これまでの7年半と、これからの人生について。

中国人は、外国人が少しでも中国語を話すと、それはそれはもう大袈裟に褒めてくれる。
そして、必ずと言っていいほど聞かれるお決まりの質問がこれ。
「中国語、いつから勉強してるの?」

この質問は今までの人生で100億万回聞かれているので、返答もお決まりのものがある。
「高1の時に始めたから、もう7年半くらい経つかな」
何度も何度も同じ会話を繰り返しているはずなのに、毎回、「7年半」という時の重さにびっくりしてしまう。

7年半。世の中の酸いも甘いも経験してきた大人からしたらほんの一瞬かもしれない。でも、ピッカピカの小学1年生が思春期真っ盛りの中学2年生の秋を迎えてしまうほどには長い時間だ。自分のこれまでの23年間の人生からしたって、約3分の1という決して少なくない割合を占めてくる。


思えば、高校に入ってからの学生生活は、短期留学に行ったり中国語同好会で中国語ボランティアをやったり、そして北京大学に留学したり、もちろんそれが全てではなかったけれど、多かれ少なかれ中国語や中国に関する事柄には常に関わりを持っていた。

その流れで、就活でも「中国に行けること」が気づけば軸の一つになっていたし、最終的な会社選びの段階になっても、結局のところはその軸を大きな判断基準の一つとして、若手から海外勤務が多い会社に入社することに決めた。

あまりにも中国を推しすぎるあまり、とある“発想を実現する会社”の選考では「書類を拝見してすごく中国一筋な印象を受けました笑」というよく分からない第一声を別の面接官に2回も言われたりもした。

でも、これが本当に本心から望んでいることなのかは、就活中も、就活が終わって入社を待っている今も、ずっと確信が持てないでいる。だいぶ前にもTwitterかなんかで言った気がするけど、自分のキャリアを中国一本に置いてしまうのにはどうしても拭いきれない不安や恐怖がある。日中関係が爆裂に悪化して中国ビジネス要員が“いらない子”になってしまう未来も全然あり得ると思う。

というかそもそも、本当に海外で働きたいのかすら実は確信が持てていない。「留学してた」「英語と中国語が話せる」という自分自身の経歴・スキルを基に就活用のブランディングをしただけに過ぎないのではないかという気も心のどこかでしている。だって絶対に東京が世界で一番住みやすいし、将来所帯を持った時に自分の仕事の都合であちこち連れ回すのも気が引けるし。

中学校に入って初めて英語をまともに勉強し始めて「あれ?なんかいけんじゃね?」と思った時から「外国語を活かして働きたい」「海外で働きたい」的なことをずっと薄っすら思っていたわけなので、昔からの所謂「将来の夢」が叶ったことにはなる訳だけれども。


とはいえ、自分がここまで中国語にのめり込み、しかもキャリア形成の中心を陣取るようになったのには、良い意味でも悪い意味でもなんだか運命めいたものを感じている。

半分中国の血が流れていながら、途中まで中国語に全く接することなく日本人として育ってきたのに、神の悪戯か結局中国語をやり始め、のめり込み、中国に渡り、そしてそれが仕事選びの軸にもなった。そしてそして現時点で既に人生の3分の1もの時間を費やしている!

とまあさっき書いたような色々な不安はありながらも、結局自分のルーツに戻ってくるんだなあ、という感慨に近い感情がある。

あとこれは完全に余談なんだけど、もし自分が中国人と結婚して子供が生まれたら、日本の血は4分の1しか入っていない(つまり所謂クォーター?)ということになるのがすごく不思議な感じ。アイデンティティは完全に日本人なのにね。

けどまあ、成都のマッサージ屋のおばちゃんの言葉を借りれば「中国人も日本人も品種は同じ」なのでどうでもいいか。


話がいろいろ脱線してしまったのでまとめてみる。つまり何が言いたいかというと、一つの事柄に、しかも知らず知らずのうちに7年半、人生の中の割合にして3分の1もの長い時間を捧げ、尚且つ今後の人生をもある程度方向づけられてしまったというのは、物凄いことだなあ、ということ。これは良いとか悪いとかではなく、いっさい他意のない、ただシンプルに凄いなあという感慨。

そんでもって、よく言われる言葉だけど「選んだ方を正解にする」しかないので、とりあえずまあ人生というやつを探り探りやってみるしかないよな、という期待とも諦観ともいえる感情を心の中に飼いながら頑張っていこうと思う。

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