離婚考01

であって付き合う

わたしたちがであったのは大学の音楽サークルだった。私が一年生で、彼は四年生だった。
その音楽サークルをわたしは2ヶ月くらいでやめた。サークルの思い出といえば新歓合宿でテキーラを飲みまくり死にたい二日酔いになったことくらいだ。
当時のわたしは門限が厳しく、自分に適した飲酒量が一切わかっていなかったため、泊まりで酒を飲んだ時には必ずやらかしていた。脱線。

であった時にはお互いに恋人がいた。だからというか、面倒見のいい先輩だな、以外の感想は特になかった。あとは、当時彼が付き合っていた先輩が美人だったので、へぇこの人が。とは思った。
そして彼が卒業して一年ほど経って、今はエックスとなったツイッターで久しぶりに連絡を取り、会って付き合うことになる。

彼は仕事で青森に住んでいた。わたしは東京でバンド活動に勤しんでいた。音楽サークルに馴染めなかったので、高校からの友人と組んだバンドを卒業までやっていた。なぜか月に4回ほどライブをやっており、そのためにバイトもしたし、映画とかも撮ってたから、やたらと忙しかった。

その時のわたしは、この人しかいない、という人に失恋して、だったらもう恋人なんていらない、と極端なことを考えていた。
恋人なんかいらない、と過激なことを思った3ヶ月後くらいに夫と付き合うことになるのだから、人というのはいかにいい加減なものかがよくわかる。

でも、忙しくて恋人もいらない当時のわたしにとって、遠くにいてたまに会う大人の恋人というのはちょっといいなと思えた。だから、本当に気軽に付き合った。まさか結婚するだなんて、露ほども考えなかった。

わたしは好奇心が旺盛なタチで、そして東京で生まれ育ったこともあり、青森という見知らぬ土地と接点ができるのはすごくワクワクした。
大学生だったから、時間はあるけどお金はない。だから必然、一度会いに行ったら一週間くらいダラダラと過ごす。
夜行バスで、しかも当時上野から出ていた激安のパンダ号(片道4,000円、今はもうない)だけど、貧乏バンドマンにとってはその往復8,000円でさえ高かった。

パンダ号は古いふつうのバスだから、4列で座席なんかリクライニングなんて概念もない、直角。そんなわけで人気もなくて、いつも半分以下の客しかいなかったので、2列分をいかに活用するかが勝負だった。
わたしは幸いにも小柄な方なので、足以外をその2列に寝かせることができて、うまく寝ていた。

昔からあらゆる移動がすきだ。だから、夜行バスも寝てしまうのはなんだか勿体無い。煙草を吸うのでパーキングエリアでは毎回煙草を吸いに降りる。今もあるかは知らないけど、旅日記みたいな、通りすがりの人が書き付けるノートが東北のパーキングエリアにはあって、それを見ながら(書いたことは一度もない)煙草を吸うのを気に入っていた。
明け方に高速を降りる頃に朝日が昇り出して、りんご畑が見える。冬のりんご畑は、樹が凍りつく。樹氷というらしい。それが朝日に照らされてきらきらとして、その景色は今も忘れられない。

彼の家は知らない本や漫画、レコードの類がたくさんあった。だから、わたしは滞在する1週間ほどの期間を退屈せずに過ごした。わたしは卒論を書いたり、音楽を聴いたり漫画を読んだり、近場に食材を買い出しに行ってごはんを作ったりして過ごした。
彼の家で過ごす時間が好きだった。居心地がよかった。彼の友人に、どこを好きなのか聞かれたことがある。暮らしぶり、と答えた。そういう風にして、付き合い始めた。

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