居候と老神主 1

 ほんの少し前まで薄ぼんやりと明るかったはずの空は、住宅街の細い路地を数本通り過ぎる間に夜色に変わっていた。年明け間もないこの時期特有の冴えた空気は、ヒトよりも、感情豊かな八百万の神々にこそ似合うのではなかろうか。
 そんな他愛ないことを考えながら、彼は視界の正面、随分先にあるように見える目的地を目指して足を動かす。狭い歩幅と、あるかなしかの足音。小さな体が弾むように目指すそこは、この辺りに古くからあるという神社だった。
 この時間帯ならば、初詣の参拝客もほとんどいないだろう。それなりに有名な神社であるらしいことは知っているが、詳しいことは興味がないので知らない。ただ、人の良い老神主が好きで、一日の時間のほとんどを過ごしていた。
(じいちゃん、いい歳だし無理してなきゃいいけどな……)
 毎年のことながら、初詣に限らず行事の度に後継の息子や禰宜、巫女たちを尻目に誰よりも頑張っては数日寝込んでみたりする老神主を心配してみる。
 しかし、夢中になっていると周囲の諌める声もどこ吹く風になるのはいつものことなので、溜め息を一つ落として済ませることにした。
 また寝込んだ時は側についていればいいだろう。
(……しかたのない)
 呆れ気味に溜め息を重ね、彼は気持ち歩調を早くした。

 彼がようやく神社の鳥居の下に辿り着いたのは、もうすっかり周囲が夜といえる暗さになった頃だった。
 いつもならば近くの街灯の灯りでぼんやり浮かび上がって見える朱塗りの鳥居だが、大晦日から石灯籠に灯されているロウソクのおかげでだいぶ明るい。あと数日はこのままだろう。
 流石にこの時間は参拝客の姿がなくなっている。昼間の賑やかさが嘘のように静かだ。何十段という石段を上がった先の本殿も社務所も、やっと落ち着いている頃だろう。
 この時期は特にみながみな、夜の明けきらないうちから参拝客を迎える為に動き出しているのだから、そろそろ夕食になる時間だろうか。二時間もすれば、仮眠室からは寝息ばかりが聞こえてくるはずだ。
 タイミングが悪かっただろうか。そんなことをちらりと考えるが、逆にこの時期、タイミングのいい時などあるだろうか、とも思う。なにぶん居候の身だ。贅沢を言うつもりはない。せめて邪魔にならないタイミングで戻ってこれていることを願おう。
 つらつらと思考を遊ばせながら、彼は一段飛ばしに石段を登りはじめた。ただし少し慎重に。随分前、うっかり石段を踏み外しかけたところを目撃され散々笑われたことがあった。老神主がそれとなく間に入ってくれなければ、彼が反撃に出るまで笑われただろう。
 渋面になりつつ、黙々と石段を登る。足音はほとんど立てない。代わりに、時折蹴る小石が落ちていく音だけが響く。それさえすぐに、石灯籠の向こうにある暗がり、鎮守の森に吸収され長くは聞こえない。
 ようやく長い石段を登りきった頃には、流石の彼も息が上がっていた。一つ大きく息を吐き、彼はのんびりと本殿と社務所の間にある小道に向かう。その奥こそ彼が居候している老神主一家の居宅だ。
 明日はまた寒くなるのだろうか。せめて寒さの緩む一日であればいい。
 そんなことを考えるともなしに考えつつ、鼻先をかすめた匂いに歩調を早めた。

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