離婚考02

好き嫌い、良い悪い

私も彼も、音楽活動をしているという共通点があった。彼は、月に数万円をレコードやCDに投じる音楽好きだった。わたしも音楽は好きだった。でも、音楽それ自体よりも歌うことが好きだった。音楽を聴くことと、歌うことはいつもセットだった。

性格的にも凝る方ではないので、すすめられるがままに音楽を聴いてきて、あまり掘ることをしないできた。しかも、歌いたくて聴いているから洋楽やインストは浅くしか聴かない。わたしと音楽との関係はそんなもんだ。

そうして彼に言われた。

「もっと音楽を愛せよ」

曲がりなりにも音楽をやっていて、一時期は音楽をやりながら生きていくのもいいな、なんて呑気に考えていた瞬間があったりもしたが、たしかにわたしは音楽を愛してはいなかった。

音楽に救われる、ということを聞くことがあるけど、わたしは音楽に救われた経験はあまりない。音楽を聴いて涙したこともほとんどない。

彼は音楽を良いとか悪いとか言う人だった。彼のそういうところが、わたしにはなんていうかショッキングだった。わたしには好きか嫌いかしかない。良いとか悪いのものさしがない。

ものさしというのはどうやって育つのか。わたしは子どもの頃からものさしを持つのが苦手だった。今も苦手。

女の子は成長が早いと言われるけど、小学生にもなると周りの子たちはあの人がカッコいいとか言い出す。わたしにはそれがわからなかった。好きか嫌いかはわかる。
歌の上手い下手もわからなかった。顔がいいとか、声がいいとか、そんなのがぜんぜんわからなかった。分からない者からすると、いつだって分かる者はかっこいい。

だから私は、彼のものさしを借りてきた。彼が良いと言うものを良いと思った。自分が良いと感じたものも、彼が否定すると悪いもののように感じた。そうして、元からあやふやだった自分のものさしを預けてしまった。

わたしは今も、明確なものさしを持てずにいる。

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