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映画レビューコーナー①:2人のローマ教皇

こちらのnoteをご覧いただき、ありがとうございます。

「C-biscuit」と申します。どうぞよろしくお願いします。


昨日、「映画まつわる豆知識コーナー」を始動させていただきました。
そして本日からは「映画レビューコーナー」を始動させていただきます。

どうぞよろしくお願い致します。


さてさて、「2人のローマ教皇」を鑑賞しましたのでレビューを。

鑑賞評価結果

総合評価:★★★★☆

オススメシチュエーション:

誰と?
ひとりで

いつ?
早朝 or 夜(日が沈んでから)

どこで?
ベッドの上

何と?
→映画前半はビール。後半はピザとファンタ(オレンジ)

どんな気分の時?
刺激の多い生活で、気が張っているとき

あらすじ

まずはこちらの予告編をどうぞ。


解説①:そもそもローマ教皇とは?

「あれ?ローマ法王じゃないの?」
「ローマ法王とローマ教皇は別々の存在なの?」

結論から申し上げますと、「教皇」です。

ではなぜ、2つの表記が生まれてしまったのでしょうか?


日本とバチカン市国が国交樹立した際の当初の定訳は「法王」でした。

メディアもそれに倣って報道していました。

その後1981年、日本カトリック教会はキリストを万人に「教える」という教皇の職務内容を鑑み「教皇」に統一されたのです。


しかしながら、日本政府は「法王」表記を変更せず、メディアもその表記を継続していたのです。

こうして、「法王」「教皇」の2つの呼称が生まれたというわけなんですね。(※現在は日本政府が「教皇」への表記変更を行ったため、今後この表記が浸透していくでしょう)


さて、そんな「ローマ教皇」とは一体何をしているのでしょうか?

ローマ教皇は、ローマのバチカン市国に存在する「ローマ教皇庁」の長。

カトリック教会上の権威と、バチカン市国の国家元首としての国際法上の権威を併せ持ち、全世界のカトリック教会を統率しています。

では一体カトリック教会の信者はだいたい何人くらい存在するかご存じでしょうか?

なんとその数13億人。世界人口の約2割に相当するのです。

現在のフランシスコ教皇はTwitterもやっているそうなのでぜひフォローしてみてはいかがでしょうか?

解説②:神の沈黙

「これまでは神の御言葉が聞こえていた。だが今は何も聞こえない。神は沈黙したままである。」

アンソニー・ホプキンス演じるベネディクト16世が、腐敗の進むカトリック教会を改革しようにもできず悩み苦しんでいるときのセリフです。

キリスト教あるある「神の沈黙」ですね。

遠藤周作の著書「沈黙」も「神の沈黙」をテーマにされているものであり、マーティン・スコセッシにより映画化されています。

かなり多いみたいです。大事な時に神が沈黙しちゃうこと。


本作では、神の沈黙を経験し、徐々に自己批判を通して他者を受け入れる。

この「沈黙」こそがベネディクト16世に変化遂げさせていくのです。


解説③:本作のテーマとは何か?

「告解」がキーワードでしょう。

誰しも自分が信じているものに妄信し、縋り、固執しようとするものでしょう。

「自分の信じているものが揺らぎ始めたときにどうすべきか」

という問題提起。

自分に問いかけてみるのもいいと思います。

ただ、それはあくまで内なる声にのみ耳を傾けていることでしかないのです。

そう、つまりこの映画内での「神の沈黙」とは自己批判の限界であり、外に耳を傾ける必要性を説いているのではないでしょうか。


外とはつまり「他者」です。「他者を通して自分と向き合う」ことができるのです。


神に頼めば万事解決?そんなことはないのです。

結局自分の真の声に耳を傾けるには、他者の声が必要である。


サッカーと同じで、

「心を込めてパスを回せ」

これこそ宗教の本質であり、本作のテーマではないでしょうか。

最後に持論を

この映画の登場人物はジョナサン・プライスとアンソニー・ホプキンスの2人と言っても過言ではないくらい、画面上にはこの2人しか出てきません。

しかし、そのおかげでこの映画を観た誰しもがこの作品の登場人物としていられるのでしょう。

“人は皆、罪人である”

ベネディクト教皇も、フランシスコ教皇も罪を犯し、それによって自分を戒めてきた過去があります。

人は誰しも、自分で自分を許したとしても前には進めないのです。

人は、他者に告白し許してもらうことではじめて、その歩みを再び進めることができるのです。

そしてその罪の許しを請う他者が、「神」であり身近にいる「友」なのです。

キリスト教風に言うと「隣人を愛せ」となるのでしょうか?


「しばらく動きを感知できていません。歩いてください。」

教皇の体調を管理するためのAppleWatchから発せられる声。

まさにこれこそ「神は沈黙している」と言っていたベネディクト教皇への“神の声”だったのかもしれませんね。

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