白いワイシャツを着たおじちゃんのチャーハン

たしかラオスだったと思う。

長く続く大きな道を私たちは歩いていた。貧乏旅行でもなかったはずなのに、ヴィラと呼ばれる形式のホテルへ続く道を、永遠かと思うくらい長い道を、私たちは歩いていた。でもたしかトゥクトゥクもタクシーも通っていないような場所だったっけ。

あいかわらず、私は暑さと疲労でいらいらした気持ちをその子にぶつけまくっていた気がする。本当に、どうしようもなくわがままだ。飛行機やホテルの予約も、道中でGoogleマップを確認する係も、500mlで30円くらいで購入したペットボトルの水をもつ係も、全部やってくれていたというのに。

2017年の、季節は夏。1年中暑かった東南アジアの季節なんて、ずっと夏だった。でもそうかあれは、4年前の2月だった。

長く続く大きな道の右手にぽつんとお店があった。東南アジアによくあるふきさらしの空間に、まるやしかくのテーブルが3つほど置いてあった。

お昼ごはんを食べていなかった私たちはそのお店に入り、チャーハンを注文した。その時なぜチャーハンだったかは覚えていない。「Fried Rice」だけ読み取れたのかもしれないし、食べているところを見て美味しそうだと思ったから注文したのかもしれないけれど、たしか私たちのほかにお客さんはいなかった。

道路に面したところにガスコンロが置いてあって、中華鍋みたいなものと、コンロの下には小さな冷蔵庫があった。数分ほどで出されたチャーハンをふたりではんぶんこして食べた。

旅行中は、ひとつの料理をシェアしてなるべくたくさんの種類の料理を食べるというルールが私たちにはあった。そのルールは、いっしょに旅した10ヶ国でまもられた。

「このチャーハンめっちゃ美味しくない?」と、その子。

「うん、めっちゃ美味しい」と、私。いらいらの原因は空腹もあったのだろう、私はやっとありつけたお昼ごはんに機嫌を良くし、へらへらしながらほおばっていた。

そのチャーハンが、美味しかった。

チャーハンがこんもり盛られたお皿と、スプーン。ぎしぎし音がするテーブルと、イス。はじめて見る国の景色と、いつも一緒にいるその子。それから、おじちゃんと、チャーハン。

あの時間を構成するものは、それくらいだった。

おじちゃんは、ガスコンロの横に駐めてあるバイクのイスに浅く腰をかけて、何をするでもなく、人も車もほとんど通らない道を、ただぼんやりと見つめていた。

薄いさらさらの生地でもなく、しっかりとした厚みのある生地でもなく、でも襟がついたシャツだったので、たしかにそれはワイシャツで。

たとえば、その白いワイシャツが風で揺れていたら、さわやかな昼下がりという表現をしても良かったのかもしれない。でも実際は、湿度は高く、風はなく、気持ち良いかと言われたら、きっとそんなことはなく。あまりにもなんでもない旅行中のひとコマだ。

私を変えた旅先の出会いは、そんな風景だった。

当時私たちはマレーシアに1年間の長期留学をしていて、ラオスを訪れたそれは、東南アジアをまわる2週間ほどの旅だった。

就職活動だってしたのに、面接を受けたほぼすべての会社から内定だってもらったのに、私は去年の春に大学を卒業し、新卒でフリーランスのライターになることを選んだ。選択の後押しになったのが、このチャーハンを食べた時の出来事だ。

"ラオスで出会ったおじちゃんが作ったチャーハンがきっかけで、私は新卒でフリーランスになることを選んだ。"

自分でも言葉にすると何が何だかわからないけれど、事実そうなのだ。

この感情を言葉にするのは初めてで、合っているのかはわからないけれど。

あの光景が心から、離れない。

就職活動の面接の帰り道、就職しないと決め両親に話をするために福岡に帰省する時に乗った新幹線の中、将来についてぼんやりとした不安を抱えながらそらを眺めた日。いつもこころの中には、あの光景が浮かんでいた。

遠いラオスでは、世界でいちばん美味しいチャーハンを作るおじちゃんがいる。

生きる世界は、日本だけでなくても良い。会社の中だけでなくても良い。好きなところで、好きなように生きたら良い。

私は、幸せな景色を知っている。

そんな想いが、こころのおまもりになっていた。

"幸せって、自分のこころの中に在る。世界のどこかに在るわけでも、誰かのものさしで決まるわけでもない" 高校生の頃から、なんとなくそんな風に感じていた。

ラオスで出会ったおじちゃんの姿は、こころの中で感じていたことを実際にこの目で初めて見た、そんな瞬間だったのだ。

あのおじちゃんは、これからもチャーハンを作るだろう。白いワイシャツを着て。ラオスでは他にワイシャツを着た人なんていなかった。みんな薄くてぺらぺらのTシャツを着ていた。そんな中、白いワイシャツを着て腰に手をあてて片手でささっとチャーハンを作るおじちゃんは、はっきり言ってものすごくかっこよく見えた。

なんとなく確信しているのだが、おじちゃんはあのお店でチャーハンを作る人生を送って、そのまま、人生の最期を迎えるのだと思う。

おじちゃんは、英語は話せなかったのかもしれない。会話こそしていないけれど、やさしくほほえんで、あのまちで暮らす人々や世界中から旅してきたお客さんのためにあんなに美味しいチャーハンを作る人生。まちがいなく幸せだと、私は思う。おじちゃんとはきっとまちがいなく、もう2度と、会うことはできないけれど。

いっしょに旅をした子といつの日かもういちど会って、旅の思い出話をしたいなと思っているし、きっと叶うことはないだろうとも思っている。

彼と別れてから、もうすぐ2度目の春を迎える。未練なんてない。私たちが過ごした2年半は、私たちの人生のほんの一瞬が交わった、ただそれだけのように思う。ふたりの関係が永遠だなんて、あることもあるけれど、ないことも多い。それなのに、私がこれからも一生だいじにする風景を共有したのは、世界でたったひとり彼だけだと思うと、人生って、なんだか不思議だ。

LINEのトークにはもう、ふたりの言葉はまったく交わされていないのに。LINEのアルバムには、世界中を旅した写真が今でも残っている。ラオス、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム、カンボジア、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス。ヨーロッパで過ごしたクリスマスを最後に、私たちの長い旅は終わった。

旅先での出会いそれは、いつだっていっしょに旅をした彼の優しさとの出会いでもあった。いつまで経っても半人前の自分との出会いでもあった。「ごめんね」と「ありがとう」を家族以外でいちばんたくさん伝えたい相手は彼のように思う。これまでも、きっと、これからも。

このコンテストに応募するにあたって、ずっといつかは書きたいと思っていた小説でも書いてみようかしらと思ったのにもかかわらず、この物語はあまりにもノンフィクションだ。ただ、一つだけフィクションをあげるとするならば、「ひさしぶり」という言葉からはじまる彼への未送信のメッセージが、ずっとずっと前から残ったままであるということ。

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