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チャイニーズ・フリーメイソン洪門


中国にも秘密結社が存在します。

中国では民間で組織された秘密結社のことを「会党(フィダン)」と呼びますが、中でも巨大な組織が「洪門(ホンメン)」「青幇(チンパン)」「哥老会(紅幇=ホンパン)」。(習近平の父親は哥老会だったようです)

特に、洪門(ホンメン)というのは、アメリカのフリーメイソンと関係が深く、チャイニーズ・フリーメイソンと呼ばれる秘密結社となっています。
日本でも有名な女優「チャン・ツィイー」や、辛亥革命を起こした「孫文」、そして中国共産党の最高指導者となった「鄧小平」も洪門のメンバーだったんです!

洪門とは?

中国の秘密結社の成り立ちにはそれぞれの背景があり、仏教やキリスト教など宗教的なものから派生したり、政治的な組織から始まるものもありますが、会党と呼ばれるものは主に、民間人同士の相互補助から生まれました。
中国では昔から権力に対する不信が多く、権力の横暴から身を守るには、みんなで結束して互いに助け合う必要がありました。
こうして各地で興った相互補助団体こそ、会党の始まりだったと言われます。

洪門もまた自然発生的に生まれた相互補助の団体というのが事実なのですが、洪門伝承秘書によるとその始まりは「少林寺」からだったと書かれています。「少林寺拳法」で有名なあの少林寺ですね。(COINOTAKより)
清朝康熙(こうき)年代(1662-1722年)、清国の弾圧を受けた福建省の南少林寺時の武僧の生き残り5名が清への復讐を誓い、万雲龍(ばんうんりゅう)という人物を大哥(ダーガー=兄貴分)に据えて結成したのが始まりだそうです。
よって、洪門の祭壇には生き残った5名の僧侶を5五祖として祀っています。
そして清への復讐から始まったとされるため、洪門が掲げるスローガンは「反清復明」
これは、満州民族の王朝である「清」を倒して漢民族の王朝だった「明」の国を復興させよう、というものです。
つまり、満州民族を倒して漢民族の国を創るというわけですね。

清の時代では、洪門は反政府組織だったため、その活動は秘匿化され、秘密結社としての色合いが濃くなっていきました。
また洪門という呼び方は内部での呼び方でした。外部に対しては「天地会」という名で活動しています。


洪門とフリーメイソン

「反清復明」を掲げる洪門は清国への復讐を狙っていました。
そんな中、欧米の列強が清へ押し寄せ、イギリスはインド製造したアヘンを清に輸出し始めます。
アヘンの流通に力を貸したのが秘密結社である青幇(チンパン)なのですが、ここには洪門も欧米のフリーメイソンと共に関わっています
19世紀半ばフリーメイソンはすでに上海に「上海ロッジ」を設けていましたが、そこには「香港上海銀行」の創設に関わったメンバーがいました。(COINOTAKより)
そして「香港上海銀行」こそ、アヘンで儲けた銀をイギリスに送金するための銀行だったのです。
さらに、その銀行へ出資していたのがサッスーン財閥、ジャーディン・マセソン商会、そしてロスチャイルド。
こうして、フリーメイソンと洪門は深く関わるようになり洪門のシンボルにもフリーメイソンと同じくコンパスが用いられることになったのです。

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そもそも、なぜ中国にアヘンを流そうとしたのかというと、もともとイギリスは清から「茶」を銀で購入していました。
しかし、イギリスはインドで作られたアヘンを中国に売って、中国に流した銀を回収しようとしたのです。

さて、洪門がフリーメイソンに協力したのは、清を倒すためでした。
「反清復明」を掲げる洪門及び青幇などの会党にとって、アヘンを流通させるのは清を弱体化させるためには好都合です。
なので青幇はアヘンの流通を担い、洪門はアヘンで儲けた銀をイギリスに送金する役割を担い、イギリス側に立ちアヘン戦争バックアップしていたのです。

利用された洪門

洪門は昔から中国だけではなく、海外へ移住した中国系コミュニティである「華僑」を通じて世界各地に支部を作っていました。(現代中国の秘密結社より)
それはハワイにもあって、1904年、清朝打倒を目指していた孫文もホノルルにある「三合会(さんごうかい)」という洪門の一派に加入しています。
孫文は、三合会加入以前から三合会のメンバーとは親しくしていて、1894年に反清朝の政治結社「興中会(こうちゅうかい)」を結成したのですが、興中会初期のメンバーは洪門の構成員だったのです。
この興中会は1905年、東京で華興会、光復会と一緒になって「中国同盟会」が結成されました。

そして孫文は、辛亥革命(武昌蜂起)に先立って、恵州蜂起など10回にもわたる武装蜂起を試みましたが、革命の資金は海外の洪門組織から援助されています
これらの革命は失敗に終わってしまったのですが、1911年10月10日、ついに辛亥革命が勃発しました。
このとき孫文はアメリカ、ユタ州にいたのですが、それもアメリカの洪門組織などから革命資金を集めるためだったのです。

辛亥革命は洪門の支援のおかげで成功したのですが、孫文は革命後、洪門を裏切ります
中国同盟会は革命後に、「国民党」と名前を変えます。(後年の中国国民党とは別政党)
そして、革命を支えてきた海外の洪門もまた独自の政党を結成して、母国の政治に参加しようとしたのですが、孫文や国民党はそれを認めなかったのです。
この裏切りに、中国の革命に多額の支援をしていた北米の洪門組織は、国民党への反発を強めます。
1915年にはカナダの西海岸ヴィクトリアで国民党関係者と洪門メンバーの抗争が勃発。
1925年、孫文が死去した際に、ヴィクトリアの中華会館開かれた追悼式に、洪門のメンバーが銅鑼をならして妨害する事態になっています。

中国共産党との関係

中国は現在、中国共産党の一党独裁ですが、実は共産党以外にも政党は存在します
その一つが「中国致公党(ちゅうごくちこうとう)」なのですが、これは洪門によって作られた党です。
「中国致公党」は1925年に作られましたが、初代党首には孫文の政敵「陳炯明(ちん けいめい)」がう選ばれました。アンチ孫文(国民党)という点で選ばれたのです。
しかし1941年日本軍が香港を陥落させると、活動停止に追い込まれてしまいました。
ただこの際、一部では中国共産党に資金援助したり、国外の洪門の中には抗日運動を行っていた勢力もあったようです。
こういった経緯もあり、戦後は致公党の幹部に中国共産党の地下党員も混じり、毛沢東の新民主主義を積極的に受け入れていました
そうして致公党は中国共産党と共に、蒋介石と対立することとなり1949年、中華民国を追居い出して中華人民共和国が樹立したのです。
しかし1957年、毛沢東が「反右派闘争」を発動すると、致公党の指導者が「右派分子」とされ失脚
1966年から始まる文化大革命では、致公党の活動が禁止され幹部が迫害死に追い込まれます。
1979年、文化大革命が終わり、致公党の活動が再開されたのですが、致公党は独自の政党としての立場を失い中国共産党の外郭団体に等しい立場になってしまいました。

洪門の役割

さて、致公党は中国共産党の外郭団体になってしまったのですが、なぜ中国共産党に吸収されないのか?
それは、「中国は独裁国家ではない」ということを海外へアピールするためですが、本音を言うと中国共産党の名前を出さずに中国政府に有利な活動が行えるからでしょう。。
その活動の中で致公党が担う役割が海外統一戦線工作(統戦工作)だとされています。
これは、対内的には中国共産党が包括しきれていない中国人(宗教団体や民間企業など)に中国共産党への親近感や忠誠心を持たせること政治工作です。
また、対外的には海外の中国系や親中派勢力に働きかけ中国の国益に見合う言動をとるよう仕向けたり、海外の反中勢力を弱体化させる工作を行っています。
香港やマカオ、台湾などでは中国本土へ統一させるための政治工作も行っています。
洪門は海外各地に散らばる華僑に対して強い影響力を持っているので、その特性を活かす役割が与えられているのでしょう。

習近平は今、一帯一路構想を実現すべく、様々な国へ手を伸ばしています。
洪門や致公党への重要性はこうした戦略により、ますます高まってると考えられます。

香港デモ

2019年6月に本格化した香港の民主化デモ
世界の洪門各派は、統戦工作に協力する形で香港のデモを非難したり、香港デモに反対するカウンターデモに参加したりしていました。
例えば台湾に拠点を置く「洪門中華民族致公文化総会」は香港の洪門に対して、民主化デモへの不参加を呼び掛ける声明を出しています。
カナダの洪門も香港デモに対して否定的な態度を取っているようです。

さらに、洪門から派生した三合会も香港デモを襲撃する事件を起こしています。
三合会は孫文も所属していたのですが、現代ではアウトロー化し、黒社会(マフィアのような組織)と呼ばれる反社会的勢力となっています。

2019年7月21日夜9時半ごろ、香港の元朗(ユンラン)駅で、白いシャツを着た男たち数百人が棒などの武器を持ち、デモ隊や市民を襲撃しました。(元朗七二一事件)
この白いシャツの男たちこそ三合会の構成員だと考えられています。
この日は、民間人権陣線というグループが大規模デモを実行した日でした。
なので、元朗駅にはデモ帰りの若者が大勢集まていたのです。
そこへ白シャツの暴漢が襲い掛かってきたのです。
デモ参加者は黒いシャツをまとうことが多かったようで、彼らは黒いシャツを着た市民を無差別に襲撃しました。
もちろんそれを見た市民は通報するのですが、警察の対応もひどかった
現場にはすでに2人の警官がいたそうですが、介入せずに10時50分にその場を立ち去っています。
11時20分ごろにして、ようやく警官隊が到着するにですが、暴漢たちを逮捕しようとはしませんでした。
やがて暴漢たちが姿を消すと、警官隊も引き上げるのですが、深夜になってまた暴漢たちが市民を襲っています。
こういったことから、警察は襲撃を容認していたとか、香港政府や北京の中央政府が三合会を仕向けたのではないかという憶測が広まりました。
これは、その後に出回った警察幹部が事件前後に白シャツ集団と握手をして談笑した動画が出回ったことで、多くのデモ隊に信じられています。まぁ、真相は藪の中ですが…

さて、このように中国共産党にベッタリな洪門を紹介してきましたが、中には香港のデモを積極的に支持して、中国共産党を非難するグループもいます。
それがアメリカのサンフランシスコ、チャイナタウンを本拠地とする「五洲洪門致公総堂(五洲洪門)」で、この組織は歴史的に中国国民党との関係く反共産党の立場を取る組織です。
五洲洪門のトップはアメリカの「自由アジア放送」の取材にこのように答えています。
「彼ら(香港の洪門)は完全に統戦工作を受けており、私たちとは完全に立場が違う。私たちは自由と民主主義を堅持し、香港の多くの民衆が逃亡犯条例改正案の反対運動の場に赴くことを応援している」
また、中国共産党や香港政府に対しては「現在の中国共産党は清朝よりはるかに暴力的かつ専制的な政治を行っている。香港の親共政権が勝手なふるまいをして悪法を施行するふるまいを、われわれは支持する理由はない」

このように一言で洪門と言っても、中国共産党の「手先」から、マフィア的なグループや自由と平和のために活動するグループまで千差万別なんですね。
これは良くも悪くも柔軟で節操のない洪門の実体を表しています。
ただ、この実体のよくわからないところにこそ様々な影響力が集まる理由なのかもしれません。

洪門の著名人

様々な影響力が集まると言いましたが、実際に洪門には孫文の他にも有名な実力者が集まっています。
たとえば政治家で言えば、朱徳鄧小平も洪門のメンバーだったとされています。
朱徳は中華人民共和国成立(1949)後に国家副主席などを務めただった人物で、鄧小平は第2代最高指導者として毛沢東時代の政策を転換し、現代の中華人民共和国の路線を築いた人物です。(ロックフェラーやブッシュ家とのつながりもあるとか…)
また、サイゾーの記事によるとジャッキー・チェンブルー・スリーもメンバーだったとか。

秘密結社であるので情報があいまいですが、日本でも有名な女優チャン・ツィイーは洪門の致公党に正式に入党しています。
2011年12月4日、北京で開かれた致公党第一四回大会で、チャン・ツィイーとリー・ビンビンが突如姿を現し、中国国内では大きな話題になりました。
チャン・ツィイーは映画「SATURI」や花王の「アジエンス」のCMでも知られる女優さんですね。
リー・ビンビンもハリウッド映画「トランスフォーマー ロストエイジ」や「バイオハザードV リトリビューション」に出演した女優さんです。
ネットでは彼女たちが洪門になったことで騒がれましたが、この大会に出席していた致公党の党員たちもこの演出には驚いていたようです。
休憩時間には、彼女たちとの記念撮影を撮りたい人たちが集まり、列をつくっていたとか。

経済界にも致公党のメンバーはいます。
中国ナンバーワンIT企業であるアリババのグループ副総裁は致公党の上位幹部である党中央留学人員委員会副主任というポジティブについています。
また、同じくIT大手のネットイースコアラ(網易:ワンイー)や北京大学系のIT企業「北大方正」などにも党員の存在が確認されています。

アメリカ国債ショックを救った洪門

2011年8月5日、、アメリカの格付け機関スタンダード&プアーズ(S&P)が、アメリカの長期発行体格付けをAAAからAA+に格下げしました。
これにより、世界の株式・債券・通貨市場へショックを与えアメリカはデフォルト(債務不履行)の瀬戸際まで追い詰められてしまいました。
この事件を「アメリカ国債ショック」と呼ぶのですが、この窮地を回避させたのが洪門だったそうです。

暗号通貨に関する情報を取り扱うサイト「COINOTAK」では、日本の洪門である日本國新洪門総会総会長の鈴木勝夫氏に対してインタビューを行っています。
そこで、鈴木氏はアメリカ国債ショックについてこう語っています。

「アメリカ国債ショック」をご存知ですか。
2011年、アメリカの国会では米国国債の償還をめぐり、2つの大きなグループが対立していました。
デフォルト派とその反対派で強いドルを目指す派閥です。
そして両グループにはロックフェラーとロスチャイルドが混在する形で背後に存在していました。
万が一デフォルトが可決された場合、米ドルが紙切れ同然の価値となり、世界経済に甚大な影響を及ぼします。
当時、この対立に対してデフォルト反対派の立場から調整したのは洪門(ホンメン)だと言われています。
ロックフェラー、ロスチャイルドに対して、デフォルト後の金融を洪門が握ることを示唆し、留まらせたと聞いています。
ちなみに、当時米国国債を最も多く保有していた国は中国でした。

つまり、これは洪門がロックフェラーやロスチャイルドとの交渉力を持っているということ。
そのチカラの源は中国共産党でしょうが、そこまでの影響力があるんですね。

鈴木氏は、さらにこう続けて言います。

また、ホワイト(フリーメイソン)は戦争を起こしてお金を稼ぐと言われています。
日本の明治維新もそうですし、近年ではイラク戦争はロックフェラーが仕組んだのです。
ただ我々も世の中を動かす力を持っている。
そして我々は義に忠実に生きています。
弱い者が淘汰される世界を作ってはいけないのです

参考
現代中国の秘密結社」(安田峰俊)
中国の秘密結社」(山田賢)
COINOTAKU


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