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逃げた猫の話

我が家には何匹かの猫がいた。
いなくなってしまった猫2匹、その後からやってきた猫3匹。
初代猫ハチワレの風太朗は何度かの脱走の後、消息を絶った。二代目猫キジトラの虎丸も同じく、脱走して消息を絶った。
彼らは赤子の時に保護して、去勢手術をされ、そしていなくなった。
2匹とも僕の脇で眠る可愛い猫たちで、彼らがいなくなった後、僕はとても悲しかった。

いなくなった猫を捕獲するため、僕は捕獲機を買った。無骨な装置のそれを、僕は毎夜家の外に仕掛けた。
その結果、関係のない猫が引っかかった。
まだ生後半年ほどの若い雌猫で、全く人になれなかった。シャム猫のような柄に、稲妻のような跡のある美しい猫だった。
その猫に一応ナツという名前をつけて、家に置いていた。
ナツは数週間を我が家で過ごし、そして脱走した。

今我が家には僕と彼女と彼女の連れ子がいる。
どうにも窓を開け放ったままにしてしまう事があり、猫を飼うのに適していないことは明白だった。

ナツがいなくなった後、我が家に違う猫が来た。茶色の雌猫で、出産をした後に我が家に来た。
子供達は既に他の人に引き取られ、我が家に来たその猫に僕らはポッポという名前をつけた。
ホワッツマイケルにとても似ていたけれど、雌猫だったからマイケルの奥さんの名前をとったのだ。

ポッポは野良猫だったことが信じられないくらい我が家に落ち着いた。いつもゴロゴロモニュモニュ言いながら腹を見せ、僕の鼻を舐めた。
ポッポはお世辞にも美しいという見た目ではなかったが、少し下に顔のパーツがよった愛嬌のある顔をしており、とても愛らしかった。
そんなポッポも避妊手術をして子供が産めない体になった。
それからもポッポはとても優しく穏やかだった。
ポッポは何度も家を脱走したが、その都度自分で家に帰ってくる昔ながらの猫だった。

逃げたナツは子供を作り、近所の人に子猫ともども捕獲された。子猫は5匹、ナツに似て美しい猫だった。ナツ親子が来たことでポッポは荒れた。
無理もない、縄張りの中に突然身も知らぬ猫が来たのだ。さらにその猫の容姿は母親になった今なお若く美しく、自分は奪われてしまった子猫まで連れている。
ポッポの気持ちを考えるとやるせなかったが、一度保護して名前をつけた手前、ナツを見捨てるわけにもいかなかった。
ポッポは初めて長い脱走をしたが、名前を呼びながら探し続けていると、我が家から徒歩十分ほどの場所でふにゃーんと言いながら足に寄り添ってきた。
その日は二人で歩いて家まで帰った。

ナツ親子が来て2週間、友人たちに声をかけて子供達はもらわれていった。
1匹だけ貰い手がつかなかったハチワレの猫にマリオというあだ名をつけた。
ナツによく似たヒゲのような模様が顔にあるからだ。よく人に慣れる子で、物おじせずに遊んだ。
ナツ親子のいた我が家の2階の六畳間はナツとマリオだけになり、二人は比較的穏やかに過ごしていた。

僕はナツの避妊をしなくてはならなかった。
家に置くにしてもそうでないにしても、ナツは少し多情の気のある猫で(猫なんてそんなものかもしれないが)放っておいたらまた子供を作るかもしれなかった。

避妊手術をするためには授乳をやめさせなくてはならなかった。生後1ヶ月半、体こそ大きくなったら子猫だがまだ甘えたい盛りで、放っておけばナツの腹に顔を突っ込んでしまう。
授乳をやめさせるためには親子を離れ離れにするしかなかった。
マリオを一階の部屋に連れて行き、ナツと離れさせた。
ポッポはマリオに対して威嚇を続け、僕はマリオのためにケージを買った。その晩のナツの鳴き声は、悲痛だった。

そして、ナツは再度脱走した。
築40年の我が家はそこかしこにガタが来ており、ナツは網戸をぶち破って外の世界に出て行った。マリオといる時の穏やかなナツの姿を見て油断していたのかも知れない。

そして、我が家にはポッポとマリオが残った。
相変わらず相性の悪い2匹だったが、マリオはポッポのことが気になるようでいつもちょっかいを出していた。マリオは、僕らのいない時にはケージに入りそうでない時は自由に部屋を動き回った。

外の世界に出たナツは、それでもマリオが気になるようで日がな一日我が家の近くで鳴き続けた。
当然周りの家にもナツが脱走したことは伝わり、まだ避妊していない事を尋ねられた。

僕らはどうにかしてナツを捕まえなくてはならなかった。

ナツは外に何匹か知り合いの雄猫がいたらしく、いくつかの目撃情報があった。
その中でもでかいハチワレと共に行動していることが多く、おそらくアイツがマリオの父親なのだろう。
脱走から三日間、我が家の周りを徘徊し、鳴き続けた。既に一度捕獲機で捕まったことのあるナツは捕獲機を警戒して、全く入ろうとはしない。
多分お腹も空いているだろうに、好きだったエサの匂いにもつられなかった。

ナツが反応するのはマリオの声だった。
ナツがいなくなって1日2日はマリオも寂しかったようで、よく鳴いていた。
その声にナツが反応し、やまびこのようになっていた。ひどく近所迷惑だったと思う。
そして、ナツは我が家にどんどん近づくようになっていた。玄関先、一階の庭、そこかしこでナツを見つけて逃げられた。大体少し離れたところにでかいハチワレがいた。
ハチワレはめんどくさそうに少しだけニャアと鳴いて、すぐに姿をくらました。

ナツだけが必死だった。
優しくマリオに語りかけるように鳴く事もあれば、悲しさを振り絞るように鳴くこともあった。
賢い猫で、マリオの居場所を把握すると毎回その1番近くの窓にやってきた。

僕はそれを見て、ある種非人道的なやり方を思いついた。
マリオを囮にしてナツを捕獲しようと思ったのだ。最初は捕獲機の中にマリオ入りのバッグを入れてナツを待った。
ナツは近くまでくるものの捕獲機を警戒して中に入らなかった。次は家の中におびき寄せることを思いついた。
マリオを入れたケージのある部屋の窓を開け、そこから入ってきたナツを閉じ込める作戦である。
2回ほど失敗したものの、対策と傾向を練り、次に入ってきた時は絶対に捕まえられると確信した。

最後の失敗から数十分後ナツがまたやってきた。隣近所は寝静まった住宅街。あがった雨の湿り気を帯びた空気の中、マリオに優しい語りかけるように、捕まえている僕に懇願するように鳴きながらナツは一階の窓から部屋に入ってきた。
いまだ!と僕は窓を閉じた。
果たして、ナツは家の中で捕まった。
しかし、窓の閉め方が良くなかったようですぐにまた飛び出してしまった。
僕は絶望した。
ナツは賢い猫だ。一度した失敗を繰り返さないだろう。しかし待つしか方法はなかった。

気づけば時間は夜の2時半頃になっていた。
その時はやってきたのだ。
最初、僕はナツが部屋に入ってきていることに気づかなかった。
ナツは鳴かずに部屋に入り、鳴かずにマリオの側にいたのだ。
自分が鳴くことで居場所がバレ、その結果マリオもナツも不幸になると察したのだろう。
真っ暗な部屋の中、ナツはマリオの入ったケージに寄り添っていた。僕は静かに窓を閉じ、ナツと対面した。

ナツは酷く落胆したような、縋るような、怒りの行き場を探すような目をしていた。
僕はマリオをゲージから出して、ナツをそこに入れた。ナツは威嚇はするものの抵抗はしなかった。ナツをケージに入れて、外を見るとハチワレがいた。少しこちらを見て鳴いたあと、闇の中に消えていった。

ナツは今、ケージの中で目をまんまるくしたまま悠然と座っている。おそらく自分にこれから起こることもある程度予期しているだろう。
マリオはこの数日で母親に甘えていた事を忘れたかのように無邪気に振る舞っている。
ナツはそんなマリオを優しい目で見つめ、時折こちらに心までのぞいてくるかのような顔を向けてくる。

我が家には3人の女がいる。
みんなそれぞれ子供を抱えている。
果たして誰が幸せで、誰がその幸せを決める権利を持っているのだろう。

僕は本当はナツを捕まえたくなかったのかもしれない。僕にこの生き物たちの行先を決める権利はないし、その子供たちをどうする権利もないような気がしてしまう。

昨日から無料で読める『おやすみ、プンプン』を読みながら、僕は答えのないまま明日を待っている。

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