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就活と恋人を犠牲にして『翠星のガルガンティア』にハマった女

●はじめに

みんな、一つの作品に運命を振り回されたことってあるだろうか。私にとってのそれが翠星のガルガンティアで、ガルガンティアに出会ってなかったら私は今とは全然違う生き物になってたと思う。

まず翠星のガルガンティアって何?って方もいると思うので軽く説明すると、遥か遠い宇宙の彼方で戦うことしか知らずに育ってきた16歳の少年兵レドくんが、陸のほとんどが海に沈んでしまった地球に漂流して、そこで頑張って生きていくお話。ジブリのような、NHKアニメのような、心温まる就活物語。生きるって何だろう?と考えさせられる素晴らしい作品です。見たことない方、こんな生産性のないnoteを読むぐらいなら今すぐアニメを見てください。

そんな私の人生を狂わせた翠星のガルガンティアのBlu-rayBOXが、もうすぐ発売される。だからこれを機に、これまでの私とガルガンティアの話を書き起こしてみようと思う。

ガルガンティアに出会う前の私は、所謂雑食アニメオタクだった。深夜アニメはひとまず全部3話まで見て、色んなアニメを見ていることがオタクのステータスになると思い込んでいた。気になるアニメの気になるキャラクターがいたら友達とコスプレをしたり、アニメ観賞会をしたりして、なんとなくファッションオタクな感じが否めなかったと思う。ガチ恋してたキャラクターの夢小説を書いたりはしていても、キャラクターではなく一つの作品に固執するってことはあんまりなかった。

ガルガンティアに出会ってからの私は、絵を描き始めて同人誌をわんさか出して、自分のリアルの人生を犠牲にしてのめり込んでいった。完全に己の人生に侵食していた。とにかくのめり込み方のスケールが今までとは全然違かった。開催されるイベントには全部参加したし、ターゲットがいまいちよくわからないグッズ(例:江戸切子)もほぼ全部買って全身ターゲット状態だったし、関連情報が載った雑誌は全部集めてファイリングして、設定資料集やインタビューも読み込んで、「あの情報は◯◯って雑誌のスタッフインタビューで◯◯さんがこう答えていた」ってカンペ無しで言えるぐらいだった。監督にファンレターを二回書いた。ファンレター書いたのなんて、私の人生ではさくらももこと村田監督だけだ。

声優さんはもちろん、音響の人とかプロデューサーとか宣伝の方とか、他のアニメで見かける度に「この方はガルガンティアで◯◯担当されていた方だ」ってなった。声優さんとかの名前をガルガンティアにいたかいなかったかを基準に見るようになった。
私の世界はガルガンティア中心に回っていて、何をするにも最優先事項だった。そりゃもう、チャラ男人生初めての本気の初恋って感じだった。

さて、ここから先はアニメ本編、OVA全編後半、幻のアニメ二期となる予定だった小説版全てのネタバレを含みます。ストーリーについて長々語ることはありませんが、割と核心ついたネタバレを言うと思うので、ネタバレ耐性のない方は閲覧を控えてください。

●2013.4~2013.6 ガルガンティア放送期間

私がガルガンティアと出会ったのは、忘れもしない大学四年生の春。2013年の4月でした。大学で友人たちと今期のアニメの話をしていたら、「翠星のガルガンティアってやつが面白かった」と言われ、公式サイトへ。公式サイトの見辛さに度肝を抜かれながらも、ロボアニメかー、私ロボ興味ないんだよなー、まあ1話ぐらいなら見てみるかーと思って1話を視聴。

作品の冒頭Aパートは宇宙戦争のお話で、初見全く何を言っているのかわからない。私は元々ロボットアニメとかSFを見ない人間だったので、難しすぎてパイロットスーツがえっちだということしかわからなかった。そして見続けたBパートの最後、つまり1話ラストで、私は運命的な恋をしてしまう。実際見た人は分かると思うし、見たことない人は今すぐ見てきて欲しいんだけど、あのシーンを見て「とんでもねぇアニメがはじまってしまった」と思った。

1話が面白すぎたので、居ても立っても居られなくなって公式サイトをチェック。やはりめちゃくちゃ見づらい、誰だこのUI考えたの。見辛かったので公式ツイッターをチェック。秒でフォローして過去ツイートを漁る。
どうやらこのアニメ、放送の先行で1話と2話を収録したBlu-rayを8000枚無料配布していたらしい。狂気の沙汰では?金を払わせろ。私は今すぐにでも2話が見たかったので、あの手この手でその無料配布の円盤を入手して早速2話を見た。やはり意味わからんぐらい面白いし、先が気になって仕方がない。

この辺りから既に、早漏の私は元来私の中に流れているNL厨の血が沸々と煮え滾っているのを感じていた。少年兵のレドと、彼とファーストコンタクトを取る地球人のエイミー。2話時点で恋愛色は皆無だったけど、画像を見てもらうとわかるんだけど並ぶだけで絵になるようなナイスカップリング臭。私ぐらいになって来ると、二人のビジュアルを見るだけでああこの二人くっつくわ、絶対結婚するわ、というのがわかってしまう謎の嗅覚を持ち始める。こいつらはやべぇぞ、と私の中で警報が上がる。でもこの作品の脚本があの虚淵玄だったため、どうせ両想いにさせた挙げ句の果てにみんな死ぬんだと思っていた。

それから数日後、2話が放送された。リアルタイムで見たけど、私は2話の無配円盤を擦り切れるほど見てしまった後だったので、あまり新鮮味はなかった。それより私は早いうちから2話を見ていたお陰で3話までが長くて仕方なくて辛かった。
しかし、2話のCMか何かでコミカライズの情報を入手。どうやらテレビ版3話放送よりも先にコミカライズの方で話が読めるらしい。私はその日の大学の帰りに速攻でアニメイトに寄ってコミカライズが載っている雑誌……たしか、コンプティークを買った。アニメ雑誌買うのなんてこれが初めてだった。

コミカライズを読んで、私の中の予感が確信に変わる。レドとエイミー、こいつらはやべぇ。平成のビッグカップルだ。絶対最後結婚する。CP厨特有の強めの幻覚を見始めた私は、早速ピクシブを漁る。案の定、作品投稿数は少ない。でも描いてくださる神々がいらっしゃって、泣きながら拝んだ。ちなみにこの二人のカップリング名は頭文字を取ってレドエイではなく、レドミーと呼ばれている。可愛い。最初に命名した人を私は神と呼んでいる。

当時投稿されていたイラストを丸一日繰り返し何度も眺めていると、やはりもっと欲しい、もっと見たいと思ってしまう。F5押しまくっても増えないし、同期の進撃の巨人はめちゃくちゃ絵が多いのになんで、と嘆いた。でも私は気付いてしまう。少ないなら自分で描けばいいじゃないか。

少し余談だが、私はそれまでほとんど絵を描いたことがなかった。お遊びで描いたことはあっても、作品として公開できるレベルのものではない。私は元々字書きで、ガルガンティアにハマる前は某ジャンプ漫画の某キャラクターの夢小説を無限生産していた。
当時放送された2話まででは、ガルガンティアのレドとエイミーの創作をするにあたって、小説を書くにしては作品の情報量が少なすぎる。そして何より、私はレドとエイミーが並んだ時のビジュアルに惹かれていた。方や異質感溢れる銀髪色白な宇宙少年、方や南国風の開放的な衣装を纏った褐色の海が似合う少女。向かい合った時の図が絵になりすぎるのだ。私はそれを表現したかった。
小説を書くのは大好きだし、小説でしか表現出来ないことも沢山あるけど、私がガルガンティアの二次創作をするに当たって表現したいものは、小説だと少し難しかった。だから絵を描こうと思った。

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(2013.4.21)

これが最初に描いた絵。どひゃーはずかし。今見ると直視できないけどまあ割と頑張った方なのでは。この頃はペイントソフトがなくて、コスプレの加工用に使ってたフォトショを使って描いていたけど、手振れ補正がなくてめっちゃ使いにくかった。
でもこの時の私はそれで満足だったし、日々イラストを生産していった。そしてアニメ4話が放送される頃にはガルガンティアへの愛が溢れて止まらなくなり、生まれて初めてジャンル専用アカウントというものを作った。それが今使ってるこのアカウントです。ツイッター上に生息していた数少ないレドミークラスタを捕捉して片っ端からフォロー、荒れ狂う海の如くCP語りに明け暮れた。

ガルガンティアきっかけで知り合ったフォロワーさんたちは本当に良い人ばかりで、今でも繋がりがある。コロナ蔓延る前の二年前も、東京都民が多いメンバーで何故か京都でガルガンティアオフ会をした。
ツイッターで絡んでいるうちに仲良くなるっていうのもあるんだけど、開催されるイベント全てに顔を出す上に会うからそこで仲良くなる。あの頃は放送と同時期にやっていたカラ鉄コラボカフェっていうのがあって、私はそこに日々通っていたのでツイッターで「コラボカフェなう」と呟くとだいたいその場にフォロワーさんがいたりしてお話したりしていた。何回行ったかはもはや覚えていない。

アニメの話数が進む度に、やはりシリアス度が増して来る。メンタルに来る内容も多かったけど、アニメを見た後某大型掲示板の考察を読んで、話のオチをみんなで予想するのが楽しかった。オリジナルアニメならではの醍醐味だ。私がそのサイクルを繰り返しているうちに、私の見立て通りレドとエイミーは両片想い匂わせ選手権みたいなことをやり始めて私は狂喜乱舞する。これも少し余談だが、恋愛がストーリーの主軸じゃないアニメに出てくる男女CPにハマって、その二人にフラグ立ち始めるとめちゃくちゃに滾ってしまう。恋愛主軸じゃないっていうのが大事で、普通に生活しているうちにいつの間に……っていうのがミソなのだ。レドミーはその塩梅が最高だった。

公式がポイポイ落としていく撒き餌を地面に這いつくばりながら食べること数ヶ月、ついにこのアニメは完結してしまう。公式のイベントで1話から12話、そして最終話を先行で見られるというオールナイト上映会っていう神イベントがあって、私はそれに参加した。今思い返しても、人生で1、2を争うレベルで楽しいイベントだった。楽しみすぎた私は三時間前に豊洲の会場入りして、突如その場に現れたチェインバーくんの着ぐるみと抱き合ったりしながら時間を潰していた。

そして始まる最速最終話。結論から言うと、徹頭徹尾、最初から最後まで、何から何まで最強のアニメだった。虚淵玄の「このアニメは明るい終わり方だし、あんまり人死なない」的なニュアンスの言葉を信用できなかった私は、レドはどうせ元の世界に帰るんだとか、死にはしないけど生きたまま海に沈められるみたいな死ぬよりも辛い目に遭うんだとか、そんなことを思っていたが、希望しかない終わり方だった。朝の5時、始発が動き始める頃。私は満たされた想いを胸に、上映会の会場を後にした。爽やかな気持ちで眺める有明の空と海は、とても綺麗な色をしていた。

●2013.7~2014.1 就職活動とガルガンティア再放送

ガルガンティアが終わった後の私に残されたものは、現実だった。私がこの数ヶ月間充実したガルガンティアライフを送る一方、あろうことか現実世界の時間も進んでいた。私はこのアニメが大好きだったが、見ていて少し心に突き刺さるものがあった。それが何かというと、「就職活動」である。

このアニメの主人公レドくんは、地球に漂着して元いた場所に帰れなくなってしまう。なので、ここで生きていくためにお仕事をしてお金を稼がないといけない。レドくんは戦闘に関しては一流なんだけど、戦い以外のことをやらせてみるとめちゃくちゃポンコツだった。かわいい。そんなレドが定職に就こうと奮闘する姿が見られるため、巷では就活アニメと言われるようになっていた。
そもそもこの作品、「お仕事もののアニメ。これから新しい環境に飛び込んでいく新社会人たちに向けての応援歌」的な意味を込めて作られたものらしい。インタビューに書いてあった。当時大学四年生だった私に直撃だった。

私はアニメを見ながら思っていた。レドの就職先と私の就職先、どっちが先に決まるんだろう。
結果、レドが先だった。最終話でレドはクソダサいシャツを着ながらも自分の船を持ち、サルベージの仕事をしていた。彼は自分のやりたいことを見つけ、定職に就いたのだ。
レドは稼いだお金でエイミーに似合う髪留めを買ってあげるんだ。するとエイミーは「このお金はレドが欲しいものに使うんだよ」っていうんだけど、レドは「俺はエイミーの喜ぶ顔が見たいから、こうする」って言うんだ。そんな妄想をしながら、私はボールペンを手に取りエントリーシートを書……いていると思っていたらいつの間にかペンタブのペンを握ってお絵描きをしている。ダメだ、レドも頑張ったんだから、私も頑張らなきゃ。このアニメの制作陣だって、私みたいな就活生の力になることを祈ってこの作品を作っているんだ。だからがんばれ、ここが踏ん張りどころだ。がんばれ。

しかし私の進路を決定付ける事件が起きてしまう。忘れもしない2013年10月10日。その日はガルガンティアの再放送1話の日だった。この前終わったばっかりなのにもう再放送するの?と思いながら神の1話を鑑賞。アニメ始まって最初のCMで、ファンなら忘れもしないあの映像が流れる。画面にデカデカと現れる「続編制作決定」の文字。私がこの世で好きな言葉第一位だ。

続編制作決定の文字を眺めながら私は思う。続編って、いつになるんだろう。今年中は無理だろう。続編ってことは、最終回後の二人がどうなるかが描写されたりしちゃうわけだ。オタクが大好きなその後の話なんだ。最終話時点の二人はおそらく両片想いで交際をしておらず、その二人の関係がどうなるのか公式から提示される可能性があるのだ。そう思ったら居ても立っても居られなくて、溢れ出すお絵描き欲をペンタブに乗せてシコシコとレドミーを量産した。

そして私は就活を辞めた。だって、社会人になったらお絵描きする時間なくなっちゃうじゃん。私はまだレドミーの絵を大量に描いていたい。出来れば一生描いていたい。私は通っている大学の大学院に進学することに決めた。余命の延長である。私は自分が思っていた以上に欲望に忠実だった。今思えば理由がクソすぎるけど、結果的に大学院楽しかったし、今はいい感じで生きられているのでそれで良しとする。
これフォロワーさんにいまだにネタにされる。「就活生応援アニメ見て就活辞めた人いるよね」って言われる。一体誰なんだ顔が見てみたい。ちなみに同い年のフォロワーさんたちは、みんなちゃんと就活して就職していた。これがあるべき正しい姿だ。

その頃になると周りのみんなは卒業論文に追われていたが、充実したガルガンティアライフを送るために私は夏頃には卒業論文を書き上げていたのでめちゃくちゃ暇になっていた。だって、ダラダラしてたら絶対卒論なんて書かないで創作しそうだし卒業できなくなるのは目に見えていたから。私は意外にも、夏休みの宿題は早めにやって後半遊ぶ派の人間だった。
ちょうど院試も控えていたが、まあ大丈夫だろうと高を括る。私は自己肯定感が高いので根拠のない自信を持ちがちである。文学部所属のくせに読む本が偏食過ぎた私は、英語の試験の過去問の文章問題で指輪物語の作者のトールキンが何かわからず調べた挙句何故か特急列車と訳して全く問題が解けず質問に行ったら「あなた文学部専攻でトールキンが何かわからないなんてことはないよね?」って言われて、あ、これは勉強しないとやべーな、と思ってちょっとだけ勉強した。自分の名誉のために言うけど私は英語が絶望的にできないだけでトールキンを知らなかったわけじゃない。ちょっと色々あったんだよ色々とね。ちょっと勉強のやる気を出しながらも再放送の熱に浮かされながら定期的に絵を描き続け、目に見えて絵が上手くなった。

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(2014.1.3)

絵を描き始めて一年経たずにこれだから凄い。フォトショでこれだからほんとすごい。今の私より上手いかも。

●2014.9~2015.3 OVA前編と同人活動

無事大学院の試験に受かり、卒業も決まり、私は晴れて大学院一年生となった。大学院では修士論文があるが、私は書きたいテーマも決まっていたので勉強面は割とすんなり行けた。授業も少なく暇だったため、私は狂ったように絵を描きながらたまに外出してはプリパラの筐体で散財していた。

ガルガンティアの続編、OVA前編は2014年9月27日に劇場で先行公開された。私は暇な大学院生。最強だった。無限に創作ができる。
来る9月27日、私はわざわざ沖縄から東京に遠征してきたレドミークラスタのフォロワーさんと朝イチで劇場に足を運んだ。大画面で1年ぶりの新しい映像を見て、エイミーちゃんが階段を駆け上がってるシーンでOPが流れて、感極まって泣いた。この世界に帰ってきたんだ、と思った。大画面に推したちが映るたびに、新しい世界観が提示される度に、この場面を見るために私は生きていたんだと本気で思った。そんな瞬間を毎秒与えて来るもんだから、心臓が保たない。

その後カラオケで先行発売Blu-ray開封式をしてオヨオヨと泣いた。帰宅してから擦り切れるほど円盤を再生しながらツイッターを開き、各地の舞台挨拶のレポを片っ端から漁った。舞台挨拶ではその作品の声優さんが登壇するためその方々目当てで行く人が多いが、私の目当ては監督とプロデューサーだった。勿論声優さんも大好きなんだけど、(特にレドの声を当てていた石川界人くんはこれが初主演の作品だったと言うこともあり、私たちファンばりに作品を読み込んでいて、声優っていうかファンの代弁者って感じで非常に好感が持てた)声優さんのコメントよりも、その作品を作ってくれた制作陣の裏話とか小ネタを聞きたい気持ちが大きかった。
監督が埼玉かどこかの舞台挨拶で「レドミーが〜」みたいなコメントをしていたと知った。よく公式にカップリング名入ったリプを飛ばすなみたいなツイートを見かけるけど、公式からカップリング名を入ったツイート飛ばされるみたいなことってあるんだな。

OVAは60分でお手頃で見やすく、特典も無限に欲しかった私は暇さえあれば映画館に通った。多分前編だけで15回は見た。布教したくて大学のサークルの後輩を連れて行った後、見てくれてありがとうと言ってサイゼリアでごはんを奢ろうとしたら、「就職してない人にお金払わせるほどお金に困ってませんよ」と返され、奢らせてもらえなかった。よく切れるナイフで心臓をグサグサされてる気分だった。あの時のあの子の言葉が、胸に突き刺さって抜けない。

この頃の私はようやくSAIを手に入れ、手振れ補正の素晴らしさに打ち震えながら創作活動をしていた。そして私はこのジャンルで、一つだけやり残していることがあると前々から思っていた。それは個人誌を作ること。前からフォロワーさんの企画でカレンダー企画とかアンソロ寄稿とか、そういうことはさせてもらっていたんだけど、個人誌は未開のエリアだった。ガルガンティアが完結する前に、何としてでも本を一冊出しておきたかった。

なので私はイベントに参加することになった。公式では見られないであろう話を描きたい!ってなったので、レドミーが結婚する話を描いた。推しCPは自分の手で結婚させるものだ。
元々筆が遅く、丸一日原稿やっていても本を一冊完成させるのに数ヶ月かかってしまう。でも時間は沢山あったので、1コマ1コマ念入りに下書きをしてペン入れをした。漫画は絵と違って楽な構図に逃げるのが難しいし、すごく大変だった。四苦八苦しながらも完成させたのがこの漫画です。

漫画っていうか、1コマ1コマがイラストみたい。良く言えば丁寧、悪く言えば動きが全然ない。それでも私はめちゃくちゃ感動したし、全力を出し切ったと思った。

初参加のイベントはとても楽しくて、一冊一冊を「ありがとうございます」って言いながら手渡しするのは同人イベントの醍醐味だなぁと思った。元々私は自分の欲を吐き出すために創作をするタイプで、周りの反応はどうでもいいって思う人間だったんだけど、いざ感想をもらってみると滅茶苦茶嬉しくて、また描こうと思った。あと買ってくださる方の男女比が9:1ぐらいで、そういえばこのジャンルは男性向けだったな、ってなった。周りのフォロワーさんが女性だらけだったから女性ファンが多いイメージを勝手に抱いていた。

●2015.4~2015.8 OVA後編と同人活動

イベント参加から数ヶ月、ガルガンティアOVA後編が2015年4月3日に公開された。この時私は大学院二年生。待ちに待った公開日だけど、これを見たらガルガンティアというコンテンツが終わってしまうのだと言う虚しさもあり、手放しに喜ぶことはできなかった。

この日はOVA前編振り返り+後編の先行上映という、前夜祭イベントだった。思えばこれが最後のガルガンティアのイベントだった。私は劇場に入る前に緊張しすぎて30分で三回ぐらいトイレに行った。

何人かのフォロワーさんとワイワイしながら、いざ劇場へ。みんな座席が離れているので、映画終わったら集まろうと約束。劇場の入り口で、なにやら小冊子を配られる。ネタバレ有りっぽい小冊子だったが、見ては行けないと言われると見たくなるのが人間の性というもの。元々ネタバレとかそんなに気にならない私は席につき、先っちょだけ!先っちょだけだから!とうわ言を言いながら一人で配布された冊子を開いた。どうやらOVA後編後の話をしたためた小説らしく、案の定開いた途端に後編のネタバレを食らった。後編で出てくる「ガルガンティア世界における陸地の話」にスポットが当たる書き下ろし小説らしい。最初のページの監督コメントには、以下の記載があった。

(前略)その物語をTVシリーズ2期とするべく、アニメ制作の準備を進めていたのですが、残念ながら、諸般の事情により制作が困難となってしまいました。しかし、どういう形であれ、本作の正当な続きであり、もう一つの顔でもあるこの物語を、皆さんにお届けしたい。そういう私たちの願いが、小説として成就しました。

最初、何言ってるのかわからなかった。情報量が多すぎる。どうやらこの冊子には良い知らせと悪い知らせが書いてあって、良い知らせとは、翠星のガルガンティアという作品はOVA後編で最後ではないということ。配られた冊子は、今後発売される小説の冒頭を抜き出した試し読みであること。悪い知らせとは、アニメの二期をやる予定だったが、諸般の事情で制作中止となったこと。茫然自失状態でツイッターを覗いたら、案の定TLが阿鼻叫喚だった。みんな私と同じ気持ちだったと思う。
この一件のせいで、「諸般の事情」という言葉は今もなお私の嫌いな言葉第一位に君臨し続けている。

諸般の事情って言うけど、多分お金の問題だろうと大人な私は察した。多分アニメ業界ではよくあること。ボランティアでアニメ作ってるんじゃないんだから。だけど私は激しく悔いた。お金が足りないならなんでもっと私たち(ファン)に頼ってくれなかったのよ!と彼女面をした。なんで私は石油王じゃないんだろうと思った。もし私が石油王だったらクラウドファンディングしてもらえれば制作費用一瞬で全額振り込めるし、私が超美人YouTuberだったら「私翠星のガルガンティアっていうアニメが大好きで!見てない人は今すぐ見てほしいな❤️見てくれた人全員と寝る」って言って認知度爆上げさせるのに。自分が自分であることをこれ程までに呪った日はなかった。

そんなこんなで情緒不安定なまま上映開始された。ストーリーが面白いのは勿論なんだけど、自分が想像していた以上にレドとエイミーの絆で鳩尾ぶん殴ってくるような内容に私は5分に一回は泣いていた。痛い、痛い、お前たちの愛が痛い。感想は割愛する、興味ある人はこれを見てくれ。当時の私の発狂ぶりが伺えて面白い。

見終わった後、フォロワーさんたちと合流した。フォロワーさんのフォロワーさんも交えてオールでカラオケに行った。映画の内容が良過ぎた感動と、続編があると言う喜びと、アニメの二期が頓挫したと言う覆しようのない悲しい事実で、感情がごちゃごちゃだった。多分監督をはじめとした製作委員会の方々は、こんな風に人を沢山集めた劇場で前編と後編を上映した後、最後に真っ黒な画面を用意して、そこに白文字で「アニメ二期制作決定」の文字を写して拍手喝采に包まれてニコニコ顔で舞台に出てきたかったんだろうな、ということを考えたら制作中止になったことがめちゃくちゃ悔しくて、我が事のように泣いた。

それでもやっぱり、この世界の続きがまだ見れるんだと思うと心が躍った。だって二年後設定って。レドは18歳、エイミーが17歳。一番美味しい時期じゃないか。どうやら続編小説の発売は2015年の8月。割ともうすぐだった。二年後の二人が提示されるよりも前に、時系列OVAのレドミーを心置きなく描いておこうと思った。丁度、数か月後には夏コミが控えている。

しかしここでもアイツが私の邪魔をしてきたのだ。就職活動である。またお前か。お前は何度私の邪魔をすれば気が済むのだ。正直、就職活動どころじゃなかった。翠星のガルガンティアはおそらく次で本当に終わるのだ。翠星のガルガンティアが終わる前に悔いのないよう同人誌を出したい。これは今しかできないことなんだ。就職活動も今しかできないんじゃないの?という至極真っ当なツッコミはやめて欲しい。

大学院の博士課程に進むという道も残されてはいたが、私は大学の教授になるつもりはなかった。博士課程進んで教授になるなんて、多分普通に就職するより何十倍も茨の道だ。自分の専攻の分野にそこまでの情熱を注ぎ込める自信もない。だから私は普通に卒業して就職する道を選んだ。

卒業論文の時もそうだったが、私は嫌なことは先に終わらせたいタイプだった。就職活動では、取り急ぎ受けた一社目の面談が通ったのでそこに就職することにした。出来るだけ就活に時間を割きたくなかったし、私にはまだ修士論文というタスクが残っていた。私は暫くお絵描きなどの趣味を封じて図書館に籠り、資料集めをちゃちゃっと終わらせて、6月にはほぼ修士論文を書き終えていた。

光の速さで同人界隈に戻ってきた私は、晴れ晴れとした表情で個人誌と合同誌の原稿を描き上げた。人生初の夏コミ参加、しかもフォロワーさんと合同ということで、滅茶苦茶浮足立っていた。

神の本。今思えば数ヶ月間の間に就活と修士論文と原稿二つを終わらせた自分、何者なんだ。

●2015.8~2016.3 続編小説上巻と同人活動

2015年8月29日、ついにガルガンティアの小説が発売された。こちらもはたまた上巻と下巻で別れていて、我々ファンの延命措置が取られていた。下巻発売まで生きる意味が出来た。

こちらの小説、主人公がレドではなくラッセルという男の子にチェンジしている。お相手と思しき女の子はスカヤという銀髪美少女で、これまた早見沙織の声で喋りそうな見た目だった。アニメ化したらCV早見沙織でお願いします。レドとエイミーは二年後の姿で、サブ主人公みたいな感じで登場した。

このレドとエイミー、ちゃっかり男女交際をはじめていた。え!?むしろ今まで付き合ってなかったの!?って感じではあるが、「付き合っている」と名言されたのはこの小説が初めてだった。私はその場面を舐めるように何度も何度も読み返してはため息をついて床に頭を打ち付けた。もうだめだ耐えられない。この情熱を何にぶつけようか。同人誌?いやそれはもうやっている。冬コミに出ることも確定している。もっとビッグなことをしたい。

ということで、アンソロを出すことにした。(協力してくださった皆々様方、その節は大変お世話になりました。)アンソロ企画なんてしたことなかったし、私がそんな行動的なオタクだなんて思っていなかった。でも欲しかったので自分で作ることにした。

それはそれは、神のような本だった。抱えて寝たし神棚に飾った。今読み返してるんだけど、私はこの本を作るために生まれてきたんだろうな……って割と本気で思えるぐらい。冬コミでも沢山の方に手に取っていただけて、アニメ本編放送終了してもこの二人の物語をこうして求めてくれる人はまだまだたくさんいるんだなぁ、と目頭が熱くなった。なんかもう、やり切った感が凄かった。このジャンルでやりたいことはやりきったよね?あとは大人しく春の下巻発売を待ちながら落書き量産してれば良いよね?そんなことを思ったが、やはり私にはもう一つやり残したことがあった。それはエロ同人を出すことである。

エロ同人には悩めるときも健やかなるときもお世話になってきたのだ。私も描いて、世界に恩を返すべきだと思った。そもそもこのアニメ、鳴子ハナハルさんというエロ界隈の金字塔みたいな方がキャラデザを担当している。これは原作リスペクトの意味でも、えっちなやつを描くのが礼儀ってもんなんじゃないか。何を血迷ったのか謎解釈を始めた私は、冬コミから帰宅して速攻で夏コミに申し込んだ。今まではアニメジャンルで一日目に申し込んでいたが、退路を断つために三日目の男性向けジャンルで申し込んだ。

でも、夏コミに出ている頃には私は社会人一年目になっている。4月以降でまともに原稿が出来る気がしない。よって私は、3末までの三か月間を使ってエロ同人を完成させる必要がある。前倒し計画には慣れっこの私だったが、男性向けエロ漫画なんて生まれてはじめて描く。色々至らない点もありつつも、3末までになんとか形になるものを完成させた。本当に滅茶苦茶しんどかったけど、人生の推しCPのエロ同人を一冊この世に送り出せるという事実に胸が高鳴った。

●2016.3~2016.8 続編小説下巻と最後の夏コミ

下巻小説、即ちガルガンティアの物語が完結したのは忘れもしない3月30日、大学院生最後の週、社会人一年目の前々日だった。色んな意味で、人生の節目だった。

小説の内容は、とても面白かった。本編のアニメのあのシーンは実は○○で、みたいな物語の真相がこれでもかって提示されて、レドのいた宇宙と今いる地球の関係性とか、それが全部詳らかにされて、読んでいて爽快感がヤバかった。下巻の感想を語ると多分五年ぐらい息継ぎ無しで喋ってると思うんだけど、このnoteはそれを語る場所ではないので割愛する。

まあそんな感じで小説の最後の方まで、ハラハラドキドキワクワクの展開が続く。良い物語を読ませてもらったな。

そう思っていた矢先、最後の数十ページのところで。レドとエイミーが結婚した。私の妄想ではない、これは現実ではある。ファンが良く言う「レドミー結婚した!(比喩)」が「レドミー結婚した……(真顔)(現実)(ガチ)」になった瞬間だった。3年前に私が勝手に見た幻覚が、ついに本物になったのだ。

男女の関係性の終着点が、必ずしも結婚であるとは思っていない。そのまま付かず離れずの関係を繰り返して相棒のままで終わる関係だったり、片方が死ぬことによって完結する関係であったり、様々だと思う。私もハマったCPごとにその辺の解釈が変わったりしていた。でもレドミーに関しては、結婚がゴールだと思っていた。元々家族がおらず地球でも孤独な異邦人だったレドと、早くに父と母を亡くして女手一つで体の弱い弟を支えたエイミー。彼らが真の意味で家族になることは、二人の関係性の終着点だと思った。完結してしまった寂しさはあれど、このシーンを見ることの出来た満足感が寂しさを上回った。

結婚式のシーンでは、鳴子ハナハルの挿絵の素晴らしさに私は涎を垂らして放心した。なんだこれ、もう同人誌でやることないじゃん。鳴子ハナハルが描く推しCPのキスシーンとか手に入れちゃった暁にはどんな夜のまぐわいよりもえっちじゃん。もうこの絵一枚だけで百年抜けるわ。それからしばらくは自分が見たイラストが現実か妄想かわからなくなっていた。

小説を読んだ日は丸一日床を転がって終わった。次の日、学生時代最終日。冷静さを取り戻した私は、漸く現実と向き合おうとしていた。

ははっ、先取られちまったぜ。レド、お前は就職も結婚も、私より先にしちまうんだな。私の完敗だよ。
推しCPの巣立ちを見届け、私は漸く自分の現状を見直すことができた。レドミーだって結婚したんだから、私もそろそろ現実と向き合わないとなぁ。私はラインを開き、久しぶりに一人の男のトーク画面を開く。当時の彼氏のラインだ。

割と本気で忘れていたが、私には彼氏がいた。大学一年生の時から付き合っている、まあまあ長い付き合いの彼氏だ。でも大学四年生の頃から会う頻度は少なくなっていて、付き合って五年も経つその頃には会う頻度が半年に一回とかになっていた。というか、私が塩対応だった。原因は明白、私がレドミーのえっちな本の原稿で忙しかったからである。いや私、クソすぎん???まあ冷めていたって言うのもあるし色々理由もあるんだけど、それはここには書きません。ガルガンティア関係ないので。

私の第二の人生もといレドミーの歴史がひと段落ついたのを見届けて、私は当時の彼氏に連絡を取った。一度冷めかけてしまったけれど、私も社会人になったことだし、もう一度向き合って将来を考えてみようと思った。

結論から言うと、彼氏は浮気をしていた。当時ニコ生をやっていた彼氏は、リスナーの女とデキていた。それも二年前から。彼氏曰く「もう別れていると思っていた」から。いや、別れ話してませんけど。二年前と言えば、ちょうどアニメジャパンでOVAの詳細が出て私が狂喜の舞を踊り続けていた頃だった。私が踊っている裏で、彼氏はニコ生の女とオフパコをしていた。私は怒り狂ったけど、まあ冷静になって考えると私は彼に対して浮気されて当然の行いをしていた。二次元のキャラクターの恋愛のことばかり考えて自分の恋愛を蔑ろにしていたので、当然の報いなのかもしれない。その元彼とは当然別れた。

私は割とショックを受けていたが、自分自身の恋愛に対してショックを受けられる程度の情緒が残っていた事に対しては少し安心していた。とても原稿を描けるような状態ではなく、予め原稿を終わらせておいて良かったと思った。

失意のうちに時は過ぎ、その三ヶ月後に私は人生初のエロ本を出した。私が出した本は続編小説の設定で、読む人を選ぶだろうなあ、そもそもあの小説読んでるファンはどれぐらいいるんだ?売れるのか?と不安になっていたが、普通に売れた。根強いファンの多いジャンルなんだな、と泣きたくなるほど嬉しかった。

多分私は、このジャンルで無限に活動できるだろうと思った。例えガルガンティアを扱うサークルが一つだったとしても、自分の描きたいものはまだまだ沢山あるから。だけどその頃の私には、同人活動を続けていける体力がもう残っていなかった。社会人ってこういうことか、と学んだ。このエロ同人を境に、ガルガンティアで同人誌を出すのは最後となった。

少し余談だが、この時に限って大学時代のサークルの面々が私がサークル参加をすることを把握していた。多分、男どもの大本命である三日目だったからだろう。元々ガルガンティアのサークル数は少なく、私の特定は容易い。私がエロ同人を書いたと言う噂はリア友内に瞬く前に広まり、いつの間にか購入していた男友達に「お前のエロ本読んだよ。もう少しで抜けるから頑張れ。」と言われた。力及ばず申し訳ない。ちなみにその数年後、私はその男と付き合うことになって今に至る。

●おわりに

私は今別ジャンル(ツイステ)にハマっていて、割とエグめの熱量で創作をしている。生まれて初めてゴリゴリの女性向けジャンルにハマり混乱しているが、好きになったキャラがはたまたレドくんを思わせる美少年顔の子なので、性癖植え付けられたんだなぁと思う。

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この記事を書くにあたって、久しぶりにエイミーを描いた。これが今の私の絵。ハッ……なんだこの天使は……と思ったらエイミーちゃんだ……可愛い……。私の描くエイミーちゃん永遠に可愛い。私は今も昔も最強なのだ。

私は多分、今後も色んなジャンルにハマることがあると思う。だけど、ガルガンティアの時みたいな熱量はもう二度と出せないと思う。あれは学生時代の若さ故だった。時間が無限にあって、隙あらば創作をしていたあの頃と今とじゃ創作のスタンスも全然違う。人生で一番暇で自由な時期に出会ってしまった作品は、やはり特別なのだ。作品に対して、自分の中の100%の熱量をぶつけることができるから。

この話で私が何を言いたかったかと言うと、翠星のガルガンティアを見てくれと言うことだ。ガルガンティアを知らない人がここまで読んでいるかは謎だが、もしいたら見て欲しい。ガルガンティアを知っている人は今からもう一周見よう。

冒頭でも言ったけど、2021年3月26日に、翠星のガルガンティアのBlu-rayBOXが発売される。このBOXにはアニメ本編とOVA前後編、そして二期となるはずだった小説も入る。今までの雑誌とかに載ってた書き下ろし小説も載る。つまり、ガルガンティアの全てが詰まったBOXということだ。
とても喜ばしいことだけど、これはおそらく、ガルガンティアには今後もう新しい展開はありませんよと言われているのと同義だと思っている。私たちファンは諦めが悪いので二期のアニメ化をずっと夢見ていて、プロデューサーが言っていた「いつかきっと」の言葉に縋って生きてきたが、時間が経てば経つほど二期の映像化は無謀なものになってしまうし、このタイミングでアニメのBlu-rayBOXが出るって、つまりそういうことなんだと思う。例外あるかもだけど。

だから私は、このタイミングで筆を取った。おそらくガルガンティアの節目になるであろうBlu-rayBOX発売というタイミングで、自分とガルガンティアの七年間の話をここに書き留めておきたかった。私がたまたまめっちゃ狂いやすい人間だっただけで、その私がたまたま翠星のガルガンティアを好きになっただけかもしれない。こんなの狂ったうちに入らんだろうという意見もあるかもしれない。でも、アニメに関してはチャラかった一人の女をここまで一途に狂わせたこのアニメをどうか見て欲しい。そしてアニメ本編を気に入ったらBlu-rayBOXを買って、小説読んで、あの世界の続きと真相を見届けてほしい。

とりあえず3話まで、なんて言わない。1話でいい、1話を最後まで見てくれ。30分だけ時間をください。1話を見て面白いと思ったら、全部見て欲しい。

ちなみにGYAO!だと2021年1月22日までOVA前編と後編が無料です。見たことない方は是非見てみよう!

私たちガルガンティアのオタクは今でも夢見ている。唐突な再放送の最終話の最後に、黒い画面に白い文字で「アニメ二期制作決定」の文字が出る瞬間を。BOXが一億枚売れればワンチャンあるかもしれない。全人類、翠星のガルガンティアを見てくれ。

最後に、拝啓、翠星のガルガンティア様。私をここまで狂わせてくれてありがとう。とても楽しい人生だったし、私は一生このアニメが大好きで大切だ。翠星のガルガンティア制作陣への想いを綴る長い長い壁打ちラブレターでした。おしまい。


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