紋章に見る「菊の帝国」
3月1日といえば何を思い起こすだろうか?
かつて東アジアを席巻した日本にとっても無関係ではない、いな、忘れてはならない2つの記念日がこの日にある。
韓国の三一節
旧満州国の建国節
この2つである。三一節は1919年、当時日本領だった朝鮮の京城(現在のソウル)で韓国の分離独立を求めた「三・一運動」に由来する。他方、建国節は文字通り、満州国の建国に由来するが、よく知られているように満州国は実際には日本の傀儡国家だった。
日本、朝鮮、そして満州国。
大日本帝国時代、この3つはどこからどこまでが「日本」だったのか、その輪郭があやふやな「流動的な帝国」だったと言えよう。しかし太平洋戦争のすえに散っていたこの帝国には、帝国全体を貫く1つの紋章体系があった。今回はそれについて紹介していきたい。
歴史上に君臨した植民地帝国といえば大英帝国やフランス植民地帝国、そしてドイツ帝国が有名だろう。ところが、イギリスは紋章を植民地に付与せず、フランスはそもそも革命の中で紋章文化を廃絶していた。言い換えれば、イギリスやフランスでは日本と違って「帝国全体を貫く紋章体系」が確立されていなかったのである。対するドイツは植民地に1つの紋章体系を貫いた。
ドイツが植民地に確立した紋章体系はこのようなものである。一目見れば、盾の上部(専門用語でチーフと呼ばれる)にドイツの鷲(ライヒス・アドラー)を置き、その下に各植民地のシンボルが描かれていることがわかるだろう。
このように領主や主人の紋章をチーフに加えることで主従関係を示すことは「忠誠のチーフ」と呼ばれるもので、ドイツ紋章学で特によくみられる。言い換えれば、後発の帝国であるドイツは紋章をも利用して、その支配の正当性をイギリスやフランスにアピールしたとも言える。
これはやがてアジアで日本によって再現されていくことになる。日本もまたドイツと同じ「後発の帝国」であった。そして、伊藤博文や井上馨、青木周蔵らに代表される明治時代の指導者はこのドイツを師範として日本の近代化、そして植民地帝国を目指した。そうした中で、やはり大日本帝国も紋章を大いに活用していくことになったのだ。
日本が獲得した最初の植民地は台湾だった。これには沖縄県から反論が出るかもしれないが、本国と異なる統治のシステムを導入した領土としては台湾が最初だったと言うべきだろう。次いで獲得した植民地は南樺太、中国遼東半島の大連、そして朝鮮である。このうち台湾と朝鮮には両植民地の統治を担う機関が設立された。
それが「台湾総督府」および「朝鮮総督府」である。その台湾総督府の紋章がこちら。
画像左の台湾総督府の紋章では、2つの三角形を組み合わせたものは「台字章」と呼ばれるもので、以降、日本統治下の台湾では広く用いられた。その周りには日本皇室の桐の御紋がアレンジされる形で描かれていた。対する画像右の朝鮮総督府の紋章でも、アジア的な装飾の中央に、やはり桐の御紋が使われている。
このように、日本はドイツが「忠誠のチーフ」を用いたように、植民地の紋章に桐の御紋を取り入れたのである。しかし留意すべきは、桐の御紋は日本皇室の「副紋」であり、有名な菊の御紋には一歩劣るものであることだ。
たしかに統治機関としては日本政府も桐の御紋を使っている。その点では同列といえよう。しかし植民地においては、総督府の紋章こそが植民地の紋章である。それを踏まえれば、本国が菊の御紋を国章としていることとは、やはり一段差があったと考えるべきだろう。
それは南洋庁の紋章からも説明できる。南洋庁は第一次世界大戦後、日本がドイツ領南洋群島植民地をイギリス・オーストラリア・ニュージーランドと分割したもので、その赤道以北に設立したものである。ただし、厳密にはここは「日本領」ではなかった。そのため紋章には日本皇室の紋所である桐の御紋を使わず、ヤシの葉で囲まれた八重桜を用いていた。
いうまでもなく、桜は日本の国花であり、その後、南洋群島が日本の防波堤となることを思えば、なんとも意味深な紋章ではあるが、台湾・朝鮮の事例と比較しても、桐の御紋が使われていなかったことの意味は垣間見える。
このように、日本はドイツと同様、紋章を植民地統治のシステムに取り入れていたのである。
日本の建前としては朝鮮は植民地ではなかったとする向きもある。すなわち、日韓が合邦したのだと。しかし韓国が名実ともに対等な形での合併を求めたのに対して、日本は国力で大きく開く韓国を事実上の吸収合併することにこだわった。両国の関係性は明らかだった。
とはいえ、韓国皇室がそのまま日本の王公族(皇族と華族の中間)に位置付けられたことは特筆しておくべきだろう。それでは、彼らの紋章は日本に取り込まれる中でどう変遷したのか。それについて見ていきたい。
これは韓国をめぐる日本・中国・ロシアの駆け引きを表したビゴーの有名な風刺画である。韓国はこの三大国に挟まれた位置にあり、そのことは韓国政治にも大きな影響を及ぼした。事大主義である。しかも、この事大主義は紋章にも垣間見ることができるのだ。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、韓国には3つの国章があった。同時期に3つの国章を、およそ並行して使用していた国は世界に類を見ない。しかもそれらはそれぞれ日本・中国・ロシアの影響を明らかに受けていた。
ちなみに、日本の菊の御紋のような黄色い花の紋章は「李花紋」と呼ばれている。
日本はまず1894〜95年の日清戦争で龍を駆逐し、次いで1904〜05年の日露戦争で鷲を追っ払い、そして1910年には韓国併合によって李花を桐の下に咲かせたのである。
注目すべきは、イギリスはムガル帝国の国章を残さなかったが、日本は大韓帝国の国章を李王公家の紋章として残し、日本皇室の紋章の中に取り入れたということである。日本皇室では現在でも天皇家と宮家で異なる菊の御紋を使っているが、これは明治以来の伝統である。こうした枠組みの中に旧韓国皇室の李王家も取り入れられ、その中で李花紋が残されたのである。
大日本帝国における韓国・朝鮮の位置付けの輪郭が紋章によって浮かび上がってきたところで、視点をもう一つの主題、満州国へと転じよう。
1932年3月1日、中国東北部を版図とする満州国の建国が宣言された。当時、この国は「東洋のアメリカ」と呼ばれた。あたかも「東洋のイギリス」たる日本との「特別な関係」を垣間見せる二つ名だが、実際の英米と違うのは満州国が日本から独立したわけではないことである。そもそもこの国が「独立国なのか、それとも日本の傀儡国家なのか」は議論が分かれるところだろう。
思想的な政治論は一旦置いておくとして、ここでは例によって紋章の見地からその議論に切り込んでいきたい。
満州国皇帝の愛新覚羅溥儀はこの国を「後清」と呼ばれる存在にしたがっていたというが、実際にはそれにはほど遠かった。龍が生き返ることはなかったからである。溥儀が選んだ満州国の紋章は蘭花御紋章、いわゆる「蘭の御紋」だった。
しかし植物学者の牧野富太郎氏が指摘したように、蘭といってもこれは西洋ランではなくフジバカマという中国に原生する植物のことで、中国人は古くからこの花を好んできたという。
注目すべきはこの花は中国固有のものではなく、日本にも原生しており、古くは日本書紀にも登場することである。時あたかも天皇が絶対の時代。その天皇の権威の源泉である記紀神話にこの花が登場することは意味深長だろう。しかもこのフジバカマ、なにを隠そう、キク科である。
ひるがえって、今度は蘭の御紋のデザインについて話をしてみよう。日本の家紋と西洋の紋章の違いは様々あるが、デザイン的にはこのような違いがあると紋章学者の森護氏は指摘する。
①日本は単色、西洋はカラフル
②日本は左右対称、西洋は左右非対称
③日本は丸型、西洋は角形
お分かりだろうか。蘭の御紋は日本の家紋の特徴と見事に一致するのだ。しかも蕊のデザインが桐の御紋とよく似ていることも見逃せない。フジバカマの文化的・植物学的背景、蘭の御紋のデザイン的特徴からも満州国の輪郭は浮かび上がってくるだろう。
日本、韓国、そして満州国。この輪郭のあやふやな「流動的な帝国」を貫いていたのは、菊の御紋の系統だった。
とはいえ、それはあくまで系統。日本はドイツのように紋章を植民地支配のシステムに取り入れたが、見方によってはイギリスのように植民地には紋章を付与しない方針を含んだものとも言える。それは日本がドイツからイギリスへ、その師範を切り替えた時代とも一致する。
かつて明治維新より前、日本は諸藩が割拠し、まことに統一性を欠いていた。あるフランス紙は1867年のパリ万博には幕府のみならず薩摩藩と佐賀藩も出展したことをして、「日本は神聖ローマ帝国のような領邦国家」と評したほどである。
そんな日本を統一した明治新政府は一つには日の丸、一つには天皇、そして一つには菊の御紋の下に「日本」という国をまとめあげた。菊の御紋は「天皇の下に統一された国家」を演出する機能を担っていたのだ。
歴史にイフはないという。しかし「韓国は一段劣る二等國である。満州国は日本とは異なる独立国である」。そんな日本自身の論理によって、結果的にこれらの国・地域では日本皇室の威光が十分に届かなかったのかもしれない。
結局、韓国にも満州国にも菊の花の根が張ることはなかった。
時は下って1941年、太平洋戦争が勃発。アジアには菊の花が乱れ咲いた。しかしこの破竹の勢いは長くは続かなかった。
1945年4月7日、戦艦大和撃沈。
作戦名は「菊水」だった。かつて後醍醐天皇に命を賭して仕えた楠木正成に贈られた下賜紋の名前である。それから4ヶ月後の8月15日、日本は敗戦。韓国は独立を果たし、満州国は中国に復帰した。20世紀前半のアジアを覆っていた「菊の帝国」はこうして儚くも太平洋に散っていったのである。
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