎を捕まえに。』以外にもう一作、これも月ノ美兎委員長の誕生日を意識して作った動画『月と夜更かし。』についても同様に非公開とした。こちらの動画に関しても、後日思っていたところを書こうとは思う。

 そもそもニコニコ動画のMAD群は権利者からのお目こぼしによってかろうじて繁栄してきたアングラな界隈である。時を同じくしてTwitterでも小さな騒ぎになっていたが、『にじさんじ』の手描きMADが投稿者によって削除された。こちらは私が作った動画とは比べ物にならないほど絵も動画作りも上手だった。もし今でも公開されていたらミリオン動画だったかもしれない。ただ、そういう傑作は大勢の目に晒されるわけで「プロの音楽に勝手に絵を付けて解釈を書き換えたうえ、それを無料で聞ける場所に放流するなんて」とお説ごもっともな意見が沸き上がったわけである。それを言われてしまえば、よほど厚顔無恥でもない限り動画制作者としては動かざるを得ない。しかし、何せ名作だったものだから「消さないで欲しい」という意見は多く、中には批判側に凸して攻撃する者や捨て垢を作って作者の許可なく動画を拡散する者も現れた。地獄である。

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 私の動画は、件の動画とは違って前述のような検索避けをしていたお陰か、幸運にも見逃されてきたわけだが、決して対岸の火事などではない。私の自意識過剰である可能性は否めないが、歌動画をよく上げている樋口楓さんの元に私の動画と絡めて「靴の花火を歌って欲しい」とリクエストが飛んでいたり、公開されている本家PVのコメント欄に私の動画の事が書いてあったりした。動画説明文の注意書きを読みもしていないが熱意のあるファン層というのは偏在する。月ノ委員長もでろーんも、新しい分野で徐々に活躍の幅を広げている最中だというのに、もし何らかのバタフライエフェクトが起こって私の動画が活動の妨げをするようなことがあったとしたら、ファンとして二次創作者として腹を掻っ捌いて詫びても申し訳が立たないと思った。

 杞憂のし過ぎ、という意見もあるだろうし、たかだか4万再生の動画に何を、という気持ちもあったが、とにかくインターネットでは予想もしない事が起こる。初配信で「ムカデ人間見たことある?」のコメントが目についてしまったために万単位の人生を狂わせた清楚な学級委員長の前例もある。事実これが潮目の代わり時であり、ニコニコ動画における「にじさんじ」の手描きMAD文化はイメソン系や音MADから本人の声や配信を素材に使ったものに移り変わった。これだって規約違反ではあるのだけれども、大元の権利者である公式が始めた「ぷちさんじ」がお墨付きを与えたような印象だ。

見せたくないのに何故作る?

 結局、『月の兎を捕まえに。』という動画の命は1年だったわけだ。それも最初から「流行ってくれ」と願って作られたものではなかった。規約制定前だったとはいえ明らかにイリーガルな手法を含んだ手描きMADという媒体を用いて、絵を描き始めて1年ほどだった当時の私がわざわざニコニコ動画に新しくアカウントを作ってまで投稿したのはなぜか。

 これは言ってみれば私が勝手に自分の気持ちを樋口楓さんに仮託した果てに、何とか2018年の6月17日を迎えることができた安堵を誰かと分かち合いたかったからに他ならない。

 にじさんじの2018年5月といえば1期生のデビューから3か月。JK組の三人がニコニコ超会議に出演し、我らが月ノ美兎委員長は地上波でニュースに紹介されて、外界へ向けて大きく歩き出したちょうどその時期であったわけだが、同時に不安要素も多かった。社員3人から始まったという株式会社いちからは当時あきらかに余裕はなくて、既に人気者になっていた月ノ美兎のオーバーワーク気味な奮闘で持ち堪えているような状態だった。もちろん外部の1リスナーである私からみた勝手な想像にすぎないが、事実としてにじさんじ初のスパチャ解禁が5月1日だったわけで、物理的金銭的にライバーへのサポートは今と比べて薄かったことだろう。マネージャーなんて役職がいちから株式会社に生まれたのはずいぶん後の話である。

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 で、そんな中で肝心な月ノ美兎委員長はといえば、こちらも限界ギリギリだった。少なくとも私からはそう見えた。雑誌の寄稿文の〆切に追われ、電気・ガス・水道は止まり、引っ越し先のネット回線はクソ雑魚で、慣れない一人暮らしを始めたばかり。メールボックスには心無い中傷が集まり、みとラジの準備もしなければならない上にイベント出演も決まっている。高校生なので、学校もあっただろう。この作業量をマネージャー無しでこなしながら、それでも毎回の配信は大いに沸いていた。人気が集まれば仕事が増える。注目が増える。『フォロワー数はファン数ではなく向けられた銃口の数と思え』という言葉があるが、ネットの匿名からの支持というのは良いことばかりではない。

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 誰かを笑わせる、というのは突き詰めれば『誰かを笑いものにする』か『自分が笑いものになる』のどちらかでしかないと私は考えている。それ以外を敢えてあげるなら小動物を愛でるような『微笑ましさ』だろうか。  VTuberとして活躍する人たちの中で1番目の笑いをメインに据える人は少ない。なにより角が立つ。この分類に当てはめるのであれば、少なくとも当時の美兎委員長は2番目のタイプだった。黒髪ロング姫カットの清楚な学級委員長の見た目から「雑草を食った」だの「赤子の拳」だの「飛田新地に行ってみたい」だのとパワーワードが機関銃のように飛び出してくるのだから『にじさんじのヤベー奴』と注目を集めてコメント欄に草が生える。視聴者とプロレスをしつつ、クソゲーにキレながらも最後はおどけてみせて「委員長はクソ雑魚だなぁ」でオチを付ける。デビュー3周年を迎えても人気と尊敬を集めている要因の一つは、間違いなくこの天性のバランス感覚だと私は勝手に思っていて、今もずっと応援しているわけだ。

 応援。これは真に言葉通りの意味であり、VTuberでも著名人でもない私にできる唯一の手段である。委員長はこの年の夏に行った百物語企画でリスナーたちに向けて、脚本の形をとってこう言った。「あなたに月ノ美兎を救うことはできない」と。

 6月の初旬、とうとう配信どころかTwitterの更新さえ途絶えてしまった月ノ美兎委員長を心配する声はあちこちで上がっていた。けれども、誰が心配したところでネットの匿名集合体は無力である。奴らは敵に回すと恐ろしいが味方になれば役に立たないことで有名だ。元気にまた月ノ美兎の生放送が聞けることを祈ることしかない一方で、これで彼女が戻ってこなかったとしても責められないと私は理解していた。

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 美兎委員長が配信内で述懐していた通り、有名になった一方であまりにも見返りは少なかった。今でこそ「雑談するだけで月収一億円」だなんて冗談を言っては天狗に殴られているわけだけれども、当時のVTuber文化は決してビジネスではなく「好きだからやる」趣味性の強いものであったし、私から見た美兎委員長も「おもしろいから」という理由一つで怒涛の3か月を渡り切っていたように見えた。「ネットミームになりたい」なんて夢を語っていた委員長といえどインターネットの玩具にされるどころか心身に危険すら迫るような当時の状況は望んだ結末ではないだろう。

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 その一方で、多少のゴタゴタはあれども委員長以外のにじさんじメンバーの配信は穏やかなものだった。良くも悪くも世間の注目はまだ月ノ美兎にしか向いておらず、月ノ美兎を追ってやってきた視聴者をうまく取り込みながらそれぞれやりたいことをやって自身のファンコミュニティを拡大していく時期だった。何の問題はない。委員長を心配するコメントが他の1期生の配信に流れることもあったが、それはそんな無関係なコメントをする視聴者が悪い。月ノ美兎は月ノ美兎であり、そこで今配信している同僚がアクションを起こす義理はない。

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 ただ、音信不通になってしまった月ノ美兎を救えるとするならば、それは同じにじさんじの同僚たちに他ならなかったというのも事実なのだ。3周年を迎えるタイミングで美兎委員長が1か月雲隠れしていた時も不安の声が出ていたが、それよりずっと期間は短いはずなのに「本当にダメかもしれない」という不穏な空気は当時の方が数倍強かったことを覚えている。そんな中で樋口楓がミラティブでゲリラ配信を行った。

「委員長と今日話したよ。大丈夫。6月も楽しいことがあるよ」

 それだけを言うために。

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 結論から言うと我らが委員長は強かった。〆切もなんとか間に合わせたらしく、みとらじ第3回は滞りなく6月8日に行われた。放送の最後でリスナーや同僚から励ましの声を貰ったことに感謝を伝え、自分の胸元にいらすとやから持ってきた花束を置いて、でろーんは「きれいなお花ね」とコメントを残していった。月ノ美兎と、彼女を待ち望んでいたリスナーは救われたのである。

どうして彼女に兎を追いかけさせたのか。

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 自分語りになるが、アニメや漫画や映画を見て感極まったという経験が私には殆どない。唯一と言っていい経験の一つが「Hellsing Ultimate OVA Series」の1シーン。ペンウッド卿最後の通信のあとに残された円卓会議のアイランズ卿とロブ中将の激昂である。

「許せん。俺たちの大事な友達をよくも」

 作中で馬鹿呼ばわりされていたペンウッドと怒れるアイランズ卿を、まさか美兎と楓に重ねたわけではないのだが、そもそも彼女たちは何の縁もゆかりもなかった東京と関西でくらす女の子二人であり、趣味も性格も似ているとは言い難い。2月にデビューして3月に初めて顔を合わせ、そこから6月17日の寝落ちコラボまでのこの短期間だというのに、二人は紛れもなく友達だった。

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 でろーんは当初『かえみと』の話題から遠ざかろうとしていた。YouTubeのチャンネル登録者数で見るなら倍の差があり、ただでさえ自己評価の低めな彼女は「迷惑になる」とリスナーに釘を刺したこともあった。掘り起こすようなことでもないが配信で失敗して岩永COOと謝罪行脚に出向いたり、Twitterでそこそこ尾を引く大誤爆をしでかしてSNS封印を自らに科したこともあった。そんな彼女に月ノ美兎は「かえみとは正義ですからね」と明るく返していて、あれは樋口楓にとっての『救い』だったのだろうと思う。

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 翻って月ノ美兎はどうだったか。危なっかしいようでしっかりしており、いつの間にかにじさんじのリーダー役としてVTuberのトップ層に切り込んで収まってしまった。「クソ雑魚」と笑われつつも『清楚以外はなんでもできる女』というのが当時の評判で、ライフラインが全停止したヤバい状況をもネタに変えていた人である。だからこそ音信不通になった時にはファンがざわつき、「俺たち私たちのヒーローを誰か救ってやってくれ」と祈らずにはいられなかったわけだ。

人生山あり谷あり だけど委員長はここで「待ってる」
負の感情全部をわたくしで隠しましょう

 救ってやれるのか?こんな超人を我々凡人が?一番しっかりしなきゃならない運営いちから株式会社は大学サークルみたいに頼りないし。そう思っていた矢先に樋口楓は友達として月ノ美兎を救いに行こうとしてくれたわけである。

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 私が言い知れぬ感情に突き動かされながら動画のプロットを書き始めた時、消息不明の委員長を探しに行く役に選んだのが樋口楓だったのはそういう理由だ。月ノ美兎の身近に月ノ美兎の味方として、火中の栗を拾いにいくようなことも辞さない友達がいたことが本当に救いだったのだ。自分自身だって、きっとあの当時は自分の事だけで精一杯だったというのに。

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 もちろん、心配していたのは樋口楓ただ一人ではなかったはずだと思う。寝落ちコラボの際には本当に多くのVTuberがこっそりと配信を見に来ていた。コメントに潜んでいたケリンや富士葵ちゃん、Twitterでタグも付けずに実況していたあっくん大魔王やバーチャルナースの他にも、委員長が尊敬してやまない電脳少女シロさんだとか初コラボ相手のウカ様だとか、後から実はあの場にいて2人が眠るまで見守っていたなんて事実が発覚している。

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 私自身が当時、あけっぴろげなようで底が知れない月ノ美兎という特異存在を脳内にインストールして動かすことが出来なかったというのも理由の一つではある。ただ本当の委員長は樋口楓いわく「辛いときは辛いって言う」らしく、決して『正義の味方は学級委員長』というわけではないらしい。

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 本人もエッセイで自らを「性格が悪い」だなんて書いているが、だからこそデビューしてからの半年は本当に辛い日々もあったのだと思う。「飾らないのに光り輝く規格外の等身大」は平均身長より低めの151cmであり、私は委員長の言うところの『分かったふり』をしながらラストシーンの一枚を描いた。

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ファンはきれいな花束になれるのか

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 音信不通になった『兎』を追いかけて、バーチャル大阪から新幹線でバーチャル東京に向かった樋口楓が、途中弱気になったりしつつも仲間たちの声を聴いて彼女の家まで無理やり押しかける、というのが私の描いた『月の兎を捕まえて。』の大まかな内容である。

 紙芝居の裏で流したヨルシカの『靴の花火』は、夏の情景に宮沢賢治の童話「よだかの星」を滲ませた自罰的な歌だ。よだかは生きることに絶望して宇宙に飛び立ち、青く燃える星になったが、歌詞では「よだかにさえもなれやしない」と自嘲している。

朝焼けた色 空を舞って 何を願うかなんて愚問だ
大人になって忘れていた 君を映す目が邪魔だ

 樋口さんはデビューして二年が経ち、メジャーデビューを果たして故郷に錦を飾った『Shout in the Rainbow!追加難波公演』の時も、美兎委員長の目は恥ずかしくて見れなかったらしい。

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 いつの間にか手に大きな花束を抱えていて、それを自分のリボンで結んで月ノ委員長の小さな頭に叩きつけて笑う。『ラフメイカー』の鉄パイプ替わりである。病院に行ったら薬を貰うお金もなくて、明らかに不健康な生活なのに意識が途切れるのが怖くて眠れてもいない彼女の家にお見舞いに行けるのは同じバーチャル世界の人間だけだからだ。

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 この一枚以外で二人の目線が合うシーンは無い。私の絵が稚拙でそうは見えなかったかもしれないが、そのつもりで描いた。できる限り色とりどりに描こうとした花束は、寝落ち配信の最後に二人が一つの布団に入っておしゃべりをする時、掛布団の柄にさせられたコメント欄でもある。あえて口汚く形容するのであれば2018年の夏に一過性のブームに乗っかって集まり『女の子二人が同じ布団で一緒に眠る』というワードに引き寄せられた有象無象だ。お行儀よく🐰や🍁の絵文字を連打しながらコメント欄の外側では何を言ってるか分かったもんじゃない。

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 これはこういう場でしか書かない私のゴミカスみたいな偏見だが、果たしてアイドルは握手会に集まるオタクたちを本心で喜んで迎えているのだろうか?Twitterにて一言発信するたびにリプライに数百ぶら下がってくるアニメアイコンを見てうれしいのか?反応がないよりは上等なことだろうけれども人気は水物とは言ったもので、『推し変』なんて軽い言葉でコロコロと寄り付く先を変えるファンというのも存在しないとは言い難い。逆に『推し』にとっては100万人のファンは顔の見えない血の通わない数字にしか見えていないかもしれない。「あっこの運営オタクちょろいわとバカにしてんな」と思うことも私にはある。

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 ただ、あくまで舞台はバーチャル世界の話である。そもそもが虚構だ。だったら多少のキレイゴトがあってもいい。あの瞬間、あのコメント欄は確かに優しかった。そして実際に月ノ美兎は活動再開、いまは4年目を生きている。紆余曲折あったにせよ、本人曰く「悪い性格」で腹に何を抱えていようとも、あの夜確かに不安はハッピーエンドを迎えたのだ。造花かもしれないがリスナーの声は確かに届いていて、隣には虚構じゃなくリアル樋口楓がわざわざ寝落ちのために徹夜で怪奇現象の起こるマンションを訪れていた。

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 だから私はあの動画を作ることができている。「よかったね」と6月を振り返るために、後で見返したときに「あんなこともあったな」と思い返せるように。あの5月6月が他のリスナーにとっても決して思い出したくない暗い出来事ではなかった、というのは動画を投稿してから気付いたことだ。

おわりに

 で、結局その動画は今は私のニコニコ動画ユーザーページからしか見れないようになっている。以前と仕様が変わったらしく、非公開した動画を簡単に再公開できないようなよくわからないUIになっていた。相変わらずドワンゴは学んでいない。

 私が動画を投稿した後にあの捨て垢みたいなユーザー名から私のTwitterアカウントを探し当ててフォローしてくれた人がいたり、上手くもない絵柄を覚えていて他の絵や動画を投稿した際に「かえみと動画の人だ」とコメントをくれたり、動画が見えなくなった後でも誰かの胸の中に何かが残っているらしいのは嬉しい限りである。それでも前述の理由で再公開することはできない。残念ながら。VTuberも好きだがヨルシカも好きなのだ。全面戦争をする気は一切ない。

 じゃあなんで消して3年経ってこんなことを描き始めたかというと、そろそろ時効だろうという思いも強くなったからである。「kemt」は「楓と美兎」になり、かつてのようにナマモノ二次創作としてピリピリとライン際を見極めるような空気は良くも悪くもなくなりつつある。全く手探りだった界隈が多少の成熟を見せたのか、超えてはいけない一線が共通認識のように根付いてきたのであれば、それは喜ぶべきことなのだろう。何より今にじさんじは100人規模の大所帯となり、いちから株式会社もだいぶ落ち着いた。エッセイで委員長が言ってたようなヤバい綱渡りはもう起こらないと彼女自身が断言しているので「昔こんなことがあってさ」と話題に出しても今更燃え広がることはないだろうとも思った。

 2人のリスナー層も変貌してきたし、私自身も何かしら変化している。動画の中で2人の行動を勝手に代弁した時の私には罪悪感があって、今でも二次創作の際には戒めとして残している感情ではあるのだが、最近拾った月ノ美兎の忘れものノートに書いてあった『人を分かったつもりになるのは悪ではない』に多少なりとも救われた。信頼されているのだ。ならば三年前の私は疎いなりによくやっていたし、まだあの動画のタイトルを覚えて検索窓にいれてくれた誰かのために備忘録を置いておくのも罪ではないと思った。なんにせよ今日は四月一日、エイプリルフールである。

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 時間は杞憂していたよりも優しく流れたし、私もあの夏よりは多少絵が上手くなった。これからも出来る限り長くそんな時間が続けばいい。

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