怪文書を生成します

怪文書(一人称)はたまにTwitter(@exograph)で怪文書を生成するのですが、そうしているうちにまとまった文章にできるくらい考えが洗練されてくることがあるので、そういう場合はnoteに書くことにしました。

怪文書とは実際何かという問題はとりあえず脇に置いておくとして。もともとTwitterって怪文書を生成する土壌として最適だと思うんですよ。

文脈を無視して全裸中年男性自分のことをキラッCHUだと思い込んでいる異常者クリトリス用の棺桶などといった概念がTLをとおして不随意にわれわれの精神に闖入してくるという事態は、その優れた喜劇性だけではなく、自分自身もまた文脈を気にせず勢いだけで好きなことを言える雰囲気を醸し出してくれるという点で非常にありがたく、“““そういうアカウント””” をフォローすれば誰でもその恩恵に与れるというのはとんでもないことだと思っています。

(ホモ憤怒は当時の筆者の一人称)(このツイートの文は若干破綻していて恥ずかしいのですが)要するにそういうことです。だから怪文書のツイートにはジャーゴンが多い。怪文書用語というのですが。

ただしこれは、怪文書が論理的な明晰さを初めから放棄しているということでは決してなく、論理的な明晰さが怪文書のいたるところで露わにされているわけではない、もしくは露わにすべきと考えているわけではない、ということです。不連続な表象とここで述べたのは、耳慣れない(したがってその文の意味がいまいち判然としない)(と初見者には見えるであろう)術語の数々のことで、しばしば詩的表現、パワーワード、ジャーゴンです。先のツイートにおける「不連続な表象」はそのひとつでしょう。

あくまで主体は読者であり、怪文書とは読者に捧げられた哲学的直観と解釈の奥義書というわけです。

もちろん怪文書自身も一読者であるので、怪文書に当惑することも多々あります。例えば「不連続」とかいう文字列がババーンとデカデカくいきなり意識に表示されるので一字一句書き起こさずには居ても立っても居られなくなり、いったいこれはどういう意図かと後から考え続けるのだが、これは罠で、何か解釈を思いついてもその内容はその表象に併記しておいてはいけないのです。なぜかというと、それは解釈の押し付け——このように書かれたら常にこのように解釈しろという、観念連合の恣意的な排斥——になってしまうから。

しかしnoteでは、今ここでひとつ行ったように、基本的に自分のツイートへの解説、ひとつの解釈という形で文章を書いていこうと考えています。これは散らかった部屋を整理するのと似ています。あり得たかもしれない他のレイアウトを捨てて、「もとの状態」に戻すこと。創造とは正反対の意識。本当はあまりやりたくないのですが、本当は少しやりたいです。TLの流れは絶えずして、ひとつの連ツイの話題が保つのはせいぜい一日程度というのが怪文書のTwitterの使い方ですが、もしまとまった考えをどこか中心のある媒体に書き留めておくことができれば、㋔㋟㋗からも参照してもらいやすくなります。参照、してもらいたいですし、㋔㋟㋗の言及によって怪文書の霊圧が高まることを期待します。

本当にあまりにやりたくないので、解説と言いながら煙に巻くような言い回しをするかもしれません。読者の霊感を信じて。

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