「学年で一番ヘンテコな先生の歌」と私のヘンテコな先生

友人(音楽仲間の先輩)にすごくいいと勧められて聴いた曲。
これは大柴広己さんの歌であると同時に、私の歌だ、と思ったのが第一印象。
小学4年生の時のわたしの「ヘンテコな先生」を、聴いてすぐに思い出し涙した。

H先生。
今のわたしの大きな部分を作ってくれた、もう数十年が経つのに忘れられない一番大好きなヘンテコな先生。
音楽と、ダンスと、作文と、絵が大好きだった先生。
とても繊細で、話される言葉の一つ一つが選び抜かれていた先生。
毎週発行の学級通信に、クラスの子たちのキラリと光る作文を手書きで転載してくださっていた。

体育の時間。
運動が苦手で、たった3段の跳び箱のどうしても跳べなくてすくんでいた私に「絶対跳べる!コツがつかめたら跳べるから」と勇気づけてくれ練習に付き合ってくれた先生。
そして、ほんとうに4段までは跳べるようになった。

毎週土曜日の作文の時間。(当時は土曜日は午前授業だった)
まとまらない文章を書くのに時間がかかって、いつまでも書き続けていたら、「ええんやで。書きたいだけ書きや。あんたはしゃべるのは苦手かもしれんけど、書くのは得意なんやな。先生、書き終わるまで待っといたる」と夕方までかかって長い長い作文を書き終えるのを待っていてくれた先生。

苦手が多く自分に自信がなくて、おどおどしていた私の少しの「得意」を見つけて伸ばしてくれた先生。
成績と関係ないことばかりに夢中になって、保護者からの評判はよくなかったけれど、とっても大好きでした。

先生が私の「好き」「得意」を見出してくださったおかげで、ほんの一時期ではありましたが、書くことを生業とすることができました。

この名曲の作り手である大柴さんは、ヘンテコな先生に出会って、ご自身のいいところ、誰にも認めてもらえなかった自分の「好き」を認めてもらえる存在に出会えた。
それと同時に、クラスメイトの誰からも嫌われていたヘンテコな先生のいいところを見出し、先生のことを大好きになった。
「アイツがいなくなってせいせいした」とクラスメイトから言われた先生を大好きになった大柴さん。

自分のいいところ、好きなことを見出してくれた先生を周りの評価は気にせず大好きになった、とてもすばらしい感性の持ち主であったからこそ、「学年で一番ヘンテコな先生の歌」という、すばらしい曲を世に送り出すことができたんだと思います。

学年で一番ヘンテコだけれどすばらしい先生と、大柴広己さんに感謝。
娘曰く:私にとっては大柴さんがこの歌を歌うことで私の「ヘンテコな先生」の代わりになってくれてはる」そう。

https://twitter.com/yuheweilai/status/1511320392148811777?s=21&t=HhsL2X9uPqUjThs26hsurg

https://twitter.com/yuheweilai/status/1511320389720604677?s=21&t=HhsL2X9uPqUjThs26hsurg

この曲、私だけでなく、息子と娘も大好きです。
大柴さん、とてもステキな曲を世に送り出してくださり、ほんとうにありがとうございます。

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