【雑談】神の定義が変わっていくイザヤ書と預言に含まれるメッセージ
こんにちは。
和泉 百々花です。
このマガジンでは、聖ヨハネから預かったメッセージを発信しています。
主にキリスト意識について書いていますが、歴史的な内容や宗教の要素がゼロというわけでもありません。
苦手な方は、どうぞブラウザバックなさってくださいね😊
今回の内容は、雑談です😋
最小で3人、最大で200人とも2000人ともいわれる人数で書いたとされるイザヤ書について、雑学をご紹介します。
神の定義が変わりキリスト教へとつながる
憤りの神(第1イザヤ)👉嘆きの神(第2イザヤ)👉愛の神(第3イザヤ)という感じで、神の定義が変わっていくのがイザヤ書の特徴。
なお第1〜第3イザヤというのは、イザヤ書が3人の預言者によって書かれたとされているケースの分け方です。時代の変わり目でもありますし、神の定義も変わってきますし、ちょうど良い区切り目なんでしょうね。
最後の「愛の神」は、今のキリスト教にも通じてくる部分ですね😊
神の定義が変わっていく理由
なぜ神の定義が変わったのかと言うと、「部族間の争いによる政治的な都合」です😋
宗教と政治が結びついていた時代ですので、神の定義を変えてでも部族のアイデンティティを守ることは、とても重要だったのでしょうね。
このあたりから、部族の神👉全人類の大いなる創造主という扱いになってきます。
アダムの罪を引き継がないキリスト
イザヤ書7章14節
それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
👆ここがキリストの誕生を預言した部分だと言われている箇所です。インマヌエルとは「主は我らと共にある」という意味です。
聖母マリアが処女懐胎したという話は有名ですが、処女懐胎には「アダムの罪を引き継がない」という意味が含まれています。
処女懐胎に懐疑的な方は多いと思いますが、生物学では「男性は本当は必要ないのでは?」という説もあるんですよ。
「男性は必要ない」説が生物学で生まれた理由
アリはやハチを思い出してください。彼らはがオスを必要とするのは最初の後尾のみ。後はメスだけで卵を生み続けていますね。このことから考えて「男性は必要ないのでは?」という説も生物学にはあります。
この話は、奥井一満先生の著書に載っていました。どの著書かはすぐ思い出せない😅・・・ので、思い出し次第こちらに掲載しますね😊
昆虫と人間は違うこと、また、「これ以上突き詰めると、いち男性として(ごにょごにょ・・・)」といった感じで話は濁されていますが、不可能ではなさそうな感じでした🤭
だいぶ脱線したので、話をイザヤ書に戻します。
事後預言としても有名なイザヤ書
聖書の中には「事後預言である」とされる箇所はたくさんあります。事後預言とは、「後で分かったことを、それらしく預言としてまとめること」です。
「聖書の場合は予言ではなく預言なので、事前でも事後でもどっちでもいいんじゃなーい?」というのが私の考えですが、お好きでない方はお好きでないようですね😅
預言かどうかよりもメッセージを読み解くことが重要
「この預言がいつ書かれたのか?」ということよりも、「この預言が伝えたいメッセージは何?」と考えることが大切。
「事後預言をしてでも残したかったものが含まれている」と考えると、事前だとか事後だとかは、どうでも良くなりませんか?🤭
これからも、キリスト意識の預言書では聖ヨハネから頂いたメッセージを元に、あなたのアセンションに役立つことをお伝えしていきたいと思います✨
毎回エネルギー付きなので、ぜひ役立てていただければ幸いです💖
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