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将棋めしとおやつの旅・神奈川~愛知(7)将棋日本シリーズ東海大会

 三代目j…じゃなく、五代目橋本を出て、カーナビに翻弄され四日市に向かいそうになるも、なんとかポートメッセなごやに着いた。12時半の集合時間は過ぎているが、なんとなく雰囲気は和やかでホッとする。
 受付で当選メールを提示し、テーブルマークのごはんの試供品が入ったありがたい手提げ袋を受け取り、席番号が書かれたパスを首にかけ、振り駒抽選にエントリーし、いよいよ会場入りだ。少なくとも461人に席が割り当てられており、その他にこども大会参加後に観戦する方々の座席も用意されていたので、想像していたが、とても広い。
 ここで藤井聡太三冠(当時)と永瀬拓矢王座が対局するのだ。わくわくする気持ちを誰かと分かち合いたいが、隣の同伴者とは1メートルくらい離れていて話もほとんどできない。
 自分の席番号から割り出したおおよその着席位置はほぼ当たっていた。近くはないが文句は言えない。落選して来られなかった方もいるのだ。

 大阪大会の時の当選メールには無かったが、本大会のメール(訂正版)には当日のスケジュールが載っていた。

――――――参考―――――――
【プロ公式戦の当日スケジュール】
・13時40分~
 対局棋士挨拶
・13時45分~14時05分
 出演棋士トークショー(解説・聞き手・読み上げ)
 振り駒の権利抽選
・14時20分~
 こども大会決勝ステージ
・15時35分~
 JTプロ公式戦準決勝第二局

 普段テレビ中継だけを見ていたら、指定席だし15時過ぎに着いても間に合うと思ってしまいそうだが、その前にスーツでの対局者挨拶があり、出演棋士のトークショーがある。絶対に早く会場入りすべきだ。

 藤井聡太三冠(当時)のご挨拶の撮影は準備が間に合わなかった。残念。

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 トークショーは中村桃子女流の進行がとても上手かったのだが、中澤沙耶女流に対し、あまり話を振っていないように感じた。だがその後、中沢女流が体調不良で読み上げを中断されたので、ご配慮されていたのだなと思った。脱水症状だとご本人のTwitterで明かされたが、ライトに照らされっぱなしの舞台の上は相当暑くなると聞いたことがある。重病でなくて何よりだった。
 その後は振り駒の権利抽選だ。はずれて安堵する。それならエントリーしなければいいのに、複雑な乙女心とやらを何十年ぶりかに発動させてしまった。

 こども大会決勝で少々面白いことがあった。低学年のお子さんがマイクを向けられて「着物は着心地が悪い」といったようなニュアンスの発言をしたのだ。タイトル戦でも和装にならない永瀬王座の対局がこれからあるので思わず吹いた。中村修九段は「とても着やすいよ」とフォローしていた。
 改めて、永瀬王座の和装を生で拝見できる数少ない機会に恵まれたことを嬉しく思った。

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 さて、いよいよ対局が始まった。ここから先はAbemaやJTのサイトで見られるので説明の必要は無いだろう。そもそも私に説明などできない…。
 封じ手を藤井聡太三冠(当時)が記入するのを見て、かつて王位戦で初めて封じ手を書いた時、その場で木村九段が「ここ抜けてるよ」的にご指南していた様子を思い出す。そんな藤井三冠(当時)だったが、もうすっかり慣れてしまったことだろう。

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 封じ手予想クイズと勝利者予想クイズの紙は、ここでスタッフが回収するが、待っているだけではダメだ。席を立って持って行った方がいい。
 テーブルマークの商品が抽選で当たるクイズの応募はスタッフの回収ではないので自らテーブルマークの展示ブースまで持参する必要がある。
 いずれも対局終了後に当選番号の発表がある。

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 休憩中に場内をウロウロし、両対局者が揮毫した将棋盤を確認する。永瀬王座の「鬼鬼」は完全に独自の道を歩んでいる。藤井聡太三冠(当時)の使い尽くされてもなお光を放つ「初心」と並んでいる様子から、仲の良いこのお2人を想像して思わず微笑んでしまった。

 さて、この勝負は藤井聡太三冠(当時)の勝利であった。挨拶の際、自らアウェイと口にしていた永瀬王座には厳しい結果となってしまった。

 退場時には、地元愛知での開催でもあり、また人気の高い棋士の見送りとあって、とても長い列ができた。

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 タイトル戦が続いてハードスケジュールの藤井三冠(当時)はお疲れだったかと思う。コシノツヨシ君の横に立ち、テレビで見るままの伏し目がちで控えめな表情で会釈を続けていた。

 後になって同伴者が言った。
 「藤井聡太がすぐそこに立っていたんだよなぁ。すごいことだよねぇ」
 いずれ、彼が今より更に多くの人に知られる国民的スターとして生きていくことに間違いはないだろう。凄い人に会えたのだ。
 主催者への感謝の気持ちはテーブルマークのうどんやごはんの購入で表せばよいだろうか。

 駐車場を出たのは18時くらいであった。夕飯はひつまぶしと決めている。また大須へ向かって車を走らせた。

(つづく)

【追記】一部の画像は20年前のデジカメの実力である。スマホよりは大きく映るが画素数があり得ないほど低く見苦しい。スクショの方が100倍綺麗といったレベルで申し訳ない。なお、一番枚数多く撮ったのは大変可愛らしい中村桃子女流のお姿であったことを最後にこっそり記しておく。



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