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季節が変わる

どうやら今年も冬になったようで、毎日クローゼットの中からアウターを探り出しながら毎日を生きている。
久しぶりに見るそれらは、確かに去年も一緒にいたはずなのになんだかひどく懐かしい旧友に会ったようで心がざわめく。
一つ一つにある、ぼんやりとした思い出に包まれながら日々を生きていると、僕自身の人生の不確かさになんとなく胸が痛くなる。
物を大事にしない割に物持ちがいいのは、人間関係に通じるよなぁ、なんて毒にも薬にもならないことを考えながら15年以上前に父親がフランス旅行のお土産に買ってくれたZARAのジャケットの首元についたタバコの匂いを嗅いでいる。
あの頃、僕は家族の中で浮いていて、年末の海外旅行も行かず一人で公園で雪だるまを作って鍵を無くしたりしていた。
結局鍵は見つからなくて仲良しのスーさんの家に転がり込んで年越しそばの暖かさを噛み締めていた。
あれから、彼には子供も生まれてきっと毎日を奮闘してるんだと思う。
自分はどうかな、と聞かれれば相変わらず自分のことすらままならないまま坂を転がり続けている。
季節の匂いが好きで、音楽が好きで、自分の周りにいる人が好きで、その一方通行の気持ちをもやもやと熟成させて気づけば人生は折り返している。
何が残せたんだろうなぁ、なんて考えるのはなんのために生まれてきたかを考えるのと同程度には無意味で、それでもまだ「意味」を欲しがってしまう。
甲本ヒロトが「人生なんて意味ないよ、やりたいことなんて3日で終わる。後は暇つぶしだ」みたいなことを言ってだけど、それはその通りだと思う。
誰も聞こうと思わない音楽や誰も必要としない言葉を吐き出しながら、それでも自分に意味を見つけようとしてしまう僕の姿はきっと滑稽で、不意に線路に飛び込みたくなる日々から逃げられない。
それでもきっと、あの頃不仲だった家族と仲良くなった事が、生活の基盤が変わっても仲良くしていたい友人がいる事が、こんな僕のことを好きだと言ってくれら誰かがいる事が僕はとても嬉しいし何かしらの形で報いたい。
今日も大江戸線の新宿西口から西武新宿の駅まで歩く道のりは路上生活者と酔っ払いと若者で賑わっていて、僕はその中でまだ自我を確立したいと考えている。
十年前にもらったコートに身を包んだ34歳の身体をあの頃は思いもしなかったけれど、それでも僕はまだ生きていてこの先も死ぬまで生きなくてはな、と思った。みんな幸せになるといいな。

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