離婚考06

センスについて

大学生の頃に、山下澄人さんの演劇のワークショップに友人と参加した。友人とは高校が同じで一緒にバンド活動をしていた。東京の公立学校で、当時ほとんどテレビしか情報源のなかったわたしに音楽や映画を教えてくれたのはその友人だった。山下さんのことを知ったのも彼女がきっかけで、山下さんが一晩で脚本を書き上げ(ということは後になって知るんだけど)、そして主演、監督も務めた映画を二人で笑い転げながら観た。

山下さんに挨拶した時に言われた一言が今も忘れられない。

「君ら、東京出身やろ。東京モンはな、ださいんや」

一瞬なんて反応していいかわからなかった。実際に、どんな反応したのかも忘れた。だけど後になって、なんだか納得というか安心というか不思議な気持ちになったのを覚えている。

わたしには、センスにまつわる根深いコンプレックスがあった。

子供の頃は、人と比較なんかしない。絵が描きたければ描いたし、工作も自由にした。小学校に上がる前に、絵本を作ったこともある。小学校の低学年までは、漫画を描いて披露したりもしていた。

だけど、人と比較して勉強ができることが分かってきた頃に、どうやら自分には絵心というやつがない、ということに気づいた。図工の時間に、自由に作ってくださいと言われるのが苦手だった。模写ならできそうな気がしたけど、「自由に」と言われた途端、何をつくるべきなのかがわからなかった。そして、通知表の図画工作の「創造力」の項目だけが、「よくできる」ではなくて「できる」という評価になった。

それは、わたしのちっぽけな優等生意識に強い傷を残した。

さらに決定的だったのは、中学生の時に美術の筆記試験で100点満点を取ったのに、総合評価が3だったことだ。決してすごく真面目な生徒でもなかったけど、提出物をサボるほど不真面目ではなかった。どう考えても、実技評価が1だった。気が強かった(今もか)わたしは、気弱な美術の先生に、「ねぇなんでわたし3なの?」と聞いたけど、モゴモゴと回答に困っている先生の姿を見て余計に傷つくことになった。

どうやら、わたしにはセンスがないらしいことに、当時は一番信用できる基準であった学校の評価によって気付かされた。そのことによって、わたしは服を選ぶことさえ苦痛になっていった。

その頃のわたしはストレスで過食症になり、激太りしていた。中学生時代の1〜2年生の頃は、人生の中でもすごい黒歴史。ただでさえ153センチしかない低身長で、パンパンに太った体は、どんな服も似合いようがなかった。今でこそ、個性とか肯定的な捉え方もできる時代になったが、当時のチビデブは惨めでしかなかった。

それでも、貧血で倒れるくらいのダイエットをしてみたり、恋をしたりして人並み+αくらいの体型には戻した高校時代、わたしはセンスとの折り合いをつけるようになった。人の感性をトレースすることで、自分のセンスのなさを補おうと考えるようになった。自分の選ぶ音楽や映画や本や服、すべてがいいものだと思えなかったわたしは、センスが良いと思う友人たちから教わることで矯正しようとした。

スクールオブロックという映画の中で、ジャックブラックが黒板に音楽史を展開するシーンがある。音楽や映画は、おおよそ体系化できるのだ。友人に教わりながら、少しずつそのことに気づいていき、歴史の勉強が得意だったわたしには音楽や映画がとっつきやすいものになってきた。

だけど、ファッションだけは駄目だった。友達のファッションを真似したって似合わない。高校は私服の学校だった。なんちゃって制服という制服もどきを着たりもした。だけど、チビで胸ばかりでかかった(デブの名残)わたしの体型では、「なんかコスプレみたいだね」と言われた。その頃には、そもそも服が似合わない体なのだと開き直り、大学生を迎えることとなる。

つづく

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