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不安定な自己像と優越感

ACや認知のゆがみから回復するには、自分で自分を尊重すること、自己尊重すること、つまり、等身大の自分(自己像)を認識して受容れることが自分にとって近道だったと数日前にTwitterでつぶやきました。

「自己尊重するには具体的にどうしたらいいか」というリプライを頂き、方法をまとめようと思ったのですが、前準備として、「等身大の自己像」とは一体何か。そして、その逆の「不安定な自己像」や「優越感/劣等感」の説明を、前回同様例を出して自論を展開しようと思います。


順序→①Eさんの話 ②自信と優越感の違い ③不安定な自己像を持つと


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<①Eさんの話>

まずはじめに、Eさんという方の話をします。

Eさんは某大手企業に勤めている会社員です。年齢は30歳、独身の男性です。そこそこ良い大学を卒業し、大手企業に就職。大手なので待遇も良く、余暇も十分に与えられ、趣味も満喫できる。何不自由ない環境で生活をしています。

Eさんは「俺は良い大学も出たし、今の会社に入って待遇も良く、幸せだ」とよく口にします。しかし、その一方で、「今の環境に不満があるわけじゃないけど、恋人は欲しい」「どうせなら若い女性と結婚したい。でも、別に達成できなくてもいい」と口にすることもあります。


ここまでは特に問題のない、一般的な話ですが、実はEさんにはもう1つの顔がありました。それは、Eさんがインターネットでは常に何かを見下して批判しているということです。(私も以前はそういう人間でした)

一見問題ないように見えて実はもう一方で問題があるEさんは不安定な自己像を抱えています。目に見えて問題のある人に比べて、Eさんのように外と内、リアルとネットと区別している人はまだマシでは?と思いがちですが、実の所大差ないです。むしろ、使い分けられる分たちが悪かったりします。「外では俺はちゃんとしているし自分をコントロールできる」という欺瞞に満ちた人はプライドが高く自己を正当化しやすいので、自身を省みることがないため認知をどんどんゆがませていったりします。

Eさんの批判の対象は様々です。韓国人、無職、女性、中高生とEさん自身が「自分より下」と勝手に思い込んでいる存在です。批判内容は論理的でなく、差別的だったり、「とにかく否定」していたり、批判する本人からは、具体的な主張が何も見えなかったりします。いわば「生理的に嫌いだから批判する」という内容のない、見下した批判。差別や被害者叩きなども同じです。


このような「自分より立場が下だと思っている存在をとりあえず批判する」という行動は、「優越感」が背景にあると感じています。


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<②自信と優越感の違い>

以前にもTwitterかnoteかでチラッと書いたのですが、「優越感」は「間違った自信」です。「優越感」が表だとすると、裏は「劣等感」です。この2つは切り離せない存在で「優越感」は何かのはずみですぐ「劣等感」に切り替わります。また、その逆もしかりです。

他者と競い合い自己を高めたり、場合によっては役立つ場合もあるので、一概に優越感が悪いものと思っているわけではありません。

しかし「自信」と考えると「優越感」は間違った自信だと私は思っています。「自信」と違って「優越感」は、すぐに「劣等感」に変わってしまい、継続的なものとは言えません。では、具体的にはどう違うのでしょうか。



「自信」は自分を信じること。wikiには「自己を信頼する気質」とあります。自分を信じることは、自分のありのままを見つめる、等身大の自分を受容れるということです。自分は自分でしかなく、自分以上でも、自分以下でもない。「自信」は等身大の自己像(能力や価値)を受け容れ信じること。誰かと比較することなく保てるものです。

「優越感」は「自分が他者より優れているとの認識」とあります。つまり、「優越感」は不安定な自己像で、自分と誰かを常に比較している相対的なものです。

自信…等身大の自己像。誰かと比較することなく保てるもの
優越感…不安定な自己像。自分と誰かを常に比較している、相対的なもの

自信が自尊心に繋がるのであれば、優越感は同一視に繋がります。


上記の比較例として、テストするとします。自分が90点、Aさんが80点、Bさんが100点です。

◆「自信」と考えた場合、「自分は90点取れた。自分には90点取れる能力が備わっている」という事実からの確信になります。

◆「優越感」と考えた場合、「自分はAさんより点数が高い。自分にはAさんに勝る能力が備わっている」となります。ですが「優越感」は相対的なもの。比較対象をAさんからBさんに変えると、「自分はBさんより点数が低い。自分はBさんには敵わない」と、一瞬で劣等感に変わる可能性があるのです。



スポーツなどで活躍されている方はよく、「己に打ち勝つ」と言って自分自身をライバルにして意識を高め、日々鍛錬に励んでいらっしゃいますよね。

私は、日常生活や人生も同じだと感じています。

真の「自信」をつかむためには、他者と比較する必要はなく、「自分」の現状がどうなのか。満足なのか、不満なのか。不満ならばどうすれば良くなるか。ただ、それだけです。「自信」をつけるためには、「自分」がどうしたいかが一番の問題で、他者や世間がどうかはあまり関係ないと私は思っています。

しかし現状の日本は、「みんな一緒」とか「足並みを揃えて」という同一視を成育環境や社会環境で周囲から求められがちです。

子供の頃は、学力や運動能力を周りと比較される。思春期に入ると、会話力や容姿、異性交遊や性経験を比較される。社会に出ると、学歴や会社や職種や地位、結婚や出産などのライフステージを比較される。こんな「人それぞれ」で当然のものを「みんな一緒」とか「足並みを揃えて」できるわけないし、比較する必要もありません。しかし世間は他者との同一視を繰り返しています。(例:「お兄ちゃんはいい大学に行ったのにあなたは…」「昔の女性は20代前半には結婚して子供を2人は産んだ。それに比べて今の子は…」など)

そしてそんな世間に影響されて、自分の持つ能力や自分の今いる環境を周囲と見比べて自分のポジションが優位なのか劣位なのか考えてしまうのです。

本来、人間は対等です。しかし今の日本の現状は「基本的人権の尊重とは?」と思うくらい差別的ですし、思想の自由もへったくれもありません。

差別と同一視が蔓延して、優位に立ったと勘違いして優越感を得て人を平気で見下したり、劣位に立ったと勘違いして劣等感を得て自己嫌悪に陥ったりストレスを感じたりしてしまいます。Eさんの場合まさに、優越感と劣等感の間で自己像が不安定になっている状態といえます。


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<③不安定になった自己像を持つと>

実はEさんは大学生の頃、他の同性と比べて異性と遊べなかったという劣等感を抱えていました。それゆえ、「現状に満足している」と建前を言う一方で、「彼女は欲しい、できれば若い子」という本音が漏れてしまっていたのです。

同一視の悪影響です。「周りの奴はみんな恋人がいるのに、どうして俺は…」と卑屈になってしまっているのです。Eさんの場合、異性と交際したいというより、周囲の人に恋人がいるなら俺も…といった同一視にみえるんですよね。「自分を愛して欲しい」という承認欲求にもみえますが。

しかし、恋愛もそうですがあらゆる人間関係は自分の思い通りにいきません。それはもちろん、人間関係というものは「自分」と「他者」との相互関係の上に成り立つものだからです。一方通行では意味がないんですよね。だからこそ「相手からではなくまず自分から」を心掛けたり、相手を尊重したりと、自ら率先して努力することが重要だと感じています。

しかしEさんはそう思えないのです。なぜなら、世間の同一視に取り込まれた他発的な理由だからです。それゆえに自分からは行動しないし、とても受身。

周りの奴は恋人がいるが俺はいない。でも自ら努力はしたくない。だから別に結婚できなくても構わない(と自らを思い込ませようとしている節もある)。ただ、もし結婚するとしたら若い女性がいい。何故なら、今まで感じた劣等感と卑屈さを拭うためには、相対的に他の奴の恋人より若い(付帯価値のある)女性でないと、自分は優越感を感じられない…といった心境になっていると、勝手に予測しています。



つまりは、「等身大(現実)の自己像」と「理想の自己像」が合致していないということなんです。自己像が合致しないと優越感と劣等感に苛まれて無意識のうちに心が不安を感じてしまう。その不安がストレスの種となり、不満を感じると「自分より立場が下だと思っている存在をとりあえず批判する」といった代償行動に出てしまうと考えています。

まとめ:劣等感→不安→ストレスを受けやすい→代償行動(批判など)

この代償行動は他者批判でしたが、色々なパターンがあります。リストカットなどの自傷、自分のことを据え置きした過剰なおせっかい、マウンティング、アルコールや薬物など様々な依存症…ストレスは代償行動に置換されます。



いくら世間が同一視をしてこようと、とりこまれない人はとりこまれません。それは何故かというと、「自己尊重」がしっかりできているからです。

「自己を尊重すること」「自尊心」とも言い換えられますが、これができる人はだいたいが成育環境で培われていると私は感じています。子供の頃に保護者から同一視されず、ありのままの自分を受容れられ、存在を肯定され、常に「安心」を感じられる環境は、「自尊心」が育みやすくなると思います。

私の場合、同一視が当たり前の環境で、常に他者と比較される環境でした。恐らくEさんもそうだったんだと思います。健全な自尊心が育たず、自分に自信が持てず、相対的で不安定な自己像を抱えたまま成長してしまい、ストレスを感じやすい人は、様々な代償行動で自信の安定を図っていると感じます。

そう考えると、今の日本は「不安定な自己像」を抱えた人が7割くらいはいるんじゃないかって思ってしまうんですよね。これまで私が会ってきた人で、「等身大の自己像」や「自尊心」を持っている人が、すごく少なかったから。



もちろん私も、最近までかなり長い間「不安定な自己像」を抱えていました。優越感を感じたと思えばすぐ劣等感で自己嫌悪に陥ったり、いつもストレスにさらされていました。過食、抜毛症、他者依存、仕事依存、アルコール依存、時には人にあたり散らしたり他者をとことん罵倒したり、ひどいものでした。

しかしあるきっかけで「等身大の自己像」を受容れてから、自分で自分を尊重できるようになり、自分に自信を持て、自尊心が芽生えてきました。

認知のゆがみは完全にフラットとはいえませんが、以前に比べたら自分も周囲もかなり良くなってきていると認識できるほど矯正されています。

自己流の方法ですので万人に効果があるわけではないと思いますが、参考程度になればいいなと思います。次回、自己尊重の方法について記載しますね。







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