離婚考05

結婚の理由

音楽以外に夫と共有していた趣味に、旅行がある。
彼はどちらかといえば引きこもって音楽を聴いたりすることが好きな人間だったので、元々旅好きではなかったのだけれど、わたしの大学の卒業旅行として一緒に行ったタイで、旅の面白さに開眼したようだった。

貧乏バンドマンだったわたしは、旅に憧れながらも学生時代にはほとんど旅に行けなかった。単純にお金がなかったのだ(青森行ってたせいかもだけど)。
それで、卒業旅行のタイを皮切りに、隙を見つけては旅に出るようになった。学生時代にできなかった貧乏旅を好んでした。バックパックを背負って1泊500円くらいのゲストハウスに泊まり、1食100円くらいの屋台飯を食べたり夜行バスや夜行列車で移動する旅。

彼はわたしよりも英語ができたので、頼りになった。旅では想定外のことも多く起こるので喧嘩もしょっちゅうしたけれど(タイの街中で大喧嘩をして、携帯も繋がらないのに別行動をしたこともある)、欲しいものをがんばって値切ったり、詐欺師を撒いたり、見たこともない風景の中を一緒に旅していく中で、お互いのことを信頼できるようになっていったのは間違いない。

どうして結婚したんですか?と聞かれた時にいつもしていたのは、汚いんだけどインドのうんこの話。

学生時代にandymoriに心酔していたわたしは、インドを旅してみたいと思った。彼にも布教したので共感してくれた。歌詞に出てくるジャイサルメールという土地を一目見てみたいと思った。就職して1年目のゴールデンウィークにインド行きを2人で決行した。

デリーでは空港でつかまえたタクシーが早速詐欺で、ホテルと逆方向に走り、高い値段をふっかけてきた。200ドル出せと脅されたけれど、日本語でブチ切れたら200ルピー(400円くらい)になった。脱線。

有名なタージマハルとかがあるアーグラーとかのいわゆる観光地の反対に向かう夜行列車に乗ってジャイサルメールへ。そこからさらに、パキスタン国境近くの砂丘に行く、キャメルサファリというのに参加した。ラクダに乗って砂丘に着くと、テントを建てるのかと思いきや、ガイドさんが布団を敷きだした。砂丘のど真ん中で、ただ布団を敷いて寝るツアー。なんだそら。

でも、周りには人も動物もなくて、日が暮れると50度ほどあった気温が一気に涼しくなってきて、涼しい空気とあったまった砂の温度差が心地よかった。その頃、黒くてツヤツヤしたフンコロガシが地面からたくさん出てきて、虫が苦手なわたしでもフンコロガシたちは可愛かった。
ガイドさんの作ったカレーを食べ(というかインドにはほんとにカレー以外の食べ物がない)、布団に寝転ぶと、見たことがないくらいの満天の星空が広がっていた。砂漠で布団敷いてるだけなんだけど、わたしたちにはすごくロマンチックに感じた夜だった。

翌朝、起きるとお腹が痛い。それも激痛。そして、気がつくとわたしのまわりには犬が3匹一緒に寝ていた。寝た時にはいなかったのに!砂丘には当然ながらトイレなんてない。見えないところまで歩いて、して、砂をかけて終わりだ。しかしそれにしても味わったことないくらいの腹痛。歩く元気もないけど、嫁入り前の身としては、なんとしても誰にも見られずに用を足したかった。

静かに布団を出て、砂丘を一つ越えようと思う。一歩一歩、気を失いそうな腹痛の中歩く。とにかくあの丘を越えよう。あそこまで行けば…。
そんなわたしの思いも露知らず、犬たちが目覚める。ついてくる。野犬のくせになんでこんな人懐こいの、というくらい人懐こい。3匹揃って。キャンキャン言いながらついてくる。犬は嫌いじゃないし寧ろ好きな方だし子供時代に鼻噛まれたことあるけど好きなくらいかなり好きではあるんだけど、本当に構っている余裕がゼロ超えてマイナスなので無視して歩く。なのに犬たちのテンションはどんどん上がっていく。キャンキャン。

ようやく目的地にたどり着いたわたしは立ち止まって用を足そうと思うのだけど、3匹の犬たちはようやく遊んでもらえると思ったのか、わたしの周りをグルグル回りながらはしゃいでいる。勘弁して…。
タクシー詐欺の時もそうだったけど、人間というのは困ると母国語しか出てこない。べそかきながら、「ほんとに今じゃないからあっち行って〜、あっち行ってよう〜」とギャグみたいだけど真剣そのもので犬たちに話しかける。当然伝わらない。

でもグルグル回られてちゃできるもんもできない。犬の真ん中で泣きながら日本語を叫んでいたけど、遂に限界がきた。もう腹を括るしかない。
そんな時、届けたくない相手に日本語が届いてしまった。腹を括って犬に囲まれ用を足しているまさにその時、彼が現れた。「大丈夫ー?」
ぜんぜん大丈夫ではないけど今見られるのが一番大丈夫じゃない。
「来ないでー!」と叫びながら人生で一番あられも無い姿を晒す他なかった。

それ以降はほとんど意識がない。関節が痛むほど熱が出ていたけど、測りようがない。朦朧としながらの帰りのラクダは地獄だった。一番近い集落で少し寝かせてもらい、小屋みたいな病院みたいな小屋に運ばれた。
ヨーグレットみたいな錠剤をもらって飲んだら、熱が一瞬で下がった。逆に怖い。
たぶん急性胃腸炎だった。そんな時でもカレーしかないインド。普段料理をしない彼が、がんばってリンゴをむいて食べさせてくれた。

見知らぬ土地、底辺レベルの衛生環境の中で、史上最悪にあられもない姿を晒したわたしを熱心に看病してくれる彼を見て、ああ、この人は裏切らないな、と思った。信用できると思った。その瞬間、結婚するならこの人だろうな、と思ったのだ。その1年後、わたしたちは結婚を決めることになる。

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