むしろ、できなくなった

社会人になって、

欲しいものが買えるようになって

やりたいこと ができて

いきたいところに 行くことができるようになった。

悲しいことや辛いことがあっても、

コレ⬆️らがある!

で乗りこえてきた。


でも、

結婚して

子どもが産まれて

赤ちゃん期が過ぎたころから

“ 自分の機嫌は自分でとる ”

ことができなくなった。

できなくなってしまったのだ。


どこからか沸き上がる怒り

なにがセットポイントなのか

怒りの感情が沸き上がってくるのだ。


独身の頃は

なに不自由なくできていたことが、

できなくなってしまった焦り。

自分の感情、機嫌さえも取れない苛立ち。

こんな自分が貧しくて惨めに感じる悲しみ。

それも怒りとなって再び沸き上がってくる。


カオス

例えるなら、

パレットに

紺、黄色、抹茶、茶色、オレンジ

がところどころで秩序なく混ざっている感じ。

子どもに揺さぶられている自分自身が情けない。






でも、

答えは

揺さぶってもらっているのだ。

子どもが敢えて(無意識下)

韻を踏んでいるのだ

「コレ辛かったよね。」

「今なら、癒せるんじゃない?」

「留まるときだよ。」

「行き方(生き方)違うよ。」


幼少期の

悲しい

が、

怒りとして反応している。


怒られて悲しい場面が

子どもを通して再現される。

それに

反応する。


わたしの身体は

悲しみ

として記録していたのだ。

そこに

『反応』

していた。


わたしが自身の機嫌がとれなくなるその存在は

鏡となって現してくれる

身体を張ってまで吐き出させてくれる


なんで親想いなのだろう。


子どもに甘えてはいけないな、と思いながらも。。



この連鎖をわたしの代で終わらせたい。

少しずつ癒してまいります。

抱きまいらす。