居候と老神主 3-1

 年明けの慌ただしさも落ち着いたある平日の午後。
 ブチは柔らかな陽射しに温められた宝物殿の裏にいた。けして多くはないが、途切れなく参拝客がいるのはいつものことだ。けれど一応立ち入り禁止になっているこの辺りに人が来ることは滅多にない。思い出したように近くの木の枝から飛び立つ鳥が音を立てる程度で、昼寝を決め込むのに最高の環境だった。
 午前中もこの場所でのんびりと過ごしていた彼は、昼の時間帯を挟んで前後一時間ほど神社の敷地を一周、散策してきていた。
 境内だけでも隅々まで歩けば意外に広いのだが、鎮守の森に囲まれた小山のような敷地を隈なくまわると、だいぶハードな運動になる。見てくれは小型犬、中身は大型犬といわれるほど体力のあるブチも、流石に午後は昼寝を決め込みたくなるほどだ。
(これで邪魔さえ入らなければ、最高の一日だな)
 顎が外れそうなほどの大欠伸を一つ落とし、くるりと体を丸める。陽が傾き気温が下がりはじめるまでまだ二時間はあるだろうか。午後のこのひと時は、邪魔さえ入らなければ彼にとって至福の時間。
 特にこの時期は、年明け早々の騒がしさが落ち着き、その反動から余計にその印象が強い。満足そうに目を細め、小春日和の温もりを享受する。宝物殿の向こう側から足音が聞こえるが、大して気に止める必要を感じない。
 自然と降りてくる瞼に逆らわず身を任せる。緩い浮遊感が心地良い。陽射しの温もりが眠気を加速させ、追加の欠伸が小さく漏れる。
 このまま一眠りして、夕方になる前にまた境内を一周して……。
 ぼんやりと思考を遊ばせていたその時、賑やかな羽音が風を伴って彼の鼓膜を叩いた。
「昼寝か。暇そうで羨ましいことだな」
 楽しげな声と同時に、すぐ傍で砂利を踏む音がした。更に声の主は、屈み昼寝を決め込もうとした彼の短いしっぽを引っ張ってくれる。これには一言、安眠妨害だと文句をつけてやるつもりで瞼を押し上げた。
「……余計なお世話だ。あんただって普段は暇にしてるだろうが」
 妬むな、とついでのように付け加え、ブチは神主たちと同じ略装の装束を身につけた男に背中を向け直す。
「ほお、ここの主に対して随分な言い草だな」
 言いながら、ブチの背中をつつく。そのまま、面白がるように背骨に沿ってしっぽの付け根までつついていく。
「鬱陶しい! あんたみたいに寝なくて済む体にはできてないんだ、邪魔するな!」
 形ばかりではあるものの、寝転んだまま歯を剥き出し小さく唸ってみせる。しかし相手も慣れたもの。意に介した風もなく、脇腹から尻から、所構わずつついてくる。
「いい加減にしろ!」
 起き上がり、挑むように真正面に立つ。
「起きたな。遊ぶぞ」
 言い置き、勝手に踵を返して歩き出した。ブチがついてくるのを疑いもしていない足取りに、苛立ちと諦めの混じり合った溜め息が溢れる。
「遊ぶってなにで?」
 仕方なく足を動かしながら前を歩く背中に問う。
「狩りだよ、狩り」
「狩りねえ」
 あくまでも気のない風を装って答える。
「好きだろ?」
 振り返りもせずに答える男にこれみよがしな溜め息をついてみせる。しかし、狩りと聞いて期待にしっぽが揺れてしまうのはどうしようもなかった。
「大丈夫、境内じゃないから多少カンのいい奴がいても見えやしないよ」
 いいながら男は、境内を裏へ回り込み鎮守の森へ足を進めていく。無造作な足取りで森に踏み込み、そのまま下草が刈ってある程度の斜面を進んでいく。
 後について歩きながら、ブチは周囲の臭いを確かめる。この辺りは昼前に回ったばかりだ。その時は変わった様子は見受けられなかったが、今はその時感じなかった匂いが微かに混じっている。
「狩りはいいけど、どんな奴なんだよ、相手は」
 まだ相手の技量がわかるほど臭いは近くない。いくらブチの鼻がいいとはいえ、鎮守の森の外から流れてきているのかと思う程度では、判断がつかない。
 面倒な奴じゃなきゃいいけど。
 ちらりと浮かんだ考えに、思わず人間臭い溜め息がこぼれそうになる。面倒な相手だったとしても、一度相対すれば引く気はない。第一、男がわざわざ先に立って案内しようというのだ。フォローは期待できるだろう。
 男は普段から安眠妨害をしてみたり、小さな彼のミスを大袈裟にからかってくれる。老神主と違い、無条件に気を許しているわけではないが、本当に危険なことに彼を巻き込むことはしない。その点につて、ブチと男は信頼関係が成り立っていた。
「小物だな。捕まえるにはお前の方が小回りきくだろ? なにより暇そうだしな」
 最後の一言だけが余計だ、とは思うものの、全く足を緩めることのない男に黙ってついていく。
 進むほどに、臭いが強くなり違和感が芽生えはじめる。そう、鎮守の森を含む神社の土地にはあるはずのないモノに対する違和感。気持ち悪い、というのが率直な感覚だ。
「なんでこんなモノが混じってるんだよ」
 思わず溢れた言葉に、男は肩を竦めてみせるだけで振り返りもしない。けれどその背中にはある種の緊張感が漂いはじめていた。
「まあ、下の道は誰でも通れる場所だからな。余計なモノを捨ててく奴がいてもおかしくないんだよ」
 言いたいことはわかる。しかし、その言葉がなにを指しているのか、ブチにはまだわからない。そもそもこの男がいれば、多少のモノは瞬く間にも掃除が完了するはずだ。そうではないということは、よほど意志の強い頑固なモノが相手ということ。
 と、不意に、頭上を覆う常緑樹の葉が騒ぎ出した。どうあっても不浄なモノと清浄なモノは対立する。その結果、力の強い存在だけがそこに留まることができる。そしてブチの前を歩くこの男は、彼には想像もできない長い間、この場を守ってきた存在だ。
「………まさか自分で片付けるのが面倒で俺のこと呼んだわけじゃないよな?」
 プライドと実力だけは雲に届くかと思うほど高いこの男のことだ。そんなことはないだろうとわかりつつ、ちらりと浮かんだ疑念をぶつけてみる。
「俺のこと誰だと思ってんの? 居候」
 口の悪いのが難点の一つだと再確認しつつ、ブチは呆れの混じる溜め息をこれ見よがしに落とす。
「運動不足とは縁がない生活させてイタダイテマスガ?」
 精一杯の嫌味を投げつけ、ブチは腐臭と似た臭いの方向を探る。目標物は前方、斜面を左から右に這い上がっていく。そのまま真っ直ぐ行くと、老神主の自宅のある方向に近い。
「見つけたな?」
 楽しげに笑みを含んだ言葉を投げ、男は肩越しに視線をブチに寄越す。耳を目標物の方向に向けることで返事の代わりにし、足を止めた。
「じゃ、俺は下から見物させてもらうから。楽しんでこい?」
「ったく、好き勝手言ってんじゃねぇよ」
 悪態を吐きながらもブチは、狩り独特の緊張感を楽しんでいる自分を自覚する。僅かに上体を沈ませる。瞬間、彼は弾かれたように一直線に駆け出した。

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