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コラム

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制作にまつわること。絵を描くのに向き合った言葉たち。日記。
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#コラム

実感をもって言葉を知る

その言葉や物語を知った時にはピンとこなくても、のちに身を震わせるほどその文章を実感する… というような事がある。 1.キッチン 初めてそれを感じた経験が吉本ばなな「キッチン」だった。 私の母は読書が趣味で、文庫で発売された「キッチン」もそうやって母が買ってきたものだった。 それを読んでいた母が文字通りキッチンでビックリするほど泣いていた。 今でも覚えているくらいの泣きっぷりがおかしくて、その原因が「本」だというのも当時の私にはおもしろくうつっていた。 そんなに泣くのが

行きたくないー #8月31日の夜に

「8月31日の夜に」むけて当時のことをふわりと思い出した。 そういう日常にいる少年少女たちへ書き残しておこう、と思った。 子どもの風邪は一気に悪化する。 というのは、よく聞く話。 大人が体調悪くて無理するのとは別で、子どもに無理をさせると一気に全身症状になって命にかかわることもあるそうだ。 いやまぁ「大人も体調悪いの無理すんなよ」とは思うけど。 そんな話から思い出した「からだ」と「きもち」を大事にできなかった話。 イジメにあっていた わたしは小学4年から中学2年にかけ

AIイラストを「使えなかった」2つの理由

こんにちは。つかはらゆきです。 久しぶりに「イラスト・漫画」を描いている人らしいnoteを書いてみようかと思います。 基本的なAIイラストに対する姿勢学習元に使われて著作権うんぬんとかはあるのですが、大枠として特にAIイラストに対してネガティブなイメージは持っていません。 デジタル作画が始まった頃(というか今でもテレビ番組に出ている著名作家でもいますが)アナログ手書きの作画が優れていて、デジタルはダメだという「アレルギー」が強くありました。 それと同じようなことがAIでも起

3か月の痛み

猫が亡くなった。 別に飼っていたのではないけれど、家の庭に住み着き私にエサをねだり、家に帰ると構えと呼ぶ。 そういう猫でした。 飼わなかったことをある人は「無責任」と言う。 けれど、野生で育った猫が家の中で「暮らせるか」は難しいのではないか…と感じていました。 それは飼っていた猫を外に放置して野生に帰れるか…と同じくらいに。 なんだろ。 家族じゃないけど、ルームシェアくらいの感覚かな。 そういう存在だった猫が3月に亡くなりました。 ずっと悲しくてさみしくて塞ぎ込んで い

「鎌倉殿の13人」でそろそろ推しが出てくる雑記

そろそろ…とは言うものの、もう2回はちょびっと出てきているのよね。 とはいえ、ようやく推しの治世になったので本格的に登場を期待。 推し…後鳥羽院です。 大学3年生の時に彼の和歌に触れ、そのまま鎌倉時代の和歌文学に没頭。 卒論を後鳥羽院で書くまでになってしまった。 その前までは源氏物語やろうとしてたのに… とか言って、最初に後鳥羽院に触れたのは「浅見光彦」なんですけどね… 小説の方です。 まさに、才能に、人生に、感じ取れる人間性に「魅せられた」と思う。 まぁ…天皇に向かっ

仕事の話:ゴールをきめたその先に

建設業の方が話していたことで気づいたことがある。 いっぽう、クリエイティブな仕事(イラスト・漫画などなど)は一定の「検査基準」というものがない。 これは結構な違いだなと思ったし、基準があることは羨ましいとすら思った。 基準どころかクライアントから「ゴール」の設定が曖昧なことも結構ある。 ゴールとは「何をするためにそれを作り、だから何を必須にクリアするか」という内容である。 たとえば生徒募集のチラシを作って「4月末まで体験入学」を必ず伝わるように、とかそういうこと。 「検

冬季五輪で思い出すこと

母から今朝電話があった。 お風呂掃除してて気付かなくて折り返したら、いつになく早く出た。 「昨日スキージャンプ見たら思い出しちゃってね」 そう、母は言った。それは24年前の長野五輪の時のことだった。 命には優劣がない、という。 でもそれが「明日終わるかもしれない長くない命」と 「これからも続いていくであろう長い命」だった時 優劣はなくとも「選択」はしなければならなくて、選択によって結果的に優劣が生まれてしまうことはある。 何も高度な医療現場の「トリアージ」の話ではない。

自分を豊かにしてゆく歳

コロナ禍だから…というより フリーランスになって以後、困窮している。 とは言っても、使える制度や色々な仕組みをフルに使う能力くらいはある。 結構このお役所の申請関連を自力でできないという話も聞くが、私は何かに困ったことがない。 それと少しずつ何もしないで入ってくる収入…を作れているので、少しずつだけど状況は改善している。 困窮…といってもその状況を本当にわかる人は サラリーマンで月に相応の決まった額が入る生活をしていると、そんなにいない。 経験したことがあるかどうかもあるけ

私、小説化しました…!

こんばんは。 お久しぶりです。 本日はお知らせです。 と言っても、自分自身が何かを作ったとか描いたとかではなくて 私のことを小説のモデルにしていただきました。 こちらの小説、友達が執筆しているものですが、その中の第24イヴェ〜第33イヴェが去年の夏に実際に私が遭遇した【事件】をもとに書かれています。 事件とは…と説明すると、小説の楽しみを奪ってしまうのですが。 記事の最後に当時描いた絵日記(ライブレポ?)載せておきます。 他の章の物語も読むと、あの時この人がこうで〜とか

新学期に言うことば

8月31日。 9月1日は新学期が始まり学校が始まる。 私がいじめに遭っていた頃、夏休みは世間で言われるよりもずっと短くて 少なくとも8月25日くらいには学校に行っていたと思う。 だから新学期=9月1日という感覚があんまりなくって 新学期と共に不幸が起きる感覚はとてつもなくわかるんだけど 8月31日と9月1日に境目があることがいまいち感覚としてわからない。 いじめにあってから30年後。 30年前、世界が丸ごと変わってしまうことを祈り続けていて そうして実際、いま世界が変わっ

「自分は大丈夫」に脅かされた体験から考えるワクチンを打ってほしい気持ち

下書きになかば腹を立てて書き殴った「ワクチンハラスメント」の話があります。 読み返すとこれを公開する気にはなれないんだけど 根本にある思いとしては変わっていません。 その下書きに書いてあるのは、 端的に言えば「ワクチンを打たない人とは友達でいられない」です。 まぁそんなキツい言い方じゃなくもっと理性に落とし込んで同じことを書いていこうと思います。 あ、もちろん友達の中には免疫系にかかわるであろう病気を患っている子もいるので、そういう友達が接種しないのは別の話です。 「伝

推し疲れー鍋に投げ込まれた氷

ちょうど1ヶ月前くらいにこんな記事が「推し」を持つ人の間で話題になった。 コロナ2年目でもう限界… 情熱が薄れ“推し疲れ”するファンたちの声 私の周りでもいろいろな反応があった。 「そんな2年で情熱が薄れるなんて愛情が足りない」なんて言う人もいました。 でも…ちがうよね。 別に愛情の寡多で情熱が薄れるものじゃない。 *** 以前から「推し」への愛情を「鍋を煮込む」ことに喩えて話してたりする。 推しの出演やライブ情報・かっこいい写真…それを「供給」と呼ぶんですが 供給

危機・災害・ワクチンつらつら…

いま、こんな本を読んでいる。 まだ半分だけどじっくり考えながら読んでいる。 「失敗の本質」 大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用することが、本書の最も大きなねらいである。 つまり第二次世界大戦に際して組織がどう機能したか(というか機能しなかったか)を分析して、敗戦の実態を描いている本です。 戦争は災害ではなく人災だけど、どちらも「危機」であることは変わりがなくて 日本の近代的

個展のこと、作品のこと(記録)

作品を作り上げたのは3月末。個展は4月いっぱい。 いまはもう5月も下旬。 月日が経つのは早くて、というわけではなく 今まで以上に作り上げた後の「ぽっかり」が大きいような気がする。 という言い訳をして、重い腰を上げて個展のことを書いていきます。 個展のテーマについて4月2日〜4月30日 池袋cafe lampにて。 個展「ハコニワ」開催。 池袋は学生時代から15年ほど住んだ街で第二の故郷でもある土地でした。 そんな場所で開催できたことに感謝。 今回の個展は「ハコニワ