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子ヤギのこと

通勤路から見える庭でヤギを飼い始めたことを知って、休みの日に見に行ったのが8月のこと。三匹の子ヤギと一匹の大きなヤギでのんびり草を食んでいて、心和やかにさせられました。その一ヶ月後、友人とふたたび立ち寄って、子ヤギが二匹に減っていること、二匹ともとても痩せ細っていることに気づいたのでした。

心配になって翌日の夜に刈った草を抱えて尋ねてみると、いちばん小さなヤギが小屋の片隅で冷たくなっているのに気づきました。このことがきっかけで、残された二匹のヤギたちのもとへ通う日々が始まりました。

私の近所にも小さなヤギ牧場があり、一年かけて世話をするあいだに、ヤギの好きな草がどこにあるか知っていたことが幸いしました。朝の出勤前に草刈りをして、帰宅前にヤギ小屋に立ち寄る毎日でした。

私以外にもこのヤギたちを心配する人はいたようで、ある休日、友人とふたりヤギたちに会いにいったときのこと。草をあげている私たちを見て、二階のベランダからおばあさんが「よかった」というようにうなづいていたのだと、友人が教えてくれました。

ある朝、庭のそばに車を止めると、ヤギ小屋に先客がいました。ひとりがヤギたちに草を差し入れていて、もうひとりはそれに付き添っているようです。通りには業務用の大きな車が止まっていて、ふたりが戻ってくるのを待つ別の人の姿も見えました。仕事の途中で立ち寄ったのでしょうか。ほのぼのとした気持ちにさせられました。

大きなヤギは体力もあるせいか、目立った痩せ方はしてないのですが、子ヤギは心配になるほど痩せていました。それでも日を重ねるうちに、元気を取り戻していると感じていました。

ところが11月に入ると、しばらく雨が続くことになります。ヤギは雨をきらうので、雨の日は外に出せないのはやむを得ないのですが、その代わりの草をあげているのかというと、そうでもない様子です。ゆっくり過ごせる夜の時間に行くことが多くなって、気づくのが遅くなってしまったのですが、雨続きで子ヤギはさらに痩せてしまったようでした。

それまでも保健所に連絡して指導してもらうか、私が引き取るかなど考えていたのですが、そこが飲食店であることを考えると影響が大きいと想像され躊躇していました。けれども衰弱が目に見えて分かって、悩んだすえ、私で引き取れないかと考えるようになり、周囲にも相談しているところでした。

飼育者に直接話に行こうと考えていたのですが、いきなり行っても断られる可能性が高いということで、相談にのってくれた方が、まずはそれとなくコンタクトをとってみると言ってくれていた矢先のことでした。

相談をしたその日、いつものようにヤギたちに会いに行き、子ヤギの姿が見当たらないことに気づきました。小屋の周囲なども探したのですが、いるはずもありません。受け入れがたいことでしたが、頭のどこかでは分かってもいました。

その三日ほど前の夜こと。草を食べる量も減ってしまった子ヤギが、ふと金網のあいだから少しだけ出した鼻先を、挨拶するように二回上下させました。からまる紐をほどこうとするだけで必死に逃げようとした臆病な子が、人間に甘えるような仕草をむけたのが驚きでした。それは「ありがとう」と言っているようにも思えたのでした。

翌日は少し元気だったものの、次の日はやはり衰弱がうかがえました。座り込んで立ち上がろうにもうまくいかない子ヤギを、金網に両手をつっこんで立たせたときの、その柔らかく細い体の感触が忘れられません。ほんとうは無理矢理でも連れ去って、たくさん草をたべさせ、ぐっすり休ませて、元気になった体を抱きしめたかった。

小屋の外には、他の人が持ってきたらしい青草がひとやま積まれていましたが、子ヤギの姿が消えたその日も、草は与えられずにおかれたままでした。雨が続いて、心ある人が、飼い主に気づくように置いていかれたのだと思います。私の思いも、その方の思いも、救う手立てにはならなかったのかと悲しく思いました。

子ヤギに草をあげている間、いつも思っていることがありました。もしかしたら私がこの子に草を与えていることで、生きる苦しみを長引かせているかもしれない。死に呼び寄せられている小さな命を、無理にこの世界にとどめようとして、もって生まれた宿命と、私のエゴとのあいだで、苦しめているのかもしれない。

毎朝、その庭の前を通るとき、いつも車のスピードをゆるめてヤギたちの姿を確認するのが日課でした。あの日の朝、二匹のヤギはよりそって眠っているように見えました。

あの子ヤギのためにする苦労で辛いことは何一つなかった。けれども、あの子がもう苦しまなくてもいい、安心する場所で眠りにつけたのなら、それはひとつの救いであったかもしれない。

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動物のネグレストは、飼育者の無知によって引き起こされているケースがほとんどだと感じています。飼育者がヤギたちを可愛がりながらも、出産のコントロールができずに、結果的に近親交配や餌不足につながってしまった話なども聞いています。

この子ヤギのケースは県外の方が飼育者だと聞いていますので、沖縄や宮古島だけに限定する話でもないのですが、問題が起きたときに解決する力を持てるかどうかは、やはり地域の強さにかかっているのだろうと思います。

もしも可能なら、清掃や餌やりの手伝いなど公式なボランティアのかたちでこういった飼育者たちの飼育状況をフォローしながら、飼育者の知識や意識を向上させていくことが、その解決の一案となるのではないかと考えることがあります。

と、もっともらしいまとめを書こうとも思ったのですが、あまりうまくいかなさそうです。今は少し気持ちを休めたい思いで、ヤギたちを必要以上に可愛がることからは少し距離をおきたいとも考えています。

そうとは言っても、残された大きなヤギは未だあの庭にいて、私も草を抱えてぽつぽつと通っています。また状況がひどくなることがあれば、その時は保健所に連絡することになると思います。

もちろん子ヤギがどなたかに引き取られ、元気に暮らしている可能性もあると思いますし、そうだといいなとも思います。けれど直感としては、その事実を受け入れざるを得ないのではないかと感じています。

こんな辛く救いもないことでも書きとめておきたかったのは、それでもあの子ヤギと過ごしたひとときが、とても愛おしいからです。

短いあいだそこにいた命、誰にも気にかけられることなく消えていく命。その小さな命を気にかけて、通っていらした方が私以外にもいたことも嬉しかった。

あの子ヤギのために花をそえることも、ろうそくを灯すこともできません。もしもこのテキストを最後まで読まれた方がいらっしゃいましたら、どうかひととき、あの小さな命が安らげるよう、お祈りいただけると嬉しく思います。

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