2ちゃんねるとマイホーム主義の挫折

私はインターネット老人会に該当する年齢である。インターネット老人会とは 2000年頃のインターネット文化を懐かしむ会合やハッシュタグのことである。 ISDNで接続する時に聞こえる音声は今でも懐かしく思う。ピー、ギュルギュル、ピーー、ギュルギュルギュルギューー、というあの音は これから自分が これから自分が何かを覗きに行くのだという何ともいえない期待感があった。その頃のインターネット文化の中心には2ちゃんねる(現5ちゃんねる)があった。


私は大した2ちゃんねるユーザーではない。UNIX板を覗いて、「もし、自分の乗っている飛行機がハイジャックされたらその場にあるUNIXワークステーションにどんなコマンドを打つか?」などという不謹慎な大喜利的スレッドを見ていた程度である。2001年にアメリカで同時多発テロ事件があったころである。


同じころ、2ちゃんねるは一度サービスが行えないという危機を経験している。read.cgiというスレッドを表示するCGIの実装がアクセス量に耐えられなくなりサービスができなくなったのだ。その時、ボランティアの技術者達がこのCGIの実装を軽量化しようと議論を重ね、実際にモジュールを提供し、ついにサービスを再開するに至った。このread.cgi改善のストーリーはインターネットが実際に問題を解決するためのコミュニティーとして機能するのでは予感させるに十分な伝説であった。


しかし、その後、2ちゃんねるはインターネットメディアに対する批判を一手に引き受ける存在になってしまう。2ちゃんねるに書き込まれたことによる名誉毀損の訴えが頻発した。犯罪の被疑者が個人特定されるような書き込みがされる事件があり、2002年のサッカーのワールドカップ以降はネトウヨ的な言説が投げ込まるようになり、2ちゃんねるはネトウヨの巣窟というレッテルを貼られてしまった。あまり評価されないものになってしまった。


2ちゃんねるは多様な掲示板の集合体であり、その話題の幅は実に広い。ネトウヨ的な言説が投げ込まる場所であることは2ちゃんねるの一面でしかない。例えば「心と身体」板を見るとそこにはスレッドごとに様々な疾病を持った人々の治療やそこから受けた体性感覚が言葉で書かれている。一つ一つの書き込みは一人の体験でしかないので何の普遍性もない。しかし、そのサンプル数が大きくなると、それを通して読んでいくことで何が中心で何が辺縁かが分かるようになる。そのことで自分の疾病や治療の体験が相対化できるのである。


2ちゃんねるには編集者がいない。だから内容がカオスになるのは当然である。しかし、特定の話題に対してその話題についての言葉のサンプル数が大きくなることで全体像を捉えることができるようになる。それが、2ちゃんねるとの正しい距離感のとり方なのである。しかし、その距離感はあまり理解されなかった。2ちゃんねるがテレビで叩かれる時には、2ちゃんねるに書き込まれた極端な言説がピックアップされて、「だから2ちゃんねるはダメだ」と繰り返しレッテルが貼られた。しかし、それは単に2ちゃんねるとの独特な距離感を理解していないだけなのだ。2ちゃんねるには「半年ROMれ」という言葉がある。すなわち、半年くらいは黙って読んで、多くのサンプルから全体像を掴んでから発言するように、という意味である。2ちゃんねるを批判するならば半年くらいはROMって欲しかった。


しかし、これも世の中の流れなのだと思う。スマートフォンの普及で人々はずっとせっかちになってしまった。スマートフォンはほんの僅かな時間も埋めてしまうことができる。それに慣れきってしまった私達はちょっとの退屈も我慢できなくなっている。半年ROMって全体像を掴めなんて、もう時代に合わないのかも知れない。半年ROMって全体像掴むなんてするくらいなら、その中から極端な言説をピックアップしてそれを叩くほうがずっと手っ取り早いし、気持ちがいいものだ。


2ちゃんねるでは実際に半年ROMっていないユーザーでも実際には書き込みができてしまう。なので、全体像を把握していることを前提としないユーザーも書き込んでしまう。そんな書き込みに対しては取り合わず、スルーするのが2ちゃんねるの流儀である。しかし、それは簡単なことではない。2ちゃんねるの利用にはそういった高度な流儀を身につけていなければならず、それは2ちゃんねるがポピュラーになってしまい、流儀をわきまえたユーザーではなく、いわゆる「大衆」であるところのユーザーには望むべくもなかったのである。


2ちゃんねるはネトウヨの巣窟というレッテルを貼られてしまったわけだが、果たしてそこで語れていたことの意味は何だったのか。なぜ、ネトウヨ的な言説が叫ばれるようになったのか。私はそこで叫ばれていたのは「マイホーム主義の崩壊」だと思っている。「お父さんは愛する妻と子供を守るため、身を犠牲にして働く」というヒロイズムが崩壊したのだ。


日本の実質賃金は年々下がり続け、自分の父親世代と同等に稼ぐことができる人は少ない。ヒロイズムに酔いたくても収入が少なくて、一人の収入では愛する妻を守れないし、子供を育てる自信もない。恋愛市場は過酷で、コミュ力がなければマイホームどこか結婚、それどころか恋愛の機会さえもない。そんな状況が、2ちゃんねるの中で流行った「ただしイケメンに限る」なる言葉を生み出した。さらに「ま〜ん」という女性蔑視の言葉につながっていく。求めても得られないものなら卑下してしまうのだ。会社はブラック企業なので、ヒロイズムなんか会社に持ち込んだらそれこそ「やりがい搾取」の餌食になってしまう。父親世代が酔いしれていたヒロイズムは我々の世代には手の届かないものになってしまったのだ。


そもそもこの「マイホーム主義」のヒロイズムはそれほど昔からあるものではない。1960年代に学生運動が盛んになり、学生たちは政治闘争に身を投じていった。1950年代にはあったはずのアメリカ的民主主義の理想が挫折する中で、学生たちは新しい政治を語りそのことで自分達があたかも世界の中心にいるかのように感じていた。しかし、実際には革命は起こらなかった。吉本隆明が『共同幻想論』に書いたように、国家という概念は古代から続く共同幻想として人々に根深く入り込んでおり、合理的な判断によって覆るようなものではなかったのである。革命に挫折した若者たちは政治の世界を離れ、企業戦士となった。「お父さんは愛する妻と子供を守るため、身を犠牲にして働く」という自己幻想によって埋め合わせをしたのである。


2ちゃんねるの文化の中心となったロスジェネ世代はこのマイホーム主義の幻想に子供としてつきあわされた世代だった。本来であれば自分達がそのヒロイズムに浸れるはずだった。


そのマイホーム主義のヒロイズムは自分達の世代には手が届かない。その困惑は2ちゃんねるに様々な形で現れた。それが、犯罪予告の書き込みであり、ネトウヨ的な言説であり、「老害」のバッシングであり、リベラル批判であり、女性蔑視である。マイホーム主義のヒロイズムを失った人の中には、自分の革命を求めて犯罪を予告し実行するというヒロイズムを自作自演した人がいた。またはネトウヨ的な言説で自ら「国士様」となることでヒロイズムを演じた。マイホーム主義に酔いしれていられた「老害」世代の「逃げ切り」は許せない。リベラリズムは世代間格差をすくい上げるものではなく、敵視された。そしてマイホーム主義に手が届かないロスジェネ世代の男性は手が届かない性愛を諦め、女性を蔑視することでやり過ごそうとした。


それではマイホーム主義のヒロイズムを失った人々の自己幻想は今はどこにいったのか。どこにも行き着いていないと思う。異業種交流会に精を出し、Facebookでいいねを集める通称「意識高い系」はその彷徨える自己幻想の一つの現れだ。そして、ネトウヨ的な言説はTwitterに河岸を変えて続いている。


私自身はインターネット老人会世代であるので、もう自己幻想を維持するのは無理だと感じている。キャリアプランというワードを聞くと「ああ、またその話か」と思うし、スティーブ・ジョブズの「点はつながって線になるんだ」という話にも心動くものは感じない。いわゆる「絶望系」に該当するのだと思う。そんな絶望系にとってはコロナの影響による自宅勤務は日々の心地よさに投資する絶好の機会になった。最近ぬか漬けをつけ始めた。ベランダで日光浴しながら仕事ができる環境づくりのために観葉植物を物色している。そんな折、2ちゃんねるのことが急に思い出されたので書いた。

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